「エノーラ・ホームズの事件簿」(2020)
- 監督:ハリー・ブラッドビア
- 脚本:ジャック・ソーン
- 原作:ナンシー・スプリンガー『エノーラ・ホームズの事件簿シリーズ』
- 製作:メアリー・ペアレント、アレックス・ガルシア、ミリー・ボビー・ブラウン、ペイジ・ブラウン
- 音楽:ダニエル・ペンバートン
- 撮影:ジャイルズ・ナットジェンズ
- 編集:アダム・ボスマン
- 出演:ミリー・ボビー・ブラウン、ルイ・パートリッジ、ヘンリー・カヴィル、サム・クラフリン、ヘレナ・ボナム=カーター、フィオナ・ショウ、バーン・ゴーマン 他
ナンシー・スプリンガーによるミステリー小説シリーズ「エノーラ・ホームズの事件簿」を映画化した作品。
あのコナン・ドイルによる有名な探偵シリーズ「シャーロック・ホームズ」シリーズの創作であり、彼に妹がいるという設定で展開する物語です。
主人公エノーラを演じるは「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」などのミリー・ボビー・ブラウン。
また母親役には、ヘレナ・ボナム=カーター、そして一番上の兄マイクロフトをサム・クラフリン、シャーロックをヘンリー・カヴィルが演じています。
このエノーラ・ホームズシリーズは、基本的な世界設定や人物などは本家シャーロック・ホームズシリーズを原典としていますが、エノーラ自体は創作のようです。
監督を務めるのはハリー・ブラッドビア。「キリング・イヴ」や「フリーバッグ」などのTVシリーズの監督を務めてきた方で、今作で長編映画監督のデビューとなったようです。
もともとは劇場公開向けに製作進行していた作品ですが、新型コロナウイルス感染症の拡大を受けてネットフリックスによる配信公開へと切り替わりました。
ホームズは小学校のころに図書室の借りて読んだくらいかつエノーラ・ホームズは未読です。今回はただ単にミリー・ボビー・ブラウンの映画主演なので興味があってみてみました。
母と二人でイギリスの郊外に住んでいるエノーラ。母からは武術や科学、物理に文学など様々な教育を家で受け、エノーラは非常に独立して聡明な少女に育っていた。
しかしある日、母が突如疾走する。
行く先も不明のまま消えた母に戸惑いながらも、エノーラは二人の兄を迎えに行った。それは官僚のマイクロフト、そしてかの高名な私立探偵であるシャーロックだった。
兄たちは母が自分から家を出ていったと推測し、保護者のいないエノーラを淑女を要請するための寄宿学校へ入れると決めた。
エノーラは束縛する学校になど入りたくはなく、また母の残した暗号に気づいたことから一人で母を追いかけてロンドンへ向かう。
しかし、忍び込んだ列車の中で、家族から逃げ出し隠れていた伯爵テュークスベリーと出会い、謎の殺し屋から彼を守ったことで思いもしない陰謀に巻き込まれていく。
私はこれまで、ミリー・ボビー・ブラウンがスターダムに上がった切っ掛けの作品である「ストレンジャー・シングス」を観たことがなく、映画としては「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」だけ(あれも人間は置物なので正直意味はない)しか彼女を観たことがなかったわけですが、今作は彼女のアイドル映画として魅力を炸裂させていると思います。
正直こんなに可愛らしく活気ある俳優だったとは知らなかった。
特に今作のエノーラにあるような、気丈さやどこかしら感じられる気品も持ち合わせた俳優に感じます。
ただ単純にティーンアイドル的なわけではなくて、個人的にはちょっとキャリー・フィッシャーとかを彷彿とする気高さがあるなと思います。
彼女自身の年齢的にも、ときに幼さを見せながら、しかし年齢よりももっと強い信念を見せてくれ、その冒険を盛り上げ観ている側を引っ張っていく力を感じました。
またエノーラの造形がそのまま作品のトーンにも合致しているのは良いですね。
シリアスすぎずどこか無邪気なところもあり、殺人や陰謀が背景にありそれを時に命を危険にさらして解決していく話ながら、愛らしく親しみやすいテイストに仕上がっています。
エノーラがかなり自由な感性を持っているからこそ、そこに変装やいわゆる時代設定でいう”淑女”ではできない大胆さがあります。
その目立つようなしかし勇気ある行動には、コミカルさを感じながらも、新鮮な風としての清々しさも感じられ、何よりエノーラだからこそ事件の真相へと行きつけるというロジックにもなります。
少年の格好をしてみたり、またドレスを着飾りレディとして街を歩き、ある時は喪に服す黒い衣装で潜入して見せる。
探偵ものなのに怪盗のような衣装チェンジ。
エノーラという主人公だからできることで、これは男性の探偵であれば振れ幅の小さいところだと思います。性を簡単に通り越していったり来たりする自由さも、男性にはない部分でしょう。
快活なエノーラを見ていくのは楽しいのですが、一方でややその女性映画性やフェミニズムを押し出しすぎる点もあり、若干気になってしまう目立ち方をするのも事実だと思います。
もちろんエノーラがそうしたことに反抗的でありバーバルに発信していくキャラクターなのではありますが、コルセットについて「女性を抑圧する象徴」とセリフとして出す必要性は低いのかと思ってしまいます。
その点は人によるとは思いますが、あまりにセリフで女性に対する束縛や不平等を言わせなくても良かったのではと思いました。
まあヤングアダルトのジャンルという点ではそこに来るオーディエンスは10代という意識からすると、率直に言葉で発信するのも必要かもしれませんが。
周囲をかこっている大人たちの描写に関してもキャラクターとしての紹介は良い感じで、出しゃばり過ぎないのもバランスがよく全体のテンポの良さにつながっています。
あくまで主軸はエノーラとすること。
彼女自身の視点から観客が事件を紐解いていく。
ほとんど周囲のキャラクターに成長の余地とかドラマ性を与えていないんですよね。エノーラが自分自身の道を切り開いていく、独立していくことを主とする。
それによって最後まで、作品の着想とは反して”シャーロック・ホームズの妹”として描かれていないのが本当に素晴らしいです。
その独立についても、時代の変革が見て取れます。
エノーラには女性という点を武器にするような前時代的な強い女性感はないですし、同列に男性主人公が行ってきた探偵のアクションをこなしています。
そこに全くの差異がない。
女性だからこうだという制限がなく、脚本の中ではむしろ前述のように女性だからこそより自由に潜入しているところすらあります。
戦闘すら武術を母から授かったことで一人でこなして見せる。何も遅れることはなく、知性でも兄より先を行った。
彼女を囲む背景としては女性の参政権が置かれており、母の紫のリボンや隠し倉庫から、おそらく彼女はサフラジェットであることもうかがえます。
ヘレナ・ボナム=カーターは「未来を花束にして」(2015)にもサフラジェットとして出演していますが、まさに女性にとって新時代の幕開けであるシーンに、こうして現代における新世代たるミリー・ボビー・ブラウンが新しい風としてエノーラを演じたということですね。
今作はエノーラが第4の壁を破り、頻繁に観客に話しかけてきます。
「未来は自分次第」
この時代に誰かによって作られた”女性の幸せ”と”人生”を生きるのか、自分の幸せを求めていくか。この言葉は単純に母からエノーラに向けられるものではなく、エノーラから見ている私たちに向けられる。
とにもかくにもミリー・ボビー・ブラウンのアイドル映画として完璧なんじゃないでしょうかね。彼女主軸に彼女自身のアイコンとしての強さもあり、そしてチャーミングさも発揮されている。
やや直接的で気になるフェミニズムがあったとしても、愛らしく快活なエノーラにぐっと引っ張られていく冒険心溢れる作品でした。
今作は続編製作も決まっているようですね。次は劇場公開するか、それともまたNETFLIXと組んでの配信になるかはわかりませんが、楽しみにしておきます。
ということで今回の感想は以上。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
ではまた。
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