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「ミスター・ガラス」”Glass”(2019)

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映画レビュー
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「ミスター・ガラス」(2019)

  • 監督:M・ナイト・シャマラン
  • 脚本:M・ナイト・シャマラン
  • 製作:M・ナイト・シャマラン、ジェイソン・ブラム、マーク・ビエンストック、アシュウィン・ラジャン
  • 製作総指揮:スティーブン・シュナイダー、ゲイリー・バーバー、ロジャー・バーンバウム、ケヴィン・フレイクス
  • 音楽:ウェスト・ディラン・ソードソン
  • 撮影:マイケル・ジオラキス
  • 編集:ルーク・シアオキ、ブル・マーレイ
  • 出演:サミュエル・L・ジャクソン、ブルース・ウィリス、ジェームズ・マカヴォイ、アニヤ・テイラー=ジョイ、スペンサー・トリート・クラーク、サラ・ポールソン 他

M・ナイト・シャマラン監督が送り出した「アンブレイカブル」(2000)、そして「スプリット」(2016)。その続編であり完結編である今作は、ついに今までの登場人物たちが集結し、スーパーヒーローの実在を問う作品となっています。

ブルース・ウィリス、サミュエル・L・ジャクソンそしてジェームズ・マカヴォイの3人がそろい、またシリーズからはスペンサー・トリート・クラーク、アニヤ・テイラー=ジョイも出演し、さらに今作で3人が超人なのかを鑑定する分析医としてサラ・ポールソンも出演。

シャマラン監督が長きにわたって問いかけてきた人を超える存在の最終幕ということになりますね。彼のユニバースが完結を迎えるということで私も楽しみに待っていて、公開の週末に鑑賞。かなり混んでいたのですが、いかんせんスクリーンが小さかったなぁ。

女子高生を誘拐、殺害し、逃走中の多重人格者ケビン・ウェンデル・クラム。凶悪な人格であるビーストを中心に”群れ”と呼ばれる彼が、街を震撼させている中、彼を捜索する者がいた。

デヴィッド・ダン。あの凄惨な列車事故の唯一の生き残りであり、そして自らの驚異的な力を使い自警団”緑の男”として悪人を裁く男だ。

触れるとその者の罪が感じ取れる能力を駆使し、”群れ”を探していたデヴィッドは、遂に”群れ”を見つけ出し、そしてビーストと対決することになった。

「アンブレイカブル」が2000年公開だということを考えると、かなり長い期間をかけてのシリーズ完結ということになった本作。そう、この作品はシリーズものの最終作です。

「スプリット」は「アンブレイカブル」を観ていなくても実は十分に楽しめたものですが、今作は前2作を観ていないと意味が分かりません。真面目な話、2作品の細やかなところまで必要になってくるので、さすがにこの作品だけ観ようという人は厳しいです。

今はどちらも廉価版ブルーレイもレンタルもあると思うので、まずは予習してからのほうが楽しめます。

ということで、小学生が余裕で社会人になるくらいの年月を経てのシャマラン・シネマティック・ユニバースの最後だったのですが、私としてはけっこう楽しんで観れました。

なんといっても、「スプリット」でも素晴らしかったマカヴォイの演技。”群れ”である彼が出てくるところの楽しさといったら、ずっと見てられるんじゃないかと思うほどですね。

今作では病院に収容され、衣服というメディアすら替えが効かなくなったのですが、長回しだろうが距離のある位置からの撮影だろうが、瞬時に人格入れ替えによる演技変化を見せてくれています。

今回は彼の人格入れ替えのコントロールをするある仕組みがありますが、その中で代わる代わる出てくる人物にしっかりその存在感を与えており、今作において重要な、”信じられるその存在”を体現しているキャラクターでもあると思います。

デヴィッドとの遭遇や、前作で特別なつばがりを感じたケイシーなど、彼の中の人格たちにも歴史が積まれているのですが、そこでそれぞれの人格にしっかりその人物への感情がありました。顛末を含めて、才能あるマカヴォイの演技力、傷つく者としての切なさがだせる点も大きかったと思います。

今作はシャマラン監督にとってとても大切なものになっていると感じます。

今までの2作品において、その驚異的な力を持ったものがこの世界、つまり、ヒーローのいる世界として構築された映画の中の世界ではなく、まぎれもなく映画を観ている私たちの世界に実在したらどうだろうかという試みをしてきました。

今回はその徹底的な議論を展開し、全否定からの全肯定を行うことによって、ついに本当の意味でのスーパーヒーローの実在を示したと思うのです。

サラ・ポールソン演じるキャラによって、その力の根源やきっかけなどを説明させて、一度観客とキャラクターの信念をへし折る。

そのあとシャマラン監督らしいどんでん返しで進行させていくわけですが、ばかばかしいファンタジックな点含めて上手くお話にしているなあと感じました。

あえてすべてを説明させることで、ロジカルにその力を受け入れさせ、驚異的なものではないと思わせる。これが重要でした。

説明を否定はしない。というよりも、その実在性を否定するための説明こそ、実在性に不可欠。ミスター・ガラスの言うとおり、全ての論点は正しいが、しかしその力はやはり事実なのです。

 

溢れかえるスーパーヒーロー映画。その黎明期といっていい頃にスタートしたシリーズが、完全飽和した今投げ掛けてきたもの。

私にとっては、観客とスーパーヒーローたちを同じ世界に配置したことと思います。

アイアンマンだろうがバットマンだろうが、結局はMCUとかDCEUとか、フランチャイズ世界のお話です。いくら広がったところで、隔絶があるんです。

しかし、シャマラン監督は、そうした壁を取り払って、スーパーヒーローを私たちに与えます。

問題は、自分自身を信じるかだけです。

危機に瀕したとき、失意のどん底に落ちたとき。隔絶されたスーパーヒーローを想うのではなく、自分の中の可能性と力を信じる。

クセは強いですし、いまどき多くみられるコミック映画とはやはり違いますが、コンテンツに対する監督なりの答えと、私たちへのメッセージは確立されたと感じます。

いかに否定されても、信じればスーパーヒーローは実在する。

自分の力を疑っても、善意は捨てず鉄の扉を破り、必要とされれば息子のためにヒーローになり。

無価値と思われた骨の脆い少年も、自分の存在を証明し。

虐待という残酷な運命の中から、最強の守護者が生まれた。

良質な作品かと聞かれれば頷けないですが、自己否定された全ての人に、スーパーヒーローという存在を通してエールを送る暖かな作品でした。正しいピースを見つけ出して、見方を変えれば、みんな素晴らしいスーパーパワーを持っているわけです。

シャマラン監督、めちゃ優しくて、本当にコミックと人の力を信じているんだろうなあ。私としてはとても応援したい作品です。

前2作は必修ですが、是非観てほしい作品です。

感想は終わりです。それではまた。

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