「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」(2020)
作品概要
- 監督:外崎 春雄
- 脚本:ufotable
- 原作:吾峠呼世晴『鬼滅の刃』
- 製作:三宅将典、高橋祐馬、藤尾明史
- 主題歌:LiSA「炎」
- 音楽:梶浦由記、椎名豪
- 撮影:寺尾優一
- 編集:神野学
- 出演:花江夏樹、鬼頭明里、下野紘、松岡禎丞、日野聡、平川大輔、石田彰 他
吾峠呼世晴による漫画「鬼滅の刃」のTVアニメシリーズ劇場版。
アニメシリーズ第1期からそのまま続く内容の作品となっており、キャストなどもそのままの続投、実質アニメを追う上で必須のピースとなっているようです。
監督は長年数多くの作品で作画監督などを手掛け、TVアニメでは「テイルズ~」シリーズの監督を、劇場版作品としては初めての監督となる外崎春雄。
基本的には原作にある話ですが、製作のufotableが脚色を行っているようです。
今や社会現象にもなっている作品で、その上映回数のえげつなさ、また興行収入の上り方、熱烈なファンの多さなど話題に欠かない作品。
今回は自分としては珍しく流行りに乗っかってみてきました。TIFFの合間でのちょっと変わり種というのもあり、また知り合いの方がおススメしてくれたのも大きいです。
平日のお昼の回だったので、かなり空いていましたね。しかし、小さな子から大人までいろいろな層が来ていましたし、今作では号泣しているファン?もいました。
一応ネタバレも入っての感想となりますので、楽しみにされている方はこれ以降は読まずに、まずは劇場へ行きましょう。
~あらすじ~
鬼殺隊として任務にあたる竈門炭治郎、我妻善逸、嘴平伊之助の3人は、無限列車という汽車で鬼殺隊の柱である煉獄杏寿郎と合流する。
彼らはこの列車で頻繁に起きている失踪事件を鬼の仕業と見抜き、討伐に来たのだ。
さっそく現れる鬼を、柱として瞬く間に倒す煉獄。鬼を片付けた一行は眠りにつくが、それは隠れていた別の鬼の策略であった。
それぞれの望むような夢をみせられている中で、ひそかに夢に忍び込んだ刺客が、炭治郎たちの精神の核を破壊し廃人にしようと動いている。
炭治郎たちはこの夢から覚醒し、術式を操り列車の乗客を喰らおうとする鬼を倒すことができるか。
感想/レビュー
まず、鬼滅の刃については原作未読、アニメ未鑑賞。
持っている知識は、鬼退治の話。主人公の名前と妹が半分鬼で、それを治すことが主人公の目標。以上です。
なのでかなりの情報弱者の状態での鑑賞になりましたが、ハッキリ言ってこの作品から観てもいいのかと思うくらいにすっきりと楽しむことができました。
アニメシリーズは20話以上あり、そしてこの映画もそこから直に続いている。
それでもこの作品だけで世界と人物背景、そしてメインドラマをしっかりと説明、開始と終了まで到達させています。
もともと、この話が、長編ドラマ向けなのかもしれないですね。劇場版にするにはちょうどいいチャプターなのかも。
まず世界への導入ですが、全体の説明がスマート。
主人公が煉獄さんにはじめて会うシーンがあることで、自己紹介が自然に行われ、キャラクターが紹介され、また彼との会話の中から妹のことなどもわかります。
それぞれのキャラに関しても、映画用に調整されている?のかかなり極端な善人、自己中など分かりやすいです。
炭治郎は伊之助の突っ込みにすらお礼を言うという徹底した良い子。
そして実際に戦闘が始まる前には、ある程度呼吸、技の属性(水属性とか炎属性)が説明されます。
のちの夢と無意識もそうですが、俯瞰しての図説が入ってくるのはおもしろいですね。
そして個別のドラマですが、特に主人公のお話は(アニメ見てれば皆さん知っていることなんでしょうが)語り口が良いですね。
それは煉獄さんもそうなのですが、敵の攻略と各人物のドラマ説明が同時進行するのです。
炭治郎は家族が殺されてしまった過去、そして彼の願望が夢となります。そして煉獄さんは父、弟の話。
普通だったら私はこの手のストーリーテリングがとても嫌いです。
「ファンタスティックビーストと黒い魔法使いの誕生」でも言ったのですが、回想ばかり繰り広げて目の前の展開が停止している、そしてその説明垂れ流しが造形の深さにつながっていると勘違いする姿勢が苦手なんです。
しかし今作は夢を見ているということで人物の過去を説明しながらも、同時に精神の核を破壊されるか覚醒するかという攻略の展開がスリリングさを持っています。
その説明という点ではもう一つこの作品の特徴があった気がします。
状況、感情、思考、すべてが言葉になっていること。
これ実写でやっていたら私は憤慨ものではあるんですが、言葉での説明が過剰というよりも全てにあてがわれているんです。
映像作品としてはかなり危険な語りと思いますが、いろいろ考えてみると実はここに魅力があるのかもと思いました。
一挙一動、あらゆる場面での感情が説明されていると、解釈のブレが生まれないんです。
だからこそ、誰がどう見ても同じ作品となる。
その均質化された状況が何を生むかといえば、圧倒的な共感です。
副次的なものですが、シェアしやすいことがファンの一体感を生むことに強く働いている気がします。
完璧に行われる説明は、今作メインのドラマである煉獄さんを完結させる点で破壊力を増します。
おそらく今回が初登場に近いくらい?と思われるほどに、彼の説明が丁寧です。
合流時の自己紹介から最期まで、登場から退場までをここで完結させる。
連続性を持つアニメとしては、番外編、短編のような感じでもあります。
しかし、この作品内だけでの開始と終点は、これまた受け手に情報差を与えずに感情をコントロールしてしまう見事さがあります。
原作もアニメも分からずとも、煉獄さんのドラマは完全に楽しめるんです。
意外にもこの手法が自分には効きました。
普段の映画では過去説明回想とかナレーション感情説明とか大嫌いですが、アニメーションでは“心の声”が観客を引っ張ることに不自然さがないんですよね。
出会って数十分のキャラクターの死に、心を痛めることができれば!大成功でしょう。
最後の方の日光の演出も、日を背負って後光のようになる煉獄さん、陽の光を受けて照らされる炭治郎になっています。
継がれていく様とかも光のさし方で表現していました。
そのアニメーションレベルでは、筆圧の高さの異なる表現の同時存在が特徴的。
水、炎のエフェクトは筆画のようで、別メディアが融合しても違和感なくむしろ斬新な表現にみえるアニメーションならではの楽しさです。
戦闘設計も分かりやすく、これまた煉獄さんの指示という体で、しっかりと何をして何をすれば勝ちなのか説明してくれます。
列車を舞台とすることでそもそもスリリングですし、前へ進んでいくことや車両ごとの空間認識もしやすい。
そういえば機会と生命体の融合って、物体Xとかギーガーの画とか、なんか久しぶりに観た気がします。ちょっとレトロなワクワクがありますね。
哲学的な部分では日光の件も含めて、人間側と鬼側のきれいな分断もあります。
自分都合か他己的か。
周囲の者を思いやれるかにはっきりと違いが見えました。
鬼はどこまでも自分が主語です。一方で炭治朗も煉獄さんも常に他者を主語にして行動する。
狂人レベルに”善”である存在は、日本の現実に足りないからこそ、ここまで強く求められているのかもしれませんね。
さて、個人的に微妙だったのは、音楽と一部キャラクターの活躍。
前者は世界観に対して割りと現代的な楽曲で、ちょっとありきたりなバトルアニメ感が強かったこと。
後者はあの黄色の髪の少年の活躍、重要度が分かりにくかったこと。
彼はこれまでまたは今後主役級の活躍するのかもしれませんが。
王道的な展開、余すところのない説明がここまで完成されていると、すべて委ねていける。
思考を奪うその先の在り方を観た気がします。
にわかでも楽しめましたし、ここから鬼滅の刃の世界に入っても良いのかも知れません。
感想は以上。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
それではまた次の記事で。
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