「セプテンバー5」(2024)
作品解説
- 監督:ティム・フェールバウム
- 製作:フィリップ・トラウアー、トーマス・ブュブケ、ティム・フェールバウム、ショーン・ペン、ジョン・イラ・パーマー、ジョン・ウィルダーマス、マーク・ノルティング
- 製作総指揮:マーティン・モスコウィック、クリストフ・ムーラー
- 脚本:モリッツ・ビンダー、ティム・フェールバウム、アレックス・デビッド
- 撮影:マルクス・フェルデナー
- 美術:ジュリアン・R・ワグナー
- 衣装:レオニー・ザイカン
- 編集:ハンスエルク・バイスブリッヒ
- 音楽:ロレンツ・ダンゲル
- 出演:ジョン・マガロ、ピーター・サースガード、レオニー・ベネシュ、ベン・チャップリン 他
1972年のミュンヘンオリンピックで発生した、パレスチナ武装組織によるイスラエル選手団人質事件を、事件を生中継したテレビクルーの視点から描いたサスペンスドラマ。監督・脚本を務めたのは「HELL」のティム・フェールバウム。
報道の自由、事件当事者の人権、メディアの責任といった現代にも通じるテーマを盛り込みながら、緊迫感あふれるストーリーを展開していきます。
出演は「マグニフィセント・セブン」などのピーター・サースガード、「パスト ライブス 再会」のジョン・マガロ、「ありふれた教室」のレオニー・ベネシュ。
今作は第82回ゴールデングローブ賞の作品賞(ドラマ部門)にノミネートされ、第97回アカデミー賞では脚本賞にノミネートされました。
評判がいいことと実録系映画は結構好きなので、監督のことはあまり知らずとも楽しみにしていた作品。公開週末に早速都内へ観に行ってきました。そんなにスクリーンが大きくないのもありますが、かなり満席に近い状態でした。
~あらすじ~
1972年9月5日、ミュンヘンオリンピックの選手村で、パレスチナ武装組織「黒い九月」によるイスラエル選手団の人質事件が発生。
報道を担ったのは、ニュース番組ではなくスポーツ中継を専門とする放送クルーたちだった。
エスカレートするテロリストの要求、錯綜する情報、対応が後手に回る現地警察。
世界中が息をのんで見守るなか、交渉期限が迫り、極限の状況下で中継チームは重大な選択を迫られる。
感想レビュー/考察
実話の新しい視点
ティム・フェールバウム監督の過去作は未鑑賞なのですが、非常にスリリングな感覚を、全く異なる視点から描いていると思いました。
今作は実際に起きたテロ事件を追いかけるストーリーになっていますが、テロそのものの恐ろしさとか、イスラエルとパレスチナの問題とかを恐怖の主体にはしていないと感じます。
今作がもっとも恐ろしいとしているのは、正しいと思って自分たちがした行動が、実は最悪の行動であったと分かることです。
そのときの気味の悪い、背筋が凍るような寒気と不安、恐ろしさと罪悪感を強烈に体感させてくるのです。
序盤はニュースのクルーが各スポーツ中継を見事に、その専門的な中継機器やカメラ、編集とスイッチングによって手際よく放送するシーンが良く見せられています。
ここらへんでしっかりと、この人たちはプロなんだなというのが観客に伝わりますね。一種の心地よさ、カタルシスもあるような、物事が機械仕掛けのようにきっちりと動いてハマるシーンです。
情報統制でスリリングさを強める
そんな中継もひと段落付き、いったんはスポーツ中継もされていない頃。銃声が聞こえる。
ここから始まっているのは情報統制です。今作でティム・フェールバウム監督は情報をどれだけ与えるか、与えないかという統制を非常に巧みに使って、スリリングさや不安、恐怖を演出しています。
分からないという恐怖
この最初の切っ掛けの銃声。聞こえた人もいれば聞こえなかったという人もいるようなくらいの音量です。
だからスタジオのクルーたちも「聞き違いかな?」「でも銃声だけは間違えないと思うし。」とすこし疑念を持った状態になります。これもまたストレスフル。
そう、はっきりと銃撃がされたシーンも入れませんし、銃声が聞こえるような音響デザインにしていない。あえてぼんやりと、クルーが体感した音をそのまま観客にも届けているのです。
「はっきり聞こえてないけれど、本当ならまずくないか?」
この心理状態を作り上げ、決して崩さないのが、今作の非常に魅力的な部分だと思いました。実録ドラマでもなく、テロ対策のアクション映画でもなく、少し遠巻きに見ているからこそ”分からないという恐怖”が強くなるのです。
次第に事態は真実味を帯びていき、クルーのメンバーは事件の生中継を始めます。ただここでも、現地のドイツ語が分かるメンバーがマリアンネだけだという仕掛けもある。
言語という面でも、彼女なしでは全容把握できない情報統制がされています。
その後与えられる情報は増えていくものの、今作ではテロ事件の様子自体は実際に当時放映されたフッテージを大量に使用しているという徹底ぶり。ここでも、視聴者やクルーの手に入れる映像しかない。
映画とかフィクションなら、自由にシーンを、ビジュアルを創造できるのですが、あえて絞り込んでいる。
その情報の少なさによって、今作を観る観客たちはクルーのメンバーと同じように、留められる映像や聞こえてくる警察の無線や現場からの無線にのめりこんでいく仕組みになっているんですね。
窓のない密閉空間が、緊張といら立ちを演出
また、今作が全体に密室劇になっているのも、緊迫した雰囲気と事態の完全把握ができない苛立ちに貢献していると思います。
全編通してほとんど外に出ないし、外が見えないんですよね。
本部の建物の中でも、アーカイブ室や指令室、応接とかいくつか部屋は出てくるものの、どこも窓がない。
密閉されていて息苦しさすら感じるような空間づくりが徹底されています。
監督もインタビューの中で、実際に演者にもスタッフにも、当時クルーたちが感じた苛立ちを感じ取ってほしかった、狙った構成だと語っていました。
登場人物たちもそれぞれ制限を抱えている
あらゆる面で情報が絞り込まれている中で、ジョン・マガロ演じるスタッフは現場を取り仕切った経験も無いことがさらに緊張やいら立ちを募らせる。
マリアンネはドイツ語を唯一理解する人。この人だけ一瞬先に現地の情報を理解しています。
そしてクルーたちの動きは理解しつつも、裏取りができないことに不安を募らせたり。
各人物にもそれぞれの制限があって。すごくステレスフルです。
ここで監督が描きたいのはこのような環境下で奮闘したジャーナリストの姿ではないと思いました。もちろん彼らの置かれた状況を徹底的に観客にも体感させようとはしています。
発信したことが事態を悪化させることも
しかし、最初に言った通り、私が最も感じ取ったのは報道、何かを伝え発信することが持つ恐ろしさです。
クルーは特ダネを掴んで、テロの様子や立てこもりと警察の交渉についてTV中継していました。
しかし、中盤にその放送をテロリストたちも観ている可能性に気づきます。彼らのせいで警察の動きが、彼らが地元警察を使っていることが、全て犯人側に筒抜けだったのです。
事態を悪化させてしまう報道の危険性。でも、悪意はなかった。
これはよくあることだと思いました。よく警察のドラマで情報をマスコミに出すか揉めるシーンってありますね。
「パトリオット・デイ」では特定の人種を犯人と思わせる報道は、逆に彼らへの間違ったヘイトを集め、別の事件を起こしかねないと、FBIが止めるシーンなんかもありましたね。
でも何かを発信するって、やはりメタメッセージや思わぬ反響があるものです。
あそこでクルーたちが、「俺たちが事態を悪化させたのか?」と罪悪感を抱えて苦しむわけです。
希望を拡散したが、絶望を改めて伝えなくてはいけない、その吐き気を催す罪悪感
そして極めつけは最終幕。この事件を知っている方なら見えていたことですが、人質事件は全員の死亡という最悪な結末を迎えるのです。
でも、現地の空港にいるマリアンネの無線で、全員無事に救出されたと勘違いする。
マリアンネも、観ているのではなく、現場の空気や喜ぶ人たちを見て判断します。スタジオでは地元のドイツの報道を見て判断する。
裏取りできているのかの疑念がありながら、喜ばしいニュースを展開したのもつかの間、急に暗雲が立ち込め、その時すでにみんなが最悪の真実を感じ取る。
この瞬間。
希望を発信しておきながら、これ以上ない悪夢が真実であったと悟った時、自分でそれを訂正しなければいけない緊張や、伝えてしまった事への罪悪感という、吐き気もするような恐ろしさを感じる。その寒気や気分の悪さが凝縮されているんです。
今は誰でもこの過ちを犯しかねない
これは誰しもがカメラを携え、報道、発信ができる今だからこそさらに気を付けるべきことです。
安直な切り取りで発進したものが、最悪の結果を生むこともある。
テロ事件も残忍なものであり、現在も続いているパレスチナ地区とイスラエル軍の攻撃を考える作品でありますが、やはり、発信することが潜在的にはらむ不安や危険性を、体感型でみせてみた素晴らしい作品であったと思います。
今後もティム・フェールバウム監督は英語言語映画をどんどん撮って、さらに期待したいと思える作品でした。
今回は少し長くなりました。ではまた。
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