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「アメリカン・ヒストリーX」”American History X”(1998)

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映画レビュー
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「アメリカン・ヒストリーX」(1998)

  • 監督:トニー・ケイ
  • 脚本:デイヴィッド・マッケンナ
  • 製作:ジョン・モリッシー
  • 製作総指揮:ビル・カラッロ、キアリー・ピーク、スティーヴ・ティッシュ、ローレンス・ターマン
  • 音楽:アン・ダッドリー
  • 撮影:トニー・ケイ
  • 編集:アラン・ハイム、ジェリー・グリーンバーグ
  • 美術:ジョン・ゲイリー・スティール
  • 衣装:ダグ・ホール
  • 出演:エドワード・ノートン、エドワード・ファーロング、イーサン・サプリ―、ステイシー・キーチ 他

白人至上主義という、慢性的ともいえるアメリカ含む世界中の問題を取り上げる今作。

エドワード・ノートンがアカデミー賞主演男優賞にノミネートされるほどの肉体的改造、そして怪物のような変貌を見せてくれます。

これを始めてみたのがちょうど高校生あたりで、苛烈な内容に衝撃を受けました。

デレク・ヴィンヤードは3年の刑期を終え出所。彼は黒人の車泥棒を殺害した罪で刑務所にいた。

出所し、弟のダニーは兄との再会を喜ぶ。

ダニーの部屋はネオナチ、白人至上主義を称えるものであふれている。3年前、白人至上主義グループのリーダーだったデレクが黒人を殺したことで、ダニーは兄を英雄とし崇拝し続けていたのだ。

しかし、一方のデレクは別人のように穏やかで公平性を持つ人間になっていた。彼に何があったのか。そして彼がここから始めることとは・・・

見たくない部分に真っ向から切り込む姿勢の今作。

とにかくエドワード・ノートンの力がすさまじく、聞いていてドン引きするほどの汚い言葉に差別用語、鍛えられた体にスキンヘッドと胸のハーケンクロイツ。危険すぎる人間です。

この豹変っぷりは正直本当にノートンかと疑うほどですね。

ノートンの見事なルックの説得力と演技に、アメリカ社会で今なお生きるネオナチのような白人至上主義が乗り移ります。ここでは生来でなく、社会経済上の悪を移民や有色人種に押し付け、白人の国が蝕まれるという思想を持って差別が出てきています。

その点は政治的なものもみえ、これまたいやらしい悪役を演じているステイシー・キーチがいいように若者を煽りレイシストへ変えていますね。

事実はどうであれ、そうした扇動で迫害者が増えたのかもしれません。不満や不安、怒りをぶつける対象が欲しい、低いものを作り自分たちを相対的に優位にしたい。

しかしそこにないのは相手を知ることです。

デレクが知るのは敵と思う者も同じ人間であること、そして彼は非常に運がいい。

この上なく優れた種である白人に裏切られ、態度的には殺されてもおかしくない中で敵に救われました。生き延びただけでありがたい。そう思うほどの最低の差別主義者でしたから。

まぁそれで目覚めるというのも悲惨ですが。そうまで経験しないとぬぐえないほど、思考の偏りが根深いということですからね。

怒りにとらわれることを止め、鏡に映る自分を見るデレク。つまりは客観的に自分を見つめ直す。

回想シーンが白黒で現在がカラーという作りですが、デレクの目覚めでもあるような気がしますね。物事を文字通り白と黒で見ていた彼がそれを払いのける。(そうなると少しおかしなシーンもあるんですが)

彼の怒りはなんだったのか、それは本当に根が深く気付かないところから蝕んでいた。

そしてその怒りと偏向、理不尽な暴力はもう止めることはできない。強すぎる憎悪が大きな病のようにアメリカ社会を侵し、人を殺すのです。

最後にカットされたシーンがあるんですが、あれはカットした方が良い。あまりに希望がなさすぎると思うので。(最初の段階では、ダニーの死後再び頭を剃るデレクの姿で映画が終わる)

敵でなく友人であろう。怒りに突き進むには人生は短い。

アメリカが舞台ですが、世界中どこでもです。あの演説のように、「遠い場所のことでも未来や過去のことでもない。今ここで起きていることなんだ。」

ノートンのリードで目をそらさずに私たちの問題に向かいましょう。そういう意味で見てほしい映画でした。

ということで今回はかなりキツイ1本でした。それでは次の記事で。

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