「Mommy/マミー」(2014)
- 監督:グザヴィエ・ドラン
- 脚本:グザヴィエ・ドラン
- 製作:グザヴィエ・ドラン、ナンシー・グラン
- 音楽:ノイア
- 撮影:アンドレ・ターピン
- 編集:グザヴィエ・ドラン
- 衣装:グザヴィエ・ドラン
- 出演:アンヌ・ドルヴァル、スザンヌ・クレマン、アントワン=オリヴィエ・ピロン 他
天才若手監督と名高いグザヴィエ・ドラン監督の5本目の作品で、カンヌ映画祭やカナダの映画祭で高い評価を得ました。
公開は先月の下旬でしたが、ようやっと私は見に行くという足の遅さ笑
しかしこの監督19でデビューして速攻カンヌ、25歳で今作を撮るとは・・・希望の星ですね。
公開から経っているのですが、なかなか人が多かったです。有楽町のヒューマントラストで見てまいりましたよ。
架空のカナダ。そこでは新法案が成立していた。
「障害を持つ子の親が、精神的、肉体的苦痛に耐えられないとき、法的な手順を踏まずに入院施設へ預けることができる。」
そんなカナダに住むダイアンは、夫を亡くした未亡人。彼女は1人息子を迎えるため、厚生施設へ向かっていた。
息子のスティーブはADHDを患っており、突発的な行動など問題を抱えているが、大事な息子とまた一緒に暮らせることに、ダイアンはほのかな幸せを感じていた。
やはり印象的なのは、この映画のアス比ですよ。映画ってスタンダードやらビスタやら、普通は黒い帯が上下にあって、長方形の形です。しかしこの映画では左右に大きく帯を付けたように、画面がほとんど真四角です。
もちろん、抑圧や心理的な苦しさと閉塞感、これらにリンクした作りなんですが、私にとっては中盤のシーンがすべてでした。
スティーブが文字通り枠を押し広げ、自由になったと、前の一人散歩とは逆に希望にあふれたシーン。もちろんただいつも見ているサイズの画面になっただけですが、あの解放感と高揚感。
「世界はこんなに広く美しかったのか。」となんだかそれだけで嬉しい気分でした。
この解放が再び狭められていくのは悲しくも、やはりうまい画面遊びですね。
演出面も好きですね。
主題的には母と子の関係ですけども、カイラの存在は疑似母のような感じです。若干母という地位が脅かされるような空気を感じました。ダイアンとカイラの談笑で青白い画面に絶えず雷の音が混じっていたり。
そういう中では、あの写真を撮るシーンが印象的。
スティーブが二人に挟まれ、初めにダイアンと肩を組んで撮ろうとし、光が悪いからと反対側から取り直す。そうすると、今度はスティーブと肩を組むのがカイラになったんです。
なんてことはないただの写真撮影ですが、見事に物語上の人物関係が表現されています。
ここでは、カイラの方にスティーブが傾いた、もしくは母以外に心を許す存在ができた、という意味か迷いました。
ただ、そのあとのシーンでスティーブとカイラが通りで話すシーンがあり、そこでは道路の中央線(黄色でくっきり)を挟んで話しているのです。
それをまたがないから、スティーブがカイラに傾いたのは無いかなと思います。
加えて、後半のスティーブの自傷場面にてまたダイアンとカイラに挟まれるショットがあります。そこではどちらの肩をではなく、両方に肩を借りて支えられている。呼応した素晴らしい作りに感動ですよ。
母と子の関係として、残酷だったのは(最後もですが)あのカラオケバーです。
弁護士のポールもちょっと最低。年頃の息子の前で、その母を誘うとか大人としてどうかしてますね。
ダイアンは息子のために必死になるわけですが、スティーブにとっては最悪の状況でしょう。この辺りは私はかなり共感できた場面で辛いものでした。
それまでずっとポップミュージックをかけていたスティーブが、かなりせつない曲を選んで歌います。真摯に母親へ訴えるように。スティーブには真っ青なライトが当たって、悲しみの底にいるような演出がなされています。
痛烈な終わりへ向かうというのはわかっていたことです。
母がみた息子の輝く人生はピントがずれてぼやけ、世界は四角におしこめられてしまいます。悲惨な終わりながら母の押し殺した毅然とした態度が胸を打ちます。やはり役者の素晴らしい演技なしには成立しないドラマです。
とにかく心を打つ母と子の話に、効果的な画面などの演出。
女性、母としての過酷さが見え、子供の側からの切ない渇望ものぞける映画でした。もう終わっちゃうかもですが、おすすめです。今回はこれで、それではまた。
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