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「荒野の用心棒」”A Fistful of Dollars” aka “Per un pugno di dollari”(1964)

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映画レビュー
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「荒野の用心棒」(1964)

  • 監督:セルジオ・レオーネ
  • 脚本:ヴィクトル・アンドレス・カテナ、ハイメ・コマス・ギル、セルジオ・レオーネ
  • 製作:アリゴ・コロンボ、ジョルジオ・パピ
  • 音楽:エンニオ・モリコーネ
  • 出演:クリント・イーストウッド、マリアンネ・コッホ、ジャン・マリア・ヴォロンテ 他

マカロニウエスタンと呼ばれるジャンルのきっかけ。セルジオ・レオーネのスタイル、イーストウッドのデビュー。

モリコーネの独特の音楽。とにかく新時代、またはおかしなものが誕生した映画です。

イーストウッドファンでレオーネも好きな私は大好きな作品。

もともとは黒澤明監督の「用心棒」を西部劇にするものですが、イタリア制作でいわゆる西部劇とは異なるものになり、しかも権利問題でもめた作品です。

西部の町にひとりの流れ者がやってくる。

酒場の親父は男に忠告する。この町ではどうやら2つの派閥が争いあっているようだ。住人はおびえ、ギャングまがいの野郎たちが町を闊歩する。

そこでこの謎の流れ者は思いつく、「俺はちょうど間にいる。」

こちらは名前から察せるように、黒澤明監督の「用心棒」(1961)のリメイクです。

権利のほうはいろいろありますけど・・・それは置いておいて、どちらも素晴らしい作品だと思います。

用心棒での浪人のカッコよさはしっかりガンマンとして表れていますしね。

まずイーストウッドのはまり役。ポンチョに葉巻、名無しの男。ゆっくりとした動きに早撃ち。

レオーネ監督の撮り方もおもしろく、間を大切にし、顔の接写を重ねます。その上に重なるモリコーネの音楽。あれは「リオ・ブラボー」の殺しのトランペットを参考にしてますね。カッコいい。

暴力的なところが最大の特徴でしょう。いまではそうでもなく見えますが、アメリカ西部劇好きにはとんでもない映画。

撃つ側と撃たれる側を同じ画面に入れてしまったり、アメリカ精神を持った住人などいなかったり。

しかしだからこそ、スタイル含めカルト的な人気になったと思います。ある種の神話的なカタルシスがありますね。

イーストウッドがイタリアで困ったり、レオーネがプロデューサーともめたり、現場でわめいたり。いろいろな話も面白いです。話自体は本当に「用心棒」を西部劇に置き換えたものです。ただレオーネ監督のスタイルは一見の価値ありです。

というわけで軽いレビュー。

夕陽や続もこれから紹介したいです。ではまた。

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