「許されざる者」(1992)
- 監督:クリント・イーストウッド
- 脚本:デイヴィッド・ウェッブ・ピープルズ
- 製作:クリント・イーストウッド
- 製作総指揮:デヴィッド・ヴァルデス
- 音楽:レニー・二ーハウス
- 撮影:ジャック・N・グリーン
- 編集:ジョエル・コックス
- 美術:エイドリアン・ゴートン、リック・ロバーツ
- 出演:クリント・イーストウッド、ジーン・ハックマン、モーガン・フリーマン 他
アカデミー賞では作品含む主要4つを受賞しており、まさかの90年代に西部劇という驚きながら、しっかりとした作りで見事な出来栄え。
西部劇、しかも亜流のマカロニ出身のイーストウッドが、自身の映画人生の西部劇をまとめたような映画です。そして師であるセルジオ・レオーネとドン・シーゲルに捧げられたものでもあります。
私の西部劇、イーストウッドそして生涯ベスト、どのランキングにも欠かせない1本です。
西部のビッグ・ウイスキーという町で、酔った客が相手をしていた娼婦を斬りつけた。町の保安官、リトル・ビル・ダゲットは馬を詫びに差し出すことを条件に釈放するが、娼婦たちの怒りは収まらない。
彼女たちは自分たちで復讐しようと、この客たちに賞金を懸ける。
そんなころ、田舎の農場で子供と暮らす老人がいた。ウィル・マニー。かつては伝説のアウトローとして名を馳せ、多くの人間を打ち殺した冷酷な男。亡き妻の願いを胸に、今は静かに暮らしている。
そこにスコフィールド・キッドという若い男が、娼婦が出した賞金首の話を持ってくる。
まずこの西部劇は、またもイーストウッドによる脱構築が目立つところ。
今までも彼が描き続けてきた、男性性や伝説、マチヅモの否定。ウィル・マニー、リトル・ビル、そしてイングリッシュ・ボブ(リチャード・ハリス!)の伝説と実を露呈。
まともに馬にも乗れず、銃もへたくそなイーストウッドを観ることになるとは!そして威圧的で悪徳な保安官、リトル・ビルの語り。
すべての西部の英雄、まさに男らしいものすべては作り話ということ。リトル・ビル本人もそうだからこそ、ここまでアウトローたちを嫌っているのでしょう。
この映画には、レオーネのカッコいいガンマンも黄金期の正義感溢れる保安官もいません。ただ運よく生き延びただけの、デカい面した大口叩きがいるだけ。
強さを語る者たちの真実の姿が如実に描かれ、映画の、そして現実の歴史でも存在する英雄、その正体を明かしています。
そしてもちろん、暴力とその連鎖もここで繰り返されています。娼婦たち弱者のとる行動に、誰が応えるのか。
かつて殺した者たちの悪夢に悩まされ、「死にたくない。」と震えるイーストウッドの姿は、まるで「荒野の用心棒」をはじめとする伝説のなれの果てに思えます。
一度触れたその暴力に完全に侵され蝕まれている。今回の事件も一つの暴力がまた新たな暴力へつながったものです。
過去をぬぐえず、罪を背負い生きること。そこに触れてしまったキッドは、嗚咽を漏らしながら酒にすがる。「あいつを殺しちまった。もう二度と息をしないんだ。」
ウィルは「殺しはすべてを奪う。そいつの過去も未来も。」と言います。殺された者への言葉でありまた、これはその暴力を振るった者の事でもあるんですね。ウィル含めその業を背負い悩み苦しんでいくのです。
いままでのキャリアでの役は、マチズモ的な要素と共に、典型的な男らしさの揺らぐものがありました。自分自身のルールで生きていく。
法や規則がなさない正義を自分の手で果たしてきました。
その中でどんな流れでも、やはり最後は銃で決着をつけてきた、つけるしかなかった自分。イーストウッドはいかなる理由であれ暴力で解決してきた事を、そんな自分をここに落とし込んでいるのでしょう。
だからこそいかに傷があっても、純粋に平和を願ったあの娼婦は天使、救済の人に見えたんでしょう。
復讐と殺戮によどんでしまったウィル。やはり銃でしかものにけじめをつけられない。
派手でもカッコよくもなくただ運よく生き残り、人を撃った彼は、降りしきる雨の中去っていく。悪魔が来たような陰鬱な音楽と、恐れおののく人の目に囲まれます。
連鎖した暴力の塊はアメリカ国旗を背負い闇に消えていく。今現在でも終わらないその鎖に繋がれて、イーストウッドはそれに反抗していたのでしょう。
彼が出した西部劇への答え。いろいろな偉大なアメリカ魂が生まれたその場にいたのは、結局銃で人を撃ったものばかりだったということですね。真の英雄ではないのでしょう。
自らのメタ、そして再びの新たな西部劇。キャリアの一区切り。
こんなにも見事な西部劇を作られたら、誰が次の時代の西部劇を創れるんでしょう。
この映画にはかつての正しい西部の男も、モリコーネのファンファーレに包まれたクールなガンマンもいません。カタルシスの欠片もない人殺しがまた人を殺すだけ。
しかしその行為が何をもたらすか、伝説を崩してでも伝えなければなりません。
「ありがとうイーストウッド。」そう言いたくなる1本でした。
それでは、また。
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