「スティルウォーター」(2021)
- 監督:トム・マッカーシー
- 脚本:トム・マッカーシー、マーカス・ヒンチー、トーマス・ビデゲイン、ノエ・ドゥブレ
- 製作:スティーヴ・ゴリン、トム・マッカーシー、ジョナサン・キング、ライザ・チェイスン
- 音楽:マイケル・ダナ
- 撮影:マサノブ・タカヤナギ
- 編集:トム・マクアードル
- 出演:マット・デイモン、アビゲイル・ブレスリン、カミーユ・コッタン、リル・シャウバウ、イディル・アズーリ 他
作品概要
「スポットライト 世紀のスクープ」などのトム・マッカーシー監督が「フォードVSフェラーリ」や「最後の決闘裁判」のマット・デイモンを主演に送るクライムドラマ。
フランスのマルセイユで刑務所に入る娘の無実を証明するために、アメリカから来た父が現地の人の助けを得ながら奔走します。
マット・デイモンの娘役には「リトル・ミス・サンシャイン」のアビゲイル・ブレスリン、そしてマルセイユで主人公を助ける親子として「マリアンヌ」などのカミーユ・コッタン、娘役にはリル・シャウバウが出演しています。
作品の着想はおおよそではあるのですが、「ペルージャ英国人留学生殺害事件」において起訴され無実となったアマンダ・ノックスの件から得ているそうですね。
あくまで着想的な部分であり別にこの事件についてはあまりしらなくても観れます。
トム・マッカーシー監督の新作ということもあり、1月公開作品の中では観たいと思っていた作品です。
後悔された週末には行けなかったので、平日の夜の回で観てきました。夜でしたが人はそこそこいました。
〜あらすじ〜
アメリカの田舎町スティルウォーターで暮らすベンはフランスのマルセイユへと向かう。
現地の大学に入学した娘に会いにいくのだ。ただし、娘のアリソンは恋人を殺害した罪で刑務所にいるのだった。
いつもの面会の際、アリソンはベンに一通の手紙を託す。
これを弁護士に渡し調査を進めてほしいという。
弁護士は手紙を読んだものの、希望は無いと言い調査はできないと主張した。
通訳を介し、手紙の内容から娘の無実の証明に繋がるある男の存在を知ったベンは、一人言葉も通じないマルセイユを奔走する。
トム・マッカーシー監督は驚くべき展開と語りで、複雑で重苦しくもある人生の受容について見せていると思います。
プロットはシンプルです。
異国の地で娘を刑務所から出すために、父が一人危険な道を進んでいく。それだけ。
特徴のないプロットから思わぬ展開を見せていく
これだけであれば結構聞いたことのあるような題材です。
スリラー味を持たせたり、アクションや犯人探しのミステリーにも展開できると思うのですが、今作は私が想像もしなかった転がり方を見せてきました。
この下地からこういうふうにストーリーを展開し人を描いて行けるものなのだと感心しました。
第一幕としては普通なのかもしれません。ある種の身勝手さをはらむ父の愛情。
自らの贖罪の旅とも思えるマルセイユでの真犯人探しですね。
しかしここは異国の地。
マッカーシー監督はベンを主人公にしてアリソンを救うための奮闘を描きますが、序盤から同時にアメリカ人が周囲の世界からどのように見えているのかを入れ込んでいます。
ありきたりな映画であればこのアメリカ人のヒーローは無能な警察や弁護士を横目に真犯人を突き止め、自らの力(おおよその場合には暴力)で事件を解決するでしょう。
でも今作は違います。
とことんマット・デイモンが演じる父ベンは無能で空回り、大切なものを守れずむしろ危険に晒してしまう。
マット・デイモン自身がなんか国際的なヒーロー像が似合うこともあるのでこの時点で意外な話運びでした。
ベンはアメリカでは”ラフネック”と呼ばれるキャラクターで、石油関連の肉体労働者の典型的なタイプだそうです。
いつも目深に防止を被っていて、寡黙で表情も変えない。それでもフランス語もわからず文化も分からない中で絶対に折れない。
ベンがヴァルジニーと口論になる初めてのシーン。象徴的です。
差別主義者に憤るヴァルジニーを前に、1つの目的のために進もうとする。
二つの父と娘の関係
第二幕に入ってからはガラッと変わり、異国文化交流、人と人との暖かな柔和でした。
ここに来るとマルセイユでお世話になるヴィルジニー、マヤ親子とのなんとも微笑ましい映像の連続に。
特にマヤを演じたリル・シャウバウの魅力が素敵。可愛らしく自然で、でも後の緊張感あるシーンでも良い演技をしていました。
ベンは彼女に対し、自身がアリソンをネグレクトしていたこと、マヤを通してできなかった”父親役”を果たそうとしたのでしょう。
ただし、やはり娘のアリソンとの関係性がベンを離しません。
アリソンはやたらと画面に出てくるわけではないのですが、ベンの視点で進んでいく今作ではもっとも緊張する相手になっています。
本当に素晴らしいのですが、押し殺し表に出さずとも苦悩や迷いを感じさせるマット・デイモンと、同じく腹に1つ抱えるアビゲイル・ブレスリン。
二人が面会室で会うのは、家族水入らずの時間というよりも闘技場です。
父と娘として難しい過去を持つ二人が、ただ相手に対峙するしかない小さな部屋になっています。
マヤと比べるとベンとアリソンの関係性にはハラハラしました。
何せはじめは妄信するように娘を信じ、レイシストだろうが犯罪行為だろうが構わないというベンが、特に後半は疑念を抱くわけです。
ベンはアメリカから見るのではなく、マルセイユに来てもう一度アリソンの事件を見直すことで、違う景色を見たわけです。
ちなみにこのマルセイユの街を撮るにあたり、あまり道路とかの遮断を行わずに、TV番組のロケっぽく撮影したのだとか。
息づく街並みを最大限に生かし、異なる環境に放り込まれたベンを映し出すために、そのライブ感を重視したそうです。
作品の前後にも道のある人生
映画が始まる前に親子関係は崩れており、事件は置き既に数年アリソンは服役している。
脈々と続いてきた過去に今が重なり、未来を選択する。
簡単な解決などない。
現実に即した描写でベンを追い込んでいく今作は、彼の信条を揺さぶります。
ラフネックとして誰にも譲らない姿勢を持ち続けていたベン。彼は本当に謝らないんですよね。頑固というか。
そして常に神を信じ祈っている。
ただ彼の信じるものは通じず、全く文化も異なるマルセイユに来て、娘を信じていていいのかも揺らぐ。
ただそれは彼がマルセイユに来てからのすべての行為を疑うことでもあります。
取り返しのつかない行為を持ってやはりベンは良好な人間関係を壊してしまいます。
当初の目的自体は果たせたとしても、もうアメリカのラフネックとして世界を観ていたベンはいません。
世界に対する認知が変わっても、受け入れて生きる以外に選択肢はない
彼は自分自身や世界に対する認知が変わってしまった。これは不可逆的なものなのです。
ハリケーンの後始末をしていたビル。
大惨事に見舞われたら、乗り越えるだけでは済まない。後始末をしてその後も生きていくのです。
華々しいオクラホマの式典の中暗く、人生は続く。
オープニングと全く同じ画面構成でまったく同じようにベンが自宅に帰ってくるカットがあります。
ただ、何もかも変わってしまっている。
娘の言ったようにすべての運命を受け入れて、人間は生きていくしかないのです。
世の中に対する信仰を失ってしまったとしても。ベンはこれからも神に祈ることができるのでしょうか。
トム・マッカーシー監督は馴染みあるプロットから意外な物語を引き出したと思います。
無実の娘のために父が奔走する・・・そこからこうした展開と描写ができるものなのかと感心してしまいました。マット・デイモンが彼のライカブルな俳優性を削って挑む無骨な男も楽しめます。
少しでも興味があればこちら劇場鑑賞をお勧めしたい一本でした。
というところで今回の感想はこのくらいになります。
最後まで読んでいただき、どうもありがとうございました。
ではまた。
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