作品概要
ウェス・アンダーソン監督が描く、奇想天外な父娘の冒険コメディ
独自の映像美とユーモアで世界を魅了するウェス・アンダーソン監督。最新作では、ベニチオ・デル・トロを主演に迎え、ビジネスの危機に立ち向かう大富豪と修道女の娘の旅を描きます。
父は富豪、娘は修道女――波乱だらけの旅が始まる
物語の中心はヨーロッパの富豪ザ・ザ・コルダ。彼はビジネスの危機を打開するため旅に出るが、同行するのは修道女である娘リーズル。父娘の関係性を軸に、数々の予期せぬ事件とユーモラスな展開が繰り広げられていきます。
豪華キャストが大集結!アンダーソン組の常連も参戦
- ベニチオ・デル・トロ … 主人公 ザ・ザ・コルダ
- ミア・スレアプレトン … 娘リーズル(ケイト・ウィンスレットの実娘)
- マイケル・セラ
- リズ・アーメッド
- トム・ハンクス
- スカーレット・ヨハンソン
- ベネディクト・カンバーバッチ
初参加のフレッシュな顔ぶれに加え、アンダーソン作品の常連俳優たちも勢揃いし、圧巻のキャスティングとなっています。
~あらすじ~
独立都市国家が集まって成立した架空の大国フェニキア。そこで巨万の富を築いた実業家ザ・ザ・コルダは、過去に6度の暗殺未遂を生き延びながらも、国全体をつなぐ壮大なインフラ事業「フェニキア計画」に挑んでいた。
計画が成功すれば、150年にわたり莫大な利益をもたらすはずだったが、度重なる妨害により赤字は拡大し、30年越しの夢が破綻の危機に瀕する。
資金調達のため、ザ・ザは長らく疎遠だった娘であり、修道女でもあるリーズルを伴い、フェニキア全土をめぐる旅に出るのだった。
感想レビュー/考察
アンダーソン監督らしさは健在だが“繰り返し感”も
「グランド・ブダペスト・ホテル」や「犬ヶ島」などウェス・アンダーソン監督の作品のクワーキィな、ヘンテコな笑いの混じった作品は刺さっているものはあるにはある。
しかし、「フレンチ・ディスパッチ」に続き「アステロイド・シティ」と最近の作品は彼の作家性自体は保証されているものの、とにかく苦手なものが続きました。
そしても本作もその苦手な感じがそのままに続いたという結果です。極論、以前の「アステロイド・シティ」の際に思ったことからとくに感想は変わらず。
ウェス・アンダーソン監督らしさはまさしく保たれているし、彼の作品のふぁんなら観たいと思うものを確実に見ることができる。
可愛らしいミニチュアで作られた世界のような手触りで、そしてその中で笑っていいのか分からない苦めのユーモアが薫る。たとえそれがどんなに小さな役であっても、出てくる俳優陣は皆が主演作品を持つレベルの名優ぞろい。そんな意味での豪華な見た目というのもまたここでも約束されている。
なのでその意味での監督のらしさは確実で、好きな方はもちろん好きに決まっている作品になっています。
自分にとっては“完全に退屈な一本”
ただし、それらに飽きている、もしくはもはや魅力的な要素として感じていない場合には、また変わらないことしかしていなくて、その退屈さがそのまま再び繰り広げられるだけであるということ。
なんともつまらない作品になっていることもまた確実なのです。
そして私の場合には完全に後者なのです。
ミニチュア世界と徹底した美術のこだわり
アバンタイトルの滑稽なユーモアに加えて、人の上半身が吹き飛ぶという豪快なゴアで笑いを誘う中、脈々と続く長いセルフ回し。
そして飛行機自体すらもミニチュアで、その中に俳優を滑り込ませたかのような作り。まさに誰が見てもウェス・アンダーソン監督の作品と分かります。
そしてOPのクレジットシーン。俯瞰視点のカメラの枠が、綺麗に浴室全体の枠とも一致した作り。どうぶつの森とかみたいな家の中を上から見る構図ですね。
真上から見ていてやはりここもミニチュアハウスを眺めるようです。
そこでかなりのロングカットでザ・ザ・コルダが入浴しその周囲をたくさんの召使いたちが取り囲んで忙しくなく動く。
その後に現れるのも細部までディテールのこだわり抜かれた美術舞台。各俳優が身につける衣装。シンメトリックに切り出される撮影。
全てが細部まで調整された中での映像。
病的な作り込みはあるけどそれまで。今作はユーモア的にも笑える点が少なく。やはり最近の作品群に近い、自己完結型で自己陶酔的なインテリの自分語りにしか思えませんでした。
作り込みの美学とテンポの崩れ
構成上なんだかこだわりが強すぎて歪になってしまっている。
それは無駄に感じてしまうことも多いということです。
コルダが死にかけると、モノクロ世界の天国が展開され、そこで現世でのやり残したことや、罪を感じて悔やむようなシーンが挿入されます。
たびたび起こるので、目の前の展開がストップがかかってしまいます。いくらウィレム・デフォーこ絵力があっても、やっぱりダラダラとして感じました。
またムダに長いシーンもあります。途中でトム・ハンクスとブライアン・クランストンが出てきて、リズ・アーメッド扮する王子とコルダチームバスケで競います。
あれもう少し全体に短くできなかったものでしょうかね。
アメリカ側が自分たちの得意なゲームを用いて中東方面にゲームを仕掛けてくるという、風刺自体は効いているとおもいます。
それに背景でリーズルの父に対しての思いとか、ビョルンとの関係の進展もありますけど。それにしての時間を取りすぎな気がします。
その割にはベネディクト・カンバーバッチ演じる叔父さんとの決着はなんだかあっさりとして感じられました。なんかシーンに対する配分がおかしく感じてしまい、進行がもたついたり逆に薄味で肩透かしだったりして歪んで感じます。
描きたいシーンはまさに熱意を持って、思い入れ強めでと言うなら、このバランスは作家性が行き過ぎた結果と思います。
フェニキア計画に込められた皮肉
さて、タイトルにありそしてザ・ザ・コルダが目指すフェニキア計画。フェニキアというのは古代レバノンの他称であり、ギリシャ側からそのように呼ばれていた、多数の独立国家の集まりだそうです。
今で言うとシリア、レバノンそして一部イスラエルあたりを含む地域だそうで、劇中でのザ・ザ・コルダの計画地域とだいたい合っているのではないでしょうか。
先にも挙げましたが、私としては時代設定こそ昔であっても、西洋特に欧州国家たちにより様々に搾取される図式は現実の皮肉かと思います。
ザ・ザ・コルダが目指す大きな経済圏の設立も、そしてそれに関わりなるべく少ない負担で大きなリターンを得ようとする人物たちも皆揃って滑稽に見えます。
父娘の絆と人間性の回復
資本主義に大きく傾倒しそれゆえに娘との関係性を持ってこなかったコルダ。
今作はリーズルとのタブを通じて、そして何度も天国の門の前に立つことによって、コルダが人間性を取り戻していく話でもあります。
大きく広いバスルームから始まったOPでしたが、最後は実に庶民的であり小さくも親密なキッチンが映されます。そこでは使用人と動かずすべてをやってもらうコルダの姿はない。
娘と共に阿吽の呼吸で店を切り盛りし、仕事を終えていく彼の姿があります。そういう意味で、物語の帰結は晴れやかで良かったものだと思いました。
やはり正直、同じようなパッケージで内向的にすら思える作家性がそのまま変わらず繰り広げられているフィルモグラフィーに、さすがに飽きてしまったなと。ハマっていてる人にはハマり続けているはずなので、ファンは欠かさす映画館へ行きましょう。
今回の感想はここまで。ではまた。
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