「サポート・ザ・ガールズ」(2018)
作品解説
- 監督:アンドリュー・ブジャルスキー
- 製作:サム・スレイター、ヒューストン・キング
- 製作総指揮:ジョナサン・フライド、スコット・カーメル、ポール・バーノン
- 脚本:アンドリュー・ブジャルスキー
- 撮影:マティアス・グルンスキー
- 美術:ジェイク・クイケンドール
- 衣装:コリン・ウィルクス
- 編集:カレン・スクロス
- 出演:レジーナ・ホール、ヘイリー・ルー・リチャードソン、
日常生活の中で蔓延する女性蔑視や人種差別に立ち向かう女性たちの奮闘と友情を、ユーモアを交えながら描いた感動的なドラマ。
「最強絶叫計画」シリーズで知られるレジーナ・ホールが主演を務め、2018年の第84回ニューヨーク映画批評家協会賞で主演女優賞を受賞しました。共演には、「スプリット」や「スイート17モンスター」などで注目を集めたヘイリー・ルー・リチャードソン。
監督・脚本は、アメリカのインディペンデント映画ムーブメント「マンブルコア」のゴッドファーザーとも称されるアンドリュー・ブジャルスキーです。
こちらはオバマ元大統領が毎年発表しているお気に入り映画のリストに入っていたことでも有名になった作品で、日本公開もあったようですが完全に見逃していました。今回は配信されていたので鑑賞しました。
~あらすじ~
スポーツバー、ダブル・ワミーズでマネージャーを務めるリサは、その面倒見の良さから従業員たちに慕われているが、店のオーナーであるカビーとはしょっちゅう対立している。
ある日、リサは暴力的な彼氏とのトラブルで裁判沙汰になっている店員のシャイナを助けるため、「シスターフッド・ファンド(姉妹のための募金)」と名付けた洗車サービスを始めた。
しかし、カビーにその違法なサービスが見つかり、募金で得た全ての金を没収されそうになる。リサはカビーに強く反発したことで、ついに解雇を言い渡されてしまった。
リサの解雇に反発した従業員たちは、スポーツバーが最も賑わう格闘技の試合の夜にストライキを計画する。
感想レビュー/考察
ドラメディって言い方あると思いますけど、そのタイプの映画です。しかしコメディってくくりにするにはあまりに真剣だと思いますね。
もちろんハイテンション、元気でおかしな人物もいるんですけれど、おバカな映画ではないと思います。
むしろ非常にリアルに現実を捉えているからこそ、笑いでごまかしている姿が映りこんでいるんじゃないかと思います。
女性蔑視がビジネスになっているアメリカ社会
根本に存在する潜在的な差別と女性蔑視を扱う作品として、主人公の一人とも言っていいのが舞台となるダブル・ワミーズです。
いやむしろ、この店が抱えているアメリカ社会のビジネスコンセプトと言って良いかもしれません。
アメリカに行ったとき、実際に訪れはしませんでしたが近しいというか、もっとキツめの店に誘われたことはありました。
女性店員が皆20歳くらいで胸を強調したへそ出しシャツにホットパンツ、やたらと愛嬌良く(ボディタッチも含む)接客するレストランです。
男性向けであり完全に性的な部分をサービスの1つに組み込んでいますが、一応飲食店。
映画ではリサがお店について家族向けレストランなのだと言うシーンがありますが、コンプラ的にこのお店が成り立つってすごいことですよね。
アメリカ社会ならではのビジネスだと思います。完全な風俗店だと言い切るならまだしも、こうした若い女性たちが接客をする光景を、一般家庭が行く場所にしても問題がないというのですから。
女性を売り物にしているそのコンセプトを女性蔑視ととらえるなら、それが家庭に入っていても違和感がないということになります。
私個人の感覚ですが、風俗店ではない形で子どもを連れていける店でこのコンセプトは日本では規制され実現しないものと思います。アジア圏欧州でも厳しいかと。
だからこそアメリカ社会の異常さがより浮き彫りになる舞台だと思いました。
女性の価値を下げることを許さないリサ
ダブル・ワミーズがアメリカ社会に根付く女性蔑視をビジネスコンセプトとして体現するなら、そこには人種差別も内包されている。
オーナーであるカビーの自然な差別に苦しみながら、ここで2つの巨大な理念に対抗するのがリサです。
彼女は社会的なルールや慣習を越えて、このダブル・ワミーズにおいて独自のルールを作っています。女の子たちの面接での説明にあるような、お店のルール。
そしてその遂行を彼女は率先して行っている。
侮辱するお客は許さず退店命令を出すし、女性の価値を落とす行為も許さない。
お客さんへのサービスの方針についてもボディタッチルールや何をしていいか何をしてはいけないかがはっきりと示されます。
バイトの子の一人がセクシーな洗車をしたり、胸を強調したり、最終的には乳首を出してしまいます。このような行為で、確かに利益を得ることができる。
でも、リサはそれがスタンダードになって、男性から何かを得るために女性は身体を差し出さなくてはいけないという慣習を作りたくない。
だから彼女は皆のことをすごく気にかけるけど、かなり厳しくそういった行為は注意しています。
ビジネスが人を超えることがあっていいのか
リサは解雇され、従業員もついてくる。夫との離婚もあり一人で強く生きる彼女は、女の子たちのために尽くした結果、このアメリカ社会の化身たるビジネスから追い出されてしまうのです。
そしてその先もまた辛いものです。
最後に大手チェーンのレストランの面接を受けているシーンがありますが、そこで「大きな組織のメンバーになれるの。大きな理念があって、それは従業員個人なんて超えたものよ。」と言われる。
ビジネスモデルが個人よりも優先されることを公然と、良いこととして発言しているのです。その面接官の女性も、もともとそのレストランで従業員だった。
それはまあ洗脳済みってことですよ。(正直娼婦が年取って若い娼婦をまとめる世話役になっているのと同じ気がします。)
屋上でそれぞれが叫ぶ。それは大きな流れである交通の騒音にもかき消されそうですが、確かに叫びはある。泣いている女の子にエールを送って。
日常そのまま見たいな切り取り方も、会話も、撮影も好き。最終的に環境音で終わっていく映画ってやはり良いですね。
これは良いものを鑑賞しました。
今秋の感想はここまで。ではまた。
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