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「ミスエデュケーション」”The Miseducation of Cameron Post”(2018)

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映画レビュー
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「ミスエデュケーション」(2018)

  • 監督:デジレー・アカヴァン
  • 脚本:デジレー・アカヴァン、セシリア・フルギュエーレ
  • 原作:エミリー・M・ダンフォース 『The Miseducation of Cameron Post』
  • 製作:マイケル・B・クラーク、セシリア・フルギュエーレ、アレックス・タートルーブ、ジョナサン・モンペレ
  • 音楽:ジュリアン・ワス
  • 撮影:アシュリー・コナー
  • 編集:サラ・ショー
  • 出演:グロエ・グレース・モレッツ、サッシャ・レーン、ジョン・ギャラガー・Jr、フォレスト・グッドラック、ジェニファー・イーリー 他

クロエ・グレース・モレッツが同性愛者でありながら、その矯正治療のためにキリスト教系施設へと送られる少女を演じるドラマ映画。

エミリー・M・ダンフォースの同名小説を原作としています。

「アメリカン・ハニー」(2016)のサッシャ・レーンも出演、また「ショート・ターム」(2013)のジョン・ギャラガー・Jr、そして施設長としてジェニファー・イーリーらも出ています。

監督のデジレー・アカヴァンはこれが長編2作目ですが、以前に撮った「ハンパな私じゃダメかしら?」もLGBT、マイノリティを取り扱う作品でした。

私はサッシャ・レーンが次に出演する作品として注目していたのですが、日本公開はなくDVDスルーということになりましたね。ただ、海外版を輸入して鑑賞になりました。

1993年。プロムの最中に会場を抜け出したキャメロンは、クラスメイトであり恋仲にあった少女と車の中で親密な関係となる。しかし、その最中を男子学生に目撃されてしまったことですべてが一変した。

キャメロンは叔母のルースと暮らしているのだが、彼女は同性愛を重き罪と考えており、キャメロンを治療するべく”神の約束”というグループホームへと送り込むのだった。

大切な人と別れた上、神の力を信じて自分を治療しろというセラピーの日々にうんざりするキャメロンだが、グループホームの中でも浮いた、ジェーンとアダムと仲良くなる。

デジレー・アカヴァン監督の描き出すのは、同性愛者矯正施設を舞台としていながらも、あまり重苦しくない空気です。

その中にはいたるところに、ユーモアがちりばめられていて、見ていくうちに出てくるティーンたちがみんな魅力的に、好きになり寄り添っていけます。

しかし、彼らの皮肉や冗談は決して笑い事ではなく、そこをわきまえての笑いにしています。

”キャム”と呼んでいいというのに、”キャメロン”と呼ばれ、そしてSSA(同性に惹かれる)はトラウマのせいなんてもっともらしい論理で押し付けられる。

つまり現実のやるせなさにふさぎ込み、悲しく、笑うしかないところからくるジョークという点も、作品全体がどこか哀しい感覚を漂わせることに働いているのかなと感じました。

主演のクロエ・グレース・モレッツですが、いままでは結構派手だったり女性としての性的要素が色濃い役柄が多かった気もする彼女。

今作ではおとなしいわけではないのですが、セクシュアリティひいてはアイデンティティに迷う姿が素晴らしかったとおもいます。

入所してすぐの個別面談においても、「自分をホモセクシュアルと考えたことはない。自分が何かなんて分からない。」ときっぱり答える彼女ですが、この作品は同性愛者の少女が自分の解放を目指すのではなく、自分を見つけるという話だと思います。

そこで、クロエが絶えず浮かべる迷った表情が素敵だなと思いました。リアクションはするんですけど、目が戸惑っているあの表情が素晴らしかった。

自分の今置かれた環境や求められていることに対して、自分自身でどうしたいのかすら知らない彼女は、孤独な切り取られ方をしています。

セッションセラピーでヘレンと会話する際に、「何かしゃべって。正直に自分を表すの。」と言われ、キャメロンは「なんて言えばいいかわからない。」と言います。

そしてカットバックで交互に映るヘレンとキャメロンですが、ヘレンの後ろには所長や他の子供たちがいるのに、キャメロンをとらえるカメラでは、彼女の背景には誰もいなく、何もないのです。

多くの同じような境遇のティーンに囲まれながらも、初めのうち彼女はとても孤独でした。

色々なキャラクターが登場していき、ユーモアは忘れずに同時にとても残酷なことも描く。

先にも書きましたけど、皮肉な笑いがとても愛らしい作品です。

キャメロンは最悪とも思えるこの施設で、だんだんと本当の自分に気づいていくことで、自分と同じ共通点を持つみんなと繋がっていきます。

「自分自身を嫌うように押し付けるって、精神的な虐待じゃないの?」

この台詞から、キャメロンは自分を見つけたんだと分かって、どこか清々しく感じました。否定されている人格こそ、本当の自分なんだと認識しているんです。

それまでずっと世界と環境にリアクションし続けてきた彼女がついに自分で歩み始めます。

キャメロン、ジョーン、アダム。ふと抜けた空気を感じる解放感のある荷台の上、この先は厳しいかもしれないけど、自由を感じるラストでした。

LGBTに限らず、誰しも自分をみれるんじゃないかと思います。

10代の頃は愚かだなんて台詞から始まり、「10代のうちはずっと自分が嫌いでしょ」とも言われる。

その通り、自分でも自分がわからず、でも押し付けられる自分像はイヤ。私もそんな感じでしたよ。何になりたいわけでもないのに、あれこれ言われるのはウザくて。

そういう目線があるから、みんなに自分の欠片が見えて愛しいのかもしれません。

冒頭のプロムへ行くシーン。

キャメロンは叔母のルースに化粧されていました。つまり、人によって見た目、どういう人かを決められていたのです。その時キャメロンは、自分に正しく当たるライティングを見つけようと、カチカチとスイッチをひねっています。

少女が成長し、自分を形作っていく映画であり、また同性愛者への矯正治療という恐ろしく不快になる題材を真っ直ぐ描く作品であり。

90年代のお話ながら、今なお起きていることです。この作品を通して、今を生きるティーンが自分を自分で決めていくことを大切にしてほしいですね。こじんまりしながらとても素敵な作品でした。

今回の感想はこのくらいです。それではまた次の記事で。

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