「10クローバーフィールド・レーン」(2016)
- 監督:ダン・トラクテンバーグ
- 脚本:マット・ストゥーケン、ジョシュ・キャンベル
- 製作:J・J・エイブラムス、リンジー・ウェバー
- 製作総指揮:マット・リーヴス、ブライアン・バーク、ドリュー・ゴダード
- 音楽:ベアー・マクリアリー
- 撮影:ジェフ・カッター
- 編集:ステファン・グルーブ
- プロダクションデザイン:ラムジー・エイブリー
- セット:ミシェル・マーチャント
- 出演:メアリー・エリザベス・ウィンステッド、ジョン・グッドマン、ジョン・ギャラガー・Jr 他
J・J・エイブラムスのバッドロボット製作、監督には今作が初の長編監督であるダン・トラクテンバーグ。
この人はショートフィルム2つにTVシリーズを1話撮っただけの人ですが、まあ見事なデビューになったのではないでしょうか?
主演には個人的に「ダイ・ハード4.0」(2007)でマクレーンの娘を演じていたのを覚えている、メアリー・エリザベス・ウィンステッド。
そして堅実かつ非常に巧みな演技を見せてくれるジョン・グッドマン。さらにトニー賞を獲得しているジョン・ギャラガー・Jrが参加。
2008年の「クローバーフィールド/HAKAISHA」の続編とも言われてはいますが、物語上のつながりは無いに等しく。製作はエイブラムスだし、そもそも日本での宣伝に違和感がありまくる本作です。素直に観に行っていいかと。
恋人と喧嘩し、逃避行の中にあったミシェル。しかしその道中で事故に遭ってしまう。
気が付くと点滴を打たれ、けがをした足には処置がしてあった。しかし、場所は病院ではなく何メートルか地下の部屋のようで、彼女はチェーンで繋がれていた。
そこに太った髭の男が現れ、「大きな攻撃を受け、地上の人間は死に絶えた。私が拾った君は運が良い。」という。このハワードという男がこういう時のために作り上げた地下シェルター、そこにミシェルはいるのだと。そしてここにはもう一人、エメットという男も非難しているようだ。
ハワードの話が信じられないミシェルは、どうにか地上への脱出を図る・・・
今作はエイリアン攻撃とか、侵略とか、そういった要素も盛り込まれていますが、何より大切なのは密室でくり広げられるサイコスリラーであること。
たった3人ほどの登場人物で、この映画はほとんど一つのシェルターの中で進行していきます。それを興味深く見ていられるのも、やはり一定の緊張が常にあるからかと思いました。
オープニングから不安をあおる音楽のみが流れており、主人公はしゃべらずに焦りながら身支度をしています。
観客としては何が起きていて、なぜ急いでいるかなど説明もされません。そこからなんとなく彼女が喧嘩別れしている・・・とわかったころには、車の激しいクラッシュが起こり、暗転からすぐにシェルターへと移っていくのです。
ミシェルと同じように、観客も何もわからないままにシェルターに閉じ込められてしまうのです。
そしてここに来てからは一切外の、外からのショットがないのも上手いところですね。音や振動でしか外の様子がわからない。そして何よりの情報源は、ジョン・グッドマン演じるハワードの言葉です。
このジョン・グッドマン、最高。いや、最悪というのが普通でしょう。こんなに嫌な同居人、兼家主はいませんね。ちょうど同じような状況としては「エクス・マキナ」(2015)のネイサンがそっくりです。
そういえばどっちも家主による超落ち着かないミュージックシーンがあったか。
手の痙攣に言葉詰まり、息の荒さまでとにかく何かしらのノイズと不安を放出してきます。彼こそがこの状況のキーでありながら、観客はミシェルを通して信用と不信を行ったり来たりするのです。
エメットに話しかけられて、いちいちテレビを一時停止するハワード。少女誘拐疑惑が浮上した直後、音楽にノリノリでピストン運動とかw
しかも終盤で髭を剃りますが、あれがもう意地悪ですね~
髭を剃るってことはつまり身だしなみ、周りへの意識ですから、ミシェルに対してそういう気持ちをむき出しにしたわけです。
信じていいのか、悪ではないのか。二転三転し、決定打を打たずに焦らしてくる作りにもうヒヤヒヤしました。ベアー・マクリアリーの音楽も煽りまくる!
さて、私は今作においてすごくプロップ、小道具の使い方に感心しました。
オープニングすぐの酒瓶のカット。意味深にこれを持って行ったことを伝えていましたが、しっかり後で生かされている。リマインドも中盤であるくらいしっかり考えられているんですね。
その他にも最初に作ったひっかけ棒、通気ダクトなど一回だけでなくものが使われています。なのでここで役立つアイテムの紹介が大事。しっかり印象付けることで、自然に使用されていくようなシームレスさが保たれています。
後の防護服のカーテンには、アヒルちゃんが書かれていまして、初めのトイレシーンで出てくるものだからギャグっぽくもなり印象に残ります。
そしてミシェルのマニキュアがちらちらと映り、だんだんと剥げていくのが時間経過や彼女の精神的な疲弊を表すようで巧いです。
雑誌や服で娘の話を運んでいき、ミステリーの手がかりに。さらに冷凍スプレーもしっかり使う。
パズルは時間つぶしにということでしたが、ここでピースが足りないというのもステキ。何かがしっくりこない、どこかおかしいという状況説明にもなっています。
とにかくこの映画、出てくる小道具みんなにしっかりとした導入、再記憶、活躍が与えられているんです。これだけでもすごく観ていて楽しい。
その他撮影部分では、余白が個人的にはドキドキしたポイントです。
2人が話しているところで、ちょい引きで撮影することが多めでしたが、その無駄にできている余白に、いつ3人目が出てくるのかと緊張してしまいました。
逆にカットバックで2人の会話を映していると思ったら、急に3人目が出てくるもの怖い。もう全部怖い。
宣伝ではガンガンエイリアンの侵略もので押してますけどね、密室スリラーですよ。
じゃあエイリアンいらないんじゃって?それがなくちゃダメ。
その要素を取り払うと、ハワードの正しさと嘘の混合が無くなってしまう。
正しくもありながら間違っている、そのバランスゆえの信頼と不信なんですから、物語が単調な善悪問題になってしまうのはつまらないです。
この映画は異常下においてのハワードという男の帝国建設映画でもあります。終末思想に憑りつかれていた彼にとって、この侵略は待ちに待った時。
自身が預言者であったことを証明し、絶対的な(物資的にも武装的にも)権力者となり君臨しようとするわけです。そして得られなかったものを得る。
現実にも災害時や戦時に、その本性をむき出しにして自分にとっての帝国を作ろうとする人間はいますからね。その縮図的にも思えました。
そしてそれに対抗するのは、ミシェル。彼女はそもそも難題にぶつかってそれから逃げることでこの物語を始めました。逃避行が出発点だったのです。
もちろん頭も切れて行動的な彼女はシェルターから出ようとはします。しかし最初にあの女性を見たとき、彼女は「しない」という選択をします。
後にエメットと告白し合うような、「すべき時にそれから逃げてしまう」状況です。しかしある瞬間からついに決断し、バスのチケットを眺めて「やる」ことにする。とことん戦うのですね。
とことん外を映さなかったカメラがついに外に出る。そしてなによりマスク内部も撮っていて、散々息苦しかったわけですから、脱ぎ捨てたときの解放感がすさまじかった。
最後までやり抜いたミシェルが、(まあベタではありますが)する選択。安心と保護に甘んじていた自分から変わり、「やる」方を進む彼女になにか鼓舞されるような気持になりました。
張りつめる緊張に、ジョン・グッドマンの怪演。メアリーのちょっとあどけない感じは相変わらずかわいいです。
見どころは私はやはりプロップの見事な扱い方と脚本への組み込み。クローバーフィールドを知らなくてもなんも問題ないので、是非劇場へ。
そんなところで感想はおしまい。それでは~
コメント