「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」(2014)
- 監督:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ
- 脚本:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ、ニコラス・ジャコボーン、アーマンド・ボー、アレクサンダー・ディネラリス・Jr
- 製作:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ、アーノン・ミルチャン、ジョン・レッシャー、ジェームズ・スコッチドボール
- 製作総指揮:クリストファー・ウッドロウ
- 音楽:アントニオ・サンチェズ
- 撮影:エマニュエル・ルベツキ
- 編集:ダグラス・クライス、スティーヴン・ミリオン
- 出演:マイケル・キートン、エマ・ストーン、エドワード・ノートン、ザック・ガリフィアナキス 他
アレハンドロ監督は「21g」と「バベル」で知っていましたが、複数の人生が折り重なる重厚なドラマから一転、今回は舞台をめぐるコメディ映画です。
アカデミーでは作品、監督、撮影、編集を取りましたが納得の出来でした。キートンは惜しくもノミネートに終わりましたが、賞をとってもいい素晴らしさです。
新作ですが、GWに向けての数々の公開作に隠れているのか、ちょっと人は少なめでした。
リーガン・トムソンは部屋で”浮いていた”。かつは「バードマン」というアメコミ映画で大成功し、一躍スターになった彼が、いまでは落ち目になっている。家庭でも失敗した彼は、自分自身の存在意義をかけて再起を図る。
自分で演出、脚色、主演をする舞台でブロードウェイへ進出しようというのだった。
怪我した俳優の代役で来たマイクは実力はあるものの、身勝手で問題を引き起こす。プレビュー、そして本公演。舞台を通してリーガンは自分の抱えてきた問題と向き合うことになる。
いわずもがな、主演マイケル・キートン彼自身がリーガン・トムソンですね。
ティム・バートン監督の「バットマン」(89)でヒーローバットマンを演じ、スターになった彼ですが、リーガン同様その後が続かず、レッテルは”バットマン俳優”。
実際「笑顔が不気味だ。」の台詞からわかりますが明らかにM・キートン×バットマンを投影してます。
リーガンの背後に常にバードマンが付きまとうように、キートン自身にもバットマンが付いて回るのでしょう。リーガンはどうしても捨てたい、過去のヒットなどにすがりたくはないのです。
決別が必要ですが、人々は彼をやはりバードマンとみなす。生み出した分身というのはやはり非常に厄介なものです。
それに加えて、ノートンの役がまた巧いです。リーガンを差し置いて一面をさらってしまう彼は、まさしくバットマンでのジャック・ニコルソンでしょう。
キートンを食って目立った存在。ここでのノートン演じるマイクは、現場をも荒らしちゃうやつですがね。鏡の前で何かと自分を眺めるナルシストっぷりがおかしかった笑
皮肉というか、ここまで俳優の人生と映画が重なると、自然と作品は面白く深く、愛おしく感じます。
映画の特徴はカメラワークや音楽。映画全編を通してワンカット風な映画なんです。
ずっとカメラを長回しし続けているような。人にくっついて衣装部屋や舞台に廊下、屋上。さらにはNYの町にバーまで流れるように見せていく。
もちろんカットが入っているのはわかりますが、それを感じないように綺麗に編集され、時間のジャンプもだんだんと切り替わるのも見事です。
個人的にですね、じっとくっついたバックショットはたまらんのです!自分もそこにいるような気もしますし、すごく不思議でいい気分。
こういったところは撮影のエマニュエル・ルベツキや編集に監督そしてキャストの入念に計画された動きとタイミングがなせるものですね。ものすごく精密で驚異的です。
またドラムが鳴り響くアントニオ・サンチェズによる音楽も秀逸。軽快で感情的。
そして要所ではドラム音楽が消えてクラシック?になるんですが、あれはリーガンが根底の問題を突きつけられる、または向き合った時に合わせているのでしょうか?
バードマンから脱却しようと必死になるリーガン。自身の舞台を成功させるため娘に譲る家まで融資対象にしてしまう。鳴り止まぬ声に揺さぶられ、続編の誘惑まで襲ってくるのです。
彼が求めたのは愛されること、人々の記憶。
リーガンとしてみんなに覚えて欲しい、愛してほしいのでしょう。自己承認欲求が高まる彼には大事なものが見えていないのかもしれません。
自分の舞台に関わることでマイクとケンカしますが、そんなマイクが娘のサムにちょっかい出しててもちょっとタバコ吸うだけですから。
親父ならもう少し何かしてもいいでしょ!しかも相手は、本番中に本番要求する最低男だよ?!
彼の扱う舞台「愛について語るときに我々の語ること」が重要なキーに思えます。
リーガンは愛、人気とか名声を欲しがっているんですが、すでに彼を愛する人はいるんです。そしてリーガンは逆に愛することを忘れているような気がします。
何もわかっていない無知には立派な舞台など創れない。批評家に突き離されるリーガン。
バードマン、ブロックバスター、お祭り映画。誘惑が彼の幻想を動かし、再び空をはばたかせる。
本公演でリーガンは暴挙に出ますが、ここで気づいたのでしょうか。彼には娘に元妻、親友。彼をバードマンでなくリーガン・トムソンとして本当に愛してくれる人がいる。
もう彼にバードマンはいらない。
先ほどの幻想の朝には、画面に鳥の一団が入ってきますが、決別した後リーガンが見上げる空では同じような鳥の一団が画面外へ出ていきます。
そしてその後娘は父を探し空を見上げ、嬉しそうに微笑む。そこにはバードマンでなく、自分の翼で楽しそうに羽ばたく父の姿があったように感じました。
キートンらの演技、膨大な努力でなりたつカメラの動きに弾むドラム。
愛されようともがくおっさんが愛を得てまた他を愛し、自由に飛び立った映画でした。
うーん好きです。体験的にも心地よくまたキートンが愛おしいですし。
それに俳優やヒーロー映画ばかりのハリウッド皮肉ギャグもあり、知っている人ならクスリときてしまいます。振り切ったコメディでなくとも楽しく観れる1本です。おススメ。
今回書きすぎたかも。それではまた。
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