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「インクレディブル・ファミリー」”The Incredibles 2″(2018)

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映画レビュー
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「インクレディブル・ファミリー」(2018)

  • 監督:ブラッド・バード
  • 脚本:ブラッド・バード
  • 製作:ニコール・パラディス・グリンドル、ジョン・ウォーカー
  • 製作総指揮:ジョン・ラセター
  • 製作総指揮:
  • 音楽:マイケル・ジアッチーノ
  • 編集:ステファン・シャファー
  • 出演:ホリー・ハンター、クレイグ・T・ネルソン、サラ・ヴォーウェル、ハック・ミルナー、イーライ・フシール、サミュエル・L・ジャクソン、キャサリン・キーナー 他

「アイアン・ジャイアント」(1999)や前作でもある「Mr. インクレディブル」(2004)のブラッド・バード監督最新作。

前作から実に14年もの歳月を経て再びあのスーパー家族が帰ってきました。ディズニーのエキスポから世界中に期待された続編で、興行収入の方もあの「ファインディング・ドリー」(2016)を大きく超えたとか。

まあピクサー新作ってことでもちろん観たのですが、自分は熱心なインクレディブルファンでもないです。

さすがに夏休み中ともあって、劇場は子どもが多めでしたね。字幕でしたけど、満員近かったです。

あのシンドロームとの戦いから3か月。インクレディブル・ファミリーは禁止されたヒーロー活動をつづけて人々を助けていた。

しかしある時の戦いで、街に大損害を出した上に、ヴィランも逃がしてしまった。

それを激しく非難された彼らだが、その活躍ぶりをみていたウィンストン・ディヴァーはかつてのヒーロー黄金期を復活させ、再びヒーロー活動を合法にしたいと申し出てきた。

このままみじめに暮らすのに嫌気がさしていたMr.インクレディブルことボブは、これぞチャンスと思うのだが、任務は妻のヘレンに与えられてしまう。

そしてボブを待っていたのは、ヴァイオレットとダッシュ、そしてジャック・ジャックの子守だった。

前作は私が小学生の時に、母につれられて観に行った記憶があります。(年がばれるw)

レトロな覆面ヒーロー感がユニークに感じましたが、今作もそのテイストは継続していますね。

50年代風というか、今時のスーパーヒーローものにある軍用アーマーのような衣装ではなく、あくまで全身タイツにこだわり、シンプルかつ適度に角ばったり丸みがあったりのデザインで、ここはすごく好きなところですね。

しかしルックこそレトロですが、昨今特に増えたスーパーヒーローテーマを沢山盛り込んでいるのも見事です。上映時間が短いながらもよくここまで色々いれたなと。

まず女性ヒーロー活躍が目立つところでしょう。

いや、ヒーローというか、女性の活躍と社会的な役割の部分ですかね。

今回はお母さんのイラスティ・ガールが任務につき、その間ミスター・インクレディブルは家事と育児に追われていきます。

そこでの睡眠不足から教育の難しさ、繊細な思春期の扱いなど、仕事で外出していれば経験しなかったであろうドタバタがミスター・インクレディブルを襲うわけです。

彼は狼狽しあたふたする様自体もコメディでおもしろいですが、イラスティ・ガールがヒーロー活動に参加しながら家でやっていたことの大変さが見えてきます。

今作の悪役も、ロマン主義で夢見がちな男の影で、現実問題に対処する女性ですし、そういう点でも昨今のジャンルに関わらず取り上げられる女性を描いた作品に、今作も当てはまってきます。

そしてヒーロー映画のいろいろな要素として、まずオープニングすぐの街のみんなを助け危機を救ううというヒーローの代名詞シーンがあり、さらにスーパーパワーどうしのバトルもありますし、やはりこのシリーズの肝でもある、家族の協力チームプレイも存分に描かれます。

そして今作はアイドル映画の面すら持ち合わせていますね。

一家の次男にしてマスコットキャラのジャック・ジャックに、監督はスラップスティックといっても良いコメディ要素を持たせています。

彼が体で表現し、そこに色々な特殊能力の視覚的な楽しさも加わって、とにかく可愛らしく笑ってしまいます。ジャック・ジャックが主役と言っても良いレベルに観てて飽きませんでした。

女性の活躍、家族の絆、超能力バトルに育児コメディもあるんですが、私としてはそれらが表面上に乗っているだけでスライドしていった気がします。

どうにも感情レベルにまでエンゲージしなかったというか。そこまで没入できなかったというのが正直な感想です。

まず話として飲み込みずらかったのが、ヒーロー活動の是非に関して。

前作ではその力が一種の罪のように、隠しながら生きていく姿が描かれていて、最後にはパワーを隠さず人助けをする方向に向かっていたのですが、結局今回も部分的には同じ話です。

始まってすぐの活躍自体は王動的で好きですが、未だにヒーロー活動は違法ということで、なんだか同じような話に感じました。

そこの部分の解決としても、今回は悪役の操作もあって合法に持っていくのでスッキリしなかったです。

そして、肝心のヴィラン側、というか彼女の主張が解決されていないのが一番モヤモヤします。

ヒーローという超人、神に等しい存在が、人間を堕落させるという指摘。

スクリーンスレイバーは「スーパーマン ラスト・サン」におけるレックス・ルーサーと同じく論理的な批判を投げ掛け、さらに観客に対しても一種の皮肉を投げています。

この主張自体はすごく好きですし、扱ってくれるのは良かったんですが、結局しっかりとした回答がありませんでした。

「弾丸より速く、素手で列車を止める者を見て、自分も努力しようと思うか?超人は人から進化を奪う。スーパーヒーローさえいなければ、人類はもっと進歩できた。」

スクリーンスレイバーの主張は、持たない者からのカウンターとして素晴らしいと思うのです。

事実、自ら動くことを放棄し、スーパーヒーローを盲目的に信じた結果の悲劇が過去にあるわけで、そこに関しては避けていたようにも思えました。

ここでインクレディブルたちの活躍をみて鼓舞されるキャラでもいたら良かったんですけども。

スーパーヒーローは人を弱くするどころか、勇気をくれて強くする。彼らの姿は善と全能の疑似体験ポルノではなく、私たちに自分以上の存在になるきっかけをくれる。

そういうことを描けたはずですが、今作としては、超人に任せて一般人は黙ってろって感じでした。まあ才能あるなら封じ込めずに使いなさいっていえば聞こえはいいんですがね。

ブラッド・バードは選民思想的な、才能至上主義っぽいので、しょうがないかもしれないですが。

最終的な解決に向けて、ヒーロー側にもヴィラン側にも、どうにも入り込めず。

要素としては楽しく、いろいろなものが視覚的にも見れるので、つまらない映画ではなかったです。

ただ、心まで響くこともなく、にぎやかなアニメーション映画に終わってしまった作品でした。

みなさんどうでしょうね。ジャック・ジャックがかわいいのは一致するでしょうけど、どこまで愛着が沸いたでしょうか。どこまで共感し感情を共にできたでしょうか。

今回はこのくらいで終わります。それではまた~

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