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「あさがくるまえに」”Heal The Living” aka “Reperer les vivants”(2017)

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映画レビュー
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「あさがくるまえに」(2016)

  • 監督:カテル・キレヴェレ
  • 脚本:カテル・キレヴェレ、ジル・トーラン
  • 原作:メイリス・ド・ケランガル「あさがくるまえに」
  • 製作:ダビド・ティオン、ジュスタン・トーラン、フィリップ・マルタン
  • 音楽:アレクサンドル・デスプラ
  • 撮影:トム・アラリ
  • 編集:トマ・マルシャン
  • 美術:ヴァージーニー・モンテル
  • 出演:ギャビン・バルデ、エマニュエル・セニエ、タハール・ラヒム、アンヌ・ドルバル、アリス・タグリオーニ 他

「聖少女アンナ」、「スザンヌ」などのカテル・キレヴェレ監督による長編第3作目。私は監督作品は初めての鑑賞でした。

フランスのメイリス・ド・ケランガルによる同名小説を映画化した作品となっています。

出演はタハール・ラヒムやエマニュエル・セニエ、そして「Mommy/マミー」(2014)のアンヌ・ドルバルら。

前から楽しみにしていたのですけど、ちょっと日本を離れたこともあって遅れての鑑賞。朝一の早い回に渋谷で観たのですが、若い女の子が意外に来ていましたね。

朝がくる前。恋人の眠るベッドを静かに抜け出した青年シモンは、友人と合流し車で海へ向かう。

夜明けと共にサーフィンを楽しんだ青年たちだったが、帰りに事故を起こしてしまう。

シートベルトをしていなかったシモンは脳内の出血がひどく、脳死状態と診断され、両親は抱えきれない悲しみに飲まれた。

そしてそこで一つの決断を迫られる。彼の心臓が動くうちに、ドナーとして臓器提供をするかというものだ。

下半期ベストを、そして年間ベストを大いに悩ませるであろう超傑作。個人的にですがね。こんな美しい映画観れて嬉しい限りです。

今作はもちろん、臓器移植を主軸に扱っていまして、そこには絶対的な事実として17歳の青年の死という悲劇が横たわっています。

ですが、観ていて感じたもの、終わって心に残ったものは、幸せな気持ちでした。なぜなら今作には、愛がいっぱい詰まっていたからです。

まず素晴らしすぎて褒め方に困る部分を。

まあ今作の全てですけどw

とりわけアレクサンドル・デスプラの静かで優しく美しいメロディ、トム・アラリのとらえる幻想的な画面は見どころかと思います。OPすぐの海の中の撮影はなんと美しいことか。波に乗る、そして波の中にいる、波に浮かぶ。この作品は海をよく捉えていますが、この意味合いも含めて素晴らしいシーンだと思いました。

命の起源であり、全ての生が終わるとき帰る場所。命の行き来を扱う本作の始まりとして、このシーンでその人の命の美しさを提示したように思えました。

その後もずっと、非常に悲しいお話しながら美しい画面が夢のように展開されていき、人が闇に堕ちることはなく、何かしらの光を受けています。映像がずっと綺麗だったと思います。

カテル・キレヴェレ監督が持っているバランスは今作において、夢と現実を同時に画面上に展開させていたと感じます。

臓器移植という題材にあるため、そのリアリティはしっかりと感じられます。手術のシーンはまるで本当にそのフッテージを流しているかのようにリアルでしたね。

今作に多く登場する人物たち。医師やドナーコーディネーター、いわゆるプロフェッショナルたちを称えているとしても全く素晴らしく丁寧なのです。

しかし、その多くの人物たちについて、語られることは(少なくとも台詞では)ほとんど無いにも関わらず、彼ら一人一人のドラマ、背景や人生が現実的手触りを持って確かにあったと感じます。

ただ、ここでもやはりその実在感を見せる手法は、現実的ではないんですよね。

看護師はホントに一瞬だけといっていい出演ですが、あのエレベーターシーンで彼女の愛の物語が見えるわけです。現実と夢がまさに混在するような手法で。

主人公(すべての人間が主役といってもいい作品ですが)のシモンに関してはほとんどしゃべることも、そして両親が彼に関して語ることもありませんでした。ただワンシーンの思い出があるのみです。あのシーンの美しいこと。

日が射す前に事故に遭い、生命維持装置に繋がれた彼に、あのシーンではまばゆい日の光が当たっていて、そこには悲劇なんてなくて、ただ純粋な幸せと愛だけがありました。

作品の主題はシモンの死ですが、彼を悲しみではなくもっとポジティブなもので描くのです。

シモンの両親、移植を待つ女性クレアとパートナーの演奏家など愛は過去にあり既に終わったようにも思えますが、それでも物言わずに寄り添うカットから、その厚みを感じるものでした。

心臓を移植する話。

シモンの”心”が文字通り体から切り離されますが、彼の生に終わりが来たようには今作は描きませんね。彼の心はまさに体の、彼の人生を記録した箱のようです。

シモンは恋人を残して出かける際に、窓を開け放ったまま出ていきました。私にはそれが彼とまだ繋がっている何か印のように思えます。思えば、彼との別れであろう病院では、多くのシーンでドアが開け放たれたままになっています。シモンという青年はまたどこかこの世界に繋がるように。

他者の命の終わりが、また別の命を支える。そこには名前すらしっかりとは分からない、多くのプロフェッショナルや大きな決断をした人々がいました。

これだけ多くの人が必要なんです。

エンディング曲のデヴィッド・ボウイの”Five Years”があまりにマッチしていて、素晴らしくて泣けてきましたよ。

“I never thought I’d need so many people”

「こんなに多くの人が必要だったなんて思っていなかった。」

という歌詞のままですね。

人の海に浮かんで生きているすべての人たち。海は険しくも優しく、そこに浮かぶ誰が欠けてもいけない。

移植手術と言うのはメタファーで、あなたがいるから私がいて、私がいるからあなたがいる、という事に感じました。そういう意味では、この作品は全ての存在と命を癒してくれると思うのです。

心が受け継がれた後、クレアにはまるで朝日のように眩い手術室の光が当てられますね。

キレヴェレ監督、ありがとう。臓器移植に関わる全ての人を称えるようであり、また同時に、この世界に生きているすべての命への賛歌でもある。自分なんてこの大海において役目もなくただ流れているだけだと思うことはありますが、しかしそうではなく、自分が生かされているのと同じく、自分も他者を生かしている。

私の命も癒えたと思うのでした。

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