「胸騒ぎ」(2022)
作品解説
- 監督:クリスチャン・タフドルップ
- 製作:ヤコブ・ヤレク
- 脚本:クリスチャン・タフドルップ、マッズ・タフドルップ
- 撮影:エリク・モルバリ・ハンセン
- 美術:サビーヌ・ビード
- 衣装:ルイーゼ・ニッセン
- 編集:ニコライ・モンベウ
- 音楽:スーネ・コルスター
- 出演:モルテン・ブリアン、スィセル・スィーム・コク、フェジャ・ファン・フェット、カリーナ・スムルダース、リーバ・フォシュベリ 他
善良な家族を襲う悪夢のような週末を描いたデンマーク・オランダ合作のヒューマンホラー。俳優としても知られるデンマークの鬼才、クリスチャン・タフドルップが監督・脚本を手がけた作品です。
サンダンス映画祭で上映され、不気味さやスリルでかなり高い評価を得た作品になっています。評判の良さからすでにブラムハウスがアメリカリメイクを製作していて、予告編ももう見れますね。
タフドルップ監督の作品は他には観たこともなく、この作品もそこまでは注目していなかったのですが、Xで評判が良くて気になりました。仕事帰りに都内で観てきましたが、ほとんど満席状態での鑑賞になりました。
~あらすじ~
休暇でイタリアへ旅行に出かけたデンマーク人の夫婦ビャアンとルイーセ、そして娘のアウネスは、現地でオランダ人の夫婦パトリックとカリン、息子のアベールと出会い、意気投合する。
数週間後、パトリック夫妻からぜひ自宅に来てほしいという招待状を受け取ったビャアンは、妻子を連れて人里離れた彼らの家を訪れることにした。
再会を喜び合うのも束の間、会話を交わすうちに些細な誤解や違和感が生じ、徐々に溝が深まっていく。
パトリック夫妻の“おもてなし”に居心地の悪さと恐怖を感じながらも、週末が終わるまでの辛抱だと耐え続けるビャアンたちだったが、ぬぐえない違和感と不安は消えずに緊張に変わっていく。
感想レビュー/考察
北欧からのスリラー、今作は残酷な物語で救いがない。気持ち悪くてなんとも後味の悪い映画でした。
“Speak No Evil”は日本語で「悪口は言わない」という意味
タイトル”Speak No Evil”の意味は「悪口は言わない」というものです。これは劇中で主人公夫婦がホストとなった夫婦に対して、指摘や抗議をしないという部分につながっています。
違和感があり、攻撃的に感じたことがあっても、礼節や配慮を優先して相手を悪く言わないということです。
そしてもう一方で”See No Evil, Speak No Evil”といった言葉もあり、日本語でいうと「見ざる言わざる聞かざる」のような意味合いでしょう。
こちらは相手というよりも、自分い都合の悪いことは見なかったことや聞かなかったことにして、何も言わないことです。
前者と似たような意味にはなっていて、こちらもまた自分としておかしいと思っても黙っているような意味。
さらに予告編でも出ているパトリック夫婦の息子、アーベルの状態も残酷に絡められています。彼は言語障害を持っていると説明されますが、実際には舌がないのです。
何か言いたくても話せず伝えられない。彼は強制的に悪を言及することができないのですね。
そんな不気味なタイトルですが、映画の中身も不気味です。
ジャンプスケアがあるわけでもなく、表面上はじっくりと進む作品です。ただそのじわじわとした進行の中に、積み重なるように不安感と不信感が溜まっていき、事態は引き返せない方へ向かう。
途中でターニングポイントがあるのですが、あそこの処理は気になります。うさぎのぬいぐるみが娘にとってとても大切なことは、序盤のイタリアの件でも分かります。父はぬいぐるみのために街を走り回りますからね。
でもあの状況で、車をUターンさせてまで戻るのはちょっと違和感。
ミスコミュニケーション、伝えないことや言語の壁
まあ今作の裏に置かれているミスコミュニケーションが原因であるとは思いますが。
一家は2度、パトリック夫婦から逃げようとします。しかしいずれも片方が異常に気づくものの、帰ろうとしか言わずその理由などは説明しません。
もし初めのときに、パトリックが全裸で寝ているベッドにアウネスを連れ込んでいたことを伝えていたら。
そして2度目に、納屋で見つけた異常な光景やアーベルの舌がないことを伝えていたら。もっと互いの現状への対応は変わっていたでしょう。
ミスコミュニケーションは恐怖や不安の象徴としても描きこまれています。今作は主人公夫婦はお互いとアウネスに対してデンマーク語で喋っています。その一方でパトリック夫婦はオランダ語で会話をしている。
オランダ語で話をされていると、相手の表情や仕草は見えても何を言っているのか分からない。意思疎通ができないところに不安や居心地の悪さを感じざるを得ませんね。
しかも何を言っているのか分からないけれど、カリンはアウネスになにかオランダ語で命令までしだすし。
ビャアンはなんとか英語ができますが、ルイーセはそこまで得意じゃなくて。この言語の壁というものが恐怖や不安をあおる要素として使われている点、「ボーダーライン」とか思いましました。これは良い演出です。
抵抗や反撃をしないように教育された私たち
この理不尽な物語において、”人の悪口を言わない”ということが、現代における足かせであり、捕食者にとって有利な社会の投影に見えます。
皮肉交じりのメッセージと思えます。
私たちの社会はいま、配慮に傾倒しています。他者を傷つけてはならない。人の気持ちを考えて行動する。発言は控える。
とにかく優しく、正しくあろうとするのです。
しかしそれは防御を下げていることにもつながっているのかもしれません。攻撃的で一方的な悪意に対して、助けを待つしかないくらいに反撃する力を奪われているのかも。
ビャアンがパトリックに、なぜこんなことをするのか?と尋ねます。するとパトリックが「君が許すからだ」 ”You let me”と答えるのです。強い拒絶や反撃をしないからこそ、やってもいいんだと攻撃を続けられる。
最終的に石を投げつけられて殺されるのも動く印象的です。
実はパトリックが銃を持っているとか、何か狂気を持っているわけではない。もしかすると必死に抵抗したり、汚い手でも使えば逆に叩き殺してやることもできるはず。でもしない。
一方的に石を投げつけられても、我々は投げ返すこともせず受け続けるような社会に生きているのかもしれません。
ただ忘れてはいけないのは、この世の中には話し合いなんて通用しない悪がいること。
意地悪ともいえる皮肉を目の前にして、社会に警告もするような作品でした。
すでにアメリカのブラムハウスでのリメイクが決まっていて、ジェームズ・マカヴォイとマッケンジー・デイヴィスなどが主演の予告も出ている今作。
個人的に全部英語を話す登場人物になってしまうと、言語の壁の怖さが失われてしまいそうで不安ですが、果たして。
とにかくこちらの作品、いい意味で最悪に居心地悪くて最低で最高な作品なので、映画館でぜひ。
今回の感想はここまでです。ではまた。
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