「聖なるイチジクの種」(2024)
作品解説
- 監督:モハマド・ラスロフ
- 製作:モハマド・ラスロフ、アミーン・サドライ、ジャン=クリストフ・シモン、マニ・ティルナー、ロジータ・ヘンディジャニアン
- 脚本:モハマド・ラスロフ
- 撮影:プーヤン・アガババイ
- 編集:アンドリュー・バード
- 音楽:カルザン・マムード
- 出演:ミシャク・ザラ、ソヘイラ・ゴレスターニ、マフサ・ロスタミ、セターレ・マレキ 他
家の中で消えた銃をめぐり、家族の間に疑心暗鬼が広がっていく様子をスリリングに描いたサスペンススリラー。
「悪は存在せず」などで国際的に評価される一方、母国イランでは自身の作品を通じて政府を批判したとして複数の有罪判決を受けたモハマド・ラスロフ監督が、2022年に1人の女性の不審死をきっかけに広がった抗議運動を背景に、実際の映像も交えながらリアルに描き出します。
2024年の第77回カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞し、第97回アカデミー賞では国際長編映画賞にノミネートされるなど高い評価を得ています。
後述しますが、監督はイランでは有罪判決を受けており、国外へ亡命し今は欧州に滞在。本国の政権批判的な映画を撮ったためです。
苦しい状況と祖国を離れる辛さの中で、それでも国内での不正義を見逃せなかった、崇高な精神にまず敬意を表します。
今作も注目していたものの、少し見るのが遅れてしまいました。
〜あらすじ〜
テヘランで妻と2人の娘とともに暮らすイマンは、20年にわたる勤勉さと愛国心が評価され、念願の予審判事に昇進する。
しかしその職務は、反政府デモの逮捕者に不当な刑罰を下す国家の手先となることを意味していた。
政府から家族を守るための護身用の銃を支給されるが、ある日、その銃が忽然と姿を消す。最初はイマンの管理ミスかと思われたが、やがて妻ナジメ、長女レズワン、次女サナの3人に疑惑が向けられる。
捜索が進むにつれ、家族すら知らなかったそれぞれの秘密が明らかになり、平穏だったはずの日常は次第に崩れ始める。
感想レビュー/考察
イラン体制への批判であり、先の読めない家族サスペンスドラマ
間違いなくイランの体制がそこで暮らす人々にどんな影響を及ぼしているかを描いた作品で、強権的政治と有害な家父長制への批判を行っています。
ただ、それらをさらに超えて展開するドラマの重厚さと予想もしない方向に転がる脚本に驚かされました。
幸せで平和な家族が、父の仕事をきっかけに束縛が増え抑圧的になる。
そして銃の紛失という起爆剤から疑心暗鬼のスリラーになり、ゆくはまさかのシャイニング的な展開に。
なかなか長尺な映画ですが、切り替わるたびにまた別のジャンルの顔を見せているのでそこまで長いなとは感じませんでした。
聖なるイチジクの種=家に持ち込まれた銃弾
冒頭に語られるのは聖なるイチジクの伝承。
イチジクの種が植えられるとぐんぐんと成長するものの、そのツルは宿主である気を締め上げて最終的には殺してしまうと言った内容です。
これが映画の全体に響き渡っています。
冒頭、この伝承が終わるとすぐに、銃弾のクローズアップが映し出されます。「マッドマックス 怒りのデス・ロード」でも銃弾を種に例えるシーンがありましたが、同じですね。
この銃弾が、イマンが銃を家に持ち帰ること、すなわち家庭に植え付けられるということ。そしてそのせいで家族という宿主は締めあげられ崩壊させられていくのです。
実は銃弾は中盤にも再登場します。
それはヒジャブ革命、デモに参加していた、レズワンの友人の顔からの摘出。散弾銃の細かい銃弾が、彼女の顔に打ち込まれているのを、レズワンの母ナジメによって取り除かれていく。
幸せな家庭に埋め込まれた種が家族を狂わせていく
この銃弾はイスラムの法、イランの政権、そして家父長制そのものを象徴する要素でしょう。
銃が家に持ち込まれると同時に、父の仕事を知ることに。妻のナジメは夫の仕事を知ったとたんにかなり強権的に変貌していきます。家父長制を助長し、娘たちを支配していく。
伝統的イランの教え、政府側の思想によって娘たちを縛り付けていくようになってしまう。
前半部分では父は影が薄くなり、ナジメの彼女なりの葛藤や娘たち側でのマサ・アミニさんをめぐる事件についての熱など、舞台は家の中にほとんど限定しながらも、ひりひりと親子関係が悪化していく様が描かれます。
ものすごく皮肉なのは、マサ・アミニさんの一件が逆に引き金となってこの家族の崩壊を進めてしまっている点です。
マサ・アミニさんの事件
マサ・アミニさんの事件について、かなり有名ですが詳しくない方もいるでしょう。
簡単に言えば22歳のアミニさんが、ヒジャブのつけ方が不適切だという理由で道徳警察(服装規定違反などを取り締まる部隊)に逮捕され、その際の暴行が原因で死亡したという事件です。
もちろんイラン側は、映画でTV報道されていたように、アミニさんの死因を心臓発作などと主張しています。
ただ、この事件はイラン国内で、アミニさんの死に対しての抗議デモ、そして各地でヒジャブを捨てたり燃やしたりといった大きな反響を呼ぶことになります。
今作でも多くの実際の映像が使用されていますし、アミニさんの死については国連の調査によりイラン政府側に責任があるとも報告されています。
世代間で隔絶した情報源
この事件がなぜ家族に亀裂を入れ、母に強権的な支配をさせてしまったか。
それは世代間の情報収集の違いだと見えます。徹底して描かれるのが、母はTVを中心に情報を得ていること。そしてレズワンとサナはスマホ、つまりインターネットから情報を得ているのです。
TVではイラン体制側に寄った報道になっているため、母としては娘たちが非常に危険な方向に向かってしまうと感じる。夫の仕事のこともあってそれはさらに気になること。
一方で娘たちはスマホをずっと見ていて、SNSに投稿された映像や実際ん電話先で聞こえる音声から情報を得る。だからこそお互いに信じることに違いが出てきてしまうのです。
イランの政権と法を信じた父
父の不在もこの抗議活動の活発化が原因です。多くの逮捕者が急激に出てきたために、忙殺され疲弊していく。
父は悪ではなかった。決して残忍な存在でもない。彼は真にイスラムの法やイランの政府を信じていた。それは正直に、公正に、裁判や調査を行っていくという信念です。
しかし、昇格と同時に、実は仕事というのが不当逮捕でも不当判決でもなんでもやるということに気づかされる。抵抗をしても無駄。
彼はイラン政府側を信じ続けることにし、結果として家庭をも疑うようになってしまったわけです。
信条ゆえに家族すら尋問対象の容疑者。のちに父の個人情報がネットに公開され、それは反体制派から狙われる危険性となります。
家族を連れてテヘランを離れますが、その先にあったのは父による隔絶と尋問。娘たちは何とか父に昔の楽しかったころのことを思い出させようとしますが、それも無駄でした。
最後は、彼らの状況やイランそのものを示すような、複雑に入り組んだ町の中を駆けまわる。
残るのは、やりきれない思いです。幸せな家族だったのに、たった一つの銃が持ち込まれてここまでのことになるとは。
命をかけて、祖国の状況を伝える映画を
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Getty Images
非常に重厚なドラマ劇ですし、展開もひねられていておもしろい。現実のパラレルのような、独特な物語だと思いますが、加えて監督のモハマド・ラスロフのたどった道も、それ自体が偉大な旅だと思います。
ラスロフ監督は今作の撮影により有罪判決を受けて、8年の懲役刑を宣告されています。
監督は国外逃亡せざるを得ないと判断し、なんと徒歩でイランを脱出。そして最終的にはドイツで難民となりました。
今作に出演したミシャク・ザラ、ソヘイラ・ゴレスターニらはイランで非常に強い抑圧にさらされている状況だと言います。
今作がアカデミー賞学国語映画賞のドイツ映画枠なのも複雑な気持ちですね。撮影した素材を他国を経由させ編集し集めて完成させたこの作品。
内容も素晴らしいですが、観ること自体に、監督や演者、スタッフの皆さんのまさに命がけの心に応える意義があると思いました。
イランの作品の公開が続き、ここ数週間はなかなかハードな映画体験が多いです。今回はここまで。ではまた。
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