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「バーニング 劇場版」”Burning” aka “버닝|”(2018)

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映画レビュー
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「バーニング 劇場版」(2018)

  • 監督:イ・チャンドン
  • 脚本:イ・チャンドン、オ・チョンミ
  • 原作:村上春樹 『納屋を焼く』
  • 製作:イ・ジュンドン、イ・チャンドン
  • 製作総指揮:イ・ジュンドン
  • 音楽:モグ
  • 撮影:ホン・クンピョ
  • 編集:デ・ウォン・キム、ヒュン・キム
  • 出演:ユ・アイン、チョン・ジョンソ、スティーヴン・ユァン 他

村上春樹による短編「納屋を焼く」を元に制作された作品。

監督は「シークレット・サンシャイン」(2007)などの韓国の巨匠イ・チャンドン。出演するのは、「ベテラン」(2015)のユ・アイン、「ウォーキング・デッド」シリーズのスティーヴン・ユァンら。

今作はカンヌにてコンペティションを争い、批評家から大絶賛を受けております。

また、バラク・オバマ前大統領が2018年の個人ベストの中に入れたことでも話題になりましたね。

2/1(金)がファーストデーだったので仕事帰りに鑑賞。満員でした。

上映終了後には「意味わかんなかった」「すごいミステリー」「切ない恋愛」など色々な声が聞こえましたけど、解釈の幅が広いものだということは確かだと思います。

日雇い労働をする青年イ・ジョンスはある日、幼いころの知り合いであるシン・ヘミと再会する。

あまりヘミのことを覚えていないジョンスだが、彼はヘミに惹かれていく。

後日、ヘミが旅行で留守の間、家で飼っているというネコの世話を頼まれるのだが、このネコは一向に姿を見せずいるのかもわからなかった。

ヘミが旅行から帰ってくると、彼女は道中一緒だったという少し年上のベンという男性とジョンスを会わせた。

ベンは若くして金持ちであり、また容姿も良い。

3人はしばし酒を飲んだり、葉っぱを吸ったりして一緒に時を過ごした。

そして、ヘミが消えた。

私は原作となる村上春樹の小説を読んだこともなく、また、今作がイ・チャンドン監督作品も初鑑賞でした。

で、端的に言ってとてつもない傑作だと思います。

この作品は単純に話を追うとしても、明確な道筋や答えを用意してはくれませんが、その点と点を観客自らがつなげ、行間を想像していく余地があまりに広くそして豊かであり、どこまでも味わっていけるような作品だと感じました。

感じ方は人それぞれではあると思いますが、この作品は私にとっては大きく分けて二つのジャンルの話と一つの大きなテーマによって構成されていると思いました。

これ自体が人によっていろいろに変容すると思うので、そうした受け取り方も楽しいところですが。

最初、シン・ヘミと出会ってからベンが加わっていき、そしてヘミが消えてしまうまで。

そこは何か男二人と女一人の恋愛劇のようでした。

奥手な主人公が恋をするけど、経済的にも容姿でもそして教養やユーモアでも勝てない男が出てきて、どうにかしたいけれどうまく身動きできない。

古典的な恋愛劇ともいえる構成になっていて、表面上は割とシンプルにも思えます。

そしてヘミが消えてしまってからは、ミステリーですね。ベ

ンに対する疑いから、ビニールハウスをめぐっての奔走。ジョンスがひとり謎を解きヘミにたどり着こうとするお話。

このような大まかな流れのようなものはありますが、全編通して感じるのは、答えの出ない生に対するもがきです。

始まってすぐに酔っ払ったヘミが、リトルハンガーグレートハンガーの話をします。

お腹が空いている者と、人生に飢えている者。後者は生きていることそれ自体の意味を求め続け渇き飢えている。

私がジョンスを通して感じるのは、この答えのない飢えでした。

どうしてこんな不況に生まれ、そしてベンと違って貧しいのか。容姿や衣服の差。不平等に理由はなく、求めても謎のまま。

なぜ自分の人生はこうなっているのか。これからどうなるのか。

年齢に関わらず普遍的な飢えですね。

父はなぜか最後まで意地をはり、電話の主は最後までわからず、焼けたビニールハウスは探しても見つからない。

そしてヘミも。

ベンはビニールハウスを燃やすと言いましたが、自宅での料理中に「メタファー」について言及しました。

汚く価値もない役立たずのビニールハウス。何を意味しているのか。

ヘミについて、「無一文で、家族も友達もいない寂しい女」と言うことや、ネコの件、洗面所の化粧箱や女性もののアクセサリーから、ある程度推測はできますが、ここでもハッキリとは答えを与えません。

「僕は涙を流したことがない。」という台詞も序盤に用意されていたり、ミステリーとしてのヒントや思わせぶりな要素はかなり周到ではあるんです。

でも私はそのミステリー性よりもむしろ、ベンもまた飢えた者であり、本当は何をしていたにしても、ビニールハウスを燃やすことが彼にとっては飢えを一時的に満たす手段だったと考えられるのが良かったです。

社会的な地位に関係なく、人はみな飢えていることになりますからね。

つまりいかに裕福になったとしても、ルックが良くても、物に溢れることができても、どこか足りない、満たされない。

人はどうしてもこうも飢えているのでしょうか。

理由が知りたいのに人生はなにも与えてくれません。

理由が分からないから、どこへ行けばいいのかも、何をすればいいのかもわからない。

自由に飛んでいきたくともそれはできず、答えを探しても見つからない。当たり前と自分で思うことだって、なぜかその通りにならず、そして不条理もまかり通る。

人生という理不尽で奇妙で謎だらけのものを、こうしてスクリーンに映し出し、イ・チャンドン監督は美しい色彩や異世界のような空気に包んでいます。

どこまでも奥深い世界、人生そのものに対し向き合って歩いていく若者。

経済格差やままならない人生にこれからずっと打ちのめされ悩み迷い続ける。それはそういうものだと受け入れさせてくれるような作品でした。

本当に素晴らしい傑作と思います。是非劇場で鑑賞してください。

感想はこれでおしまい。ではまた。

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