「COLD WAR あの歌、2つの心」(2018)
- 監督:パヴェウ・パヴリコフスキ
- 脚本:パヴェウ・パヴリコフスキ、ヤヌシュ・グウォヴァツキ
- 製作:タニヤ・セガッチアン、エヴァ・プシュチンスカ
- 音楽:マルチン・マセッキ
- 撮影:ウカシュ・ジャル
- 編集:ヤロスラフ・カミンスキー
- 出演:ヨアンナ・クーリグ、トマシュ・コット、ボリス・シィツ、アガタ・クレシャ、ジャンヌ・バリバール、セドリック・カーン 他
「イーダ」のパヴェウ・パヴリコフスキ監督による、冷戦に翻弄される男女のロマンス映画。今作はアカデミー賞外国語映画賞、監督賞と撮影賞にノミネート。またカンヌでは監督賞を受賞しています。
とにかく批評家から高い評価を得ている作品で、私は「イーダ」も公開時に見逃したので今回こそはと、公開初日の夜の回で観てきました。
有楽町のHTCだったのですが、終了後にはトークイベントがありました。(となりの男がうるさかった・・・面倒くさい映画オタクタイプ)
初日でしたけどほとんど満席に近い状態でしたね。念のため早めに予約しておいてほんと良かったw
1949年のポーランド。
田舎の民族音楽を収集し、舞踏団のためアレンジする作家・ピアニストであるヴィクトルは、その劇団のオーディションにてズーラという少女と出会う。
2人は瞬く間に恋に落ちるのだが、劇団はソ連の政治色が強くなっていき、ヴィクトルはソ連側に監視されるようになる。
ヴィクトルはズーラと亡命を約束するが、約束の場所にズーラが現れることはなく、ヴィクトル一人でフランスへと亡命することとなった。
そして時が流れ、ソ連側にて歌手として成功したズーラが、フランスに講演のため訪れたことで、二人は再開する。
上映時間は85分とかなり短い作品なんですが、その一切に無駄がなく濃密な映画でした。
映画内での時間が十数年経つというだけではなく、画面に映し出されることが多いからとかではないです。
おそらくとても濃く感じた理由は、今作の作りにあるんだと思いました。
とにかく説明がなされない作品なんです。
台詞による状況説明もなく、ジャンプカットで年代が代わり、その間にヴィクトルやズーラに何があったのかも語られません。
ただ登場人物の行動や風貌などからその間にあることや現在の状況を観客に推し量らせるのです。
なので観ていてずっと、”理解しよう”と自分から世界に浸っていくようになりますね。
ヴィクトルとズーラの感情や、置かれた立場。純粋にビジュアル、映像に重きを置いて、見せることで語る。
これは観客を信じているからできる技です。監督はこの作品を見る観客の寄り添う力を心から信じているんだと思いました。
画作りがとにかく美しく、画面構成としてもこだわり抜かれた印象があります。
今みるべき人物を中央にとらえる。またその人物が誰を見ているのか、そして誰に見られているのか。
人をセンタリングするだけでこんなにも考えが広がるものなんですね。でもそれが映画の楽しいところだなと再確認。
モノクロの画面において、繰り出される華やかな(はず)のダンスやショーの数々。どれも色を欠いています。夜の街やクラブの淡い光や輝き。光とホコリや煙の色気。美しいのですがどこか世界がモノクロという寂しさすらあります。
それに今作はモノクロのコントラストが非常に強めにも感じます。黒い部分は本当に黒くて、白は飛んでいる。ズーラとヴィクトルの世界、コミュニズムと自由、またこの二人の外と内。はっきりと分断されてしまっている要素を映し出すうえで、このコントラストの強さは効果的に感じます。
また正方形に近い画面はやはり上の高さを強調して感じました。行き場や自由のなさが、横の広さを奪われることに重なっても見えます。
そして今作でもうひとつ大きな力を持っているのが、音楽です。
とにかく時代がどんどん進み、舞台も変わるわけで、ズーラやヴィクトルが歌ったり演奏する音楽も変容していきます。
音楽は詳しくないんですが、メロディと歌詞、また今作では言語、そして舞台まで加わって複雑になっていました。
同じ曲でも、どこで何語で歌うのか。
元々はポーランドから出てきたヴィクトルとズーラ。ヴィクトルは村人たちの歌う伝統的な歌を集めていました。
楽団のオーナーには伝統などさして重要ではなかったようですが、はじめ一緒に運営していた女性は、楽団がソ連側に迎合していき、芸術がプロパガンダになると分かると去っていきました。
その後歌は別の言語に訳され、曲調も変わり続けます。
ルーツを表すものとしての歌であるならば、こんなに悲しいことはありません。
自分のあり方や欲しい幸せの形が叶わないことが、そのままズーラの状況と重なります。
もう彼女は自分の歌を歌うこともできず、操り人形と同じです。おそらく直接不満を漏らすことができたのがヴィクトルだけだったと考えるとまた切なかったですね。
華やかなステージに立つ姿こそあれど、ズーラがどれだけ抑圧され疲弊していったかを想像するといたたまれません。
本当はブロンド。それをヴィクトルが言うシーンが序盤にありましたが、後半ズーラはショーのためにウィグをかぶり、そしてヴィクトルに「ここから連れ出して」というシーンで取り去ります。
髪の色すら支配されているとは残酷。
環境に翻弄され、自分の居場所もルーツも自分そのものも失っていく二人の最後は、悲哀に満ちながら一方で安息にも思えました。
贅沢な映像と力強い役割の音楽、冷戦下のメロドラマですが、本当に味わい深い作品でオススメです。
今回の感想は以上となります。最後まで読んでいただきありがとうございました。
それではまた次の記事で。
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