「ビリー・リンの永遠の一日」(2016)
- 監督:アン・リー
- 脚本:ジャン=クリストフ・カステッリ
- 原作:ベン・ファウンテン
- 製作:マーク・プラット、アン・リー、ロードリ・トーマス、スティーヴン・コーンウェル
- 製作総指揮:ブライアン・ベル、ジェフ・ロビノフ、グォ・グワンチャン、ベン・ウェイスブレン
- 音楽: マイケル・ダナ、ジェフ・ダナ
- 撮影:ジョン・トール
- 編集:ティム・スクワイアズ
- 出演:ジョー・アルウィン、クリステン・スチュワート、クリス・タッカー、ヴィン・ディーゼル、スティーヴ・マーティン 他
「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」などのアン・リー監督が、イラク戦争にて戦地で英雄的な活躍をした若き兵士と、彼が帰国して経験する実情とは離れた形での描写とセレブレーションを描くドラマ作品。
ベン・ファウンテンの小説を原作としています。
主演は「女王陛下のお気に入り」などのジョー・アルウィン。また姉役にはクリステン・スチュワート、そして軍曹役にはヴィン・ディーゼルが出演。
もともとアン・リー監督作品として注目されていて、日本劇場公開も決まっていたのですが、気づくと中止、ソフト販売になったような記憶があります。
公開予定、鑑賞予定に入れておきながらも、劇場公開がなくなってからこれまで、ずっと放置していた作品で、今更ながら初めて鑑賞しました。
19歳の若き兵士ビリーは、戦地で仲間のために銃撃の中へ飛び出す活躍を記録した映像により、一躍アメリカの英雄となった。
ビリーの所属する部隊は、帰国すると盛大な国内凱旋ツアーへと駆り出される。
しかしビリーは戦場での現実と故郷での戦争や兵士への理想化された像の違いに悩み、自分を英雄として祭り上げることにも疑問を持ち始める。
心の中で、戦地イラクへと再び戻ることにも迷いが生じ始める中、最大のショーであるフットボールのハーフタイムイベントへの登壇が決まり、彼の中で戦場と故郷の現実が歪んでいく。
アン・リー監督は視覚的な実験をしているように思います。
クリアな解像度を持ち、制作の色を削ぎ落とした画面。
120フレームレートでの撮影や3D、4Kの使用など、映像的な野心と挑戦に溢れた作品になります。
おそらくこれらの技術的なアプローチは、目の前で実際に繰り広げられるドラマを強め、観客とビリー・リンの距離を詰めることに貢献しようとしたものと思います。
ライティングも明るすぎるくらいに当たるところもあり、鮮やかさも剥き出しのような調整になっています。
ただ、そうした技術面での支援bが、実際にビリーの物語を自分の近くに感じることに力を発揮したようには感じません。
むしろ、この鮮明すぎる画面は絶えずそのメタ的な側面を意識させ、ともすれば全編に渡ってオフショットのような感覚を与えてしまっています。
舞台裏を追うドラマの舞台裏。
長編映画撮影中のメイキングのように見え、鮮明すぎるがゆえの作り物っぽさが増したように感じました。
また今作はこのストーリーラインの落ちつかなさもあります。
戦場での経験とPTSD、対比されるアメリカ国内でのお祭り騒ぎ。
人々が求めるような物語を、消費対象として作り上げまつりあげる。
これ自体は珍しくもないプロットではあるんですが、では(技術面を除いて)オリジナリティはどこにあるのか。
故郷と戦地。
この逆転がビリーに起きるわけですが、重なる戦地での記憶と目の前の現実とかそんなに革新的ではないです。
また姉との関係性と、ヴィン・ディーゼル演じる軍曹との関係など、ビリーが引っ張られる要素との繋がりも薄く感じてしまいます。
ジョー・アルウィンもクリステン・スチュワートもそれぞれしっかりと演技をしているのですが、先述の通り、自分はその演技にすらクリアな映像が影響して見えます。
スクリーンテストのように見えてしまうんです。
結論、集中できませんでした。
自分でも意外でしたが、鮮やか過ぎる映像によって色彩、彩度が話の内容よりも前面に感じられてしまいました。
英雄として利用・消費される世界や、物語が受け手にとって気持ちのよいものに変容する様など、個人的には好みのプロットですが、作品としてははまらなかった1作です。
感想は以上になります。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
それではまた次の記事で。
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