「ソー:ラブ&サンダー」(2022)
作品概要
- 監督:タイカ・ワイティティ
- 脚本:タイカ・ワイティティ、ジェニファー・ケイティン・ロビンソン
- 原作:スタン・リー、ラリー・リーバー、ジャック・カービー『マイティ・ソー』
- 製作:ケヴィン・ファイギ
- 音楽:マイケル・ジアッチーノ、ナミ・メルマド
- 撮影:ショーン・マウラー
- 編集:メリアン・ブランドン
- 出演:クリス・ヘムズワース、ナタリー・ポートマン、テッサ・トンプソン、タイカ・ワイティティ、クリスチャン・ベール、ラッセル・クロウ、
大ヒットマーベルヒーロー映画「マイティ・ソー」シリーズの第4作目となり、MCUシリーズとしては29作品目。
前作「マイティ・ソー:バトルロイヤル」に続き、「ボーイ」や俳優としては「フリー・ガイ」などのタイカ・ワイティティ監督がメガホンを取ります。
主演はもちろんこれまで通りクリス・ヘムズワース。また「マイティ・ソー:ダーク・ワールド」以降はMCUに登場していなかったジェーン博士役にナタリー・ポートマンが戻ってきます。
その他テッサ・トンプソンが出演。また今作ではゴアとして「ダークナイト」では正義のヒーローバットマンを演じてきたクリスチャン・ベールがヴィランを演じます。
マーベルのヒーローとしては初めて4作品目まで単独キャラとして映画が作られることになったソー。
もともとフェーズ4の発表に際してタイトルが公開されたり、その後のプレスではナタリーが戻ってきてムジョルニアを掲げて女性版ソーの実現が示唆されたりとなにかと話題な作品でした。
話題作であり日本でも最速上映とか企画され盛り上がっていました。公開週末に今回は通常膜で鑑賞。やはり今やMCUは人気のコンテンツ、ファッションみたいな意味もありますので若い方が本当に多くてにぎわっていました。
~あらすじ~
サノスとの戦いからしばらく。
雷神ソーはアスガルドの民をヴァルキリーに託し地球を離れた。
ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーのチームとともに、宇宙の救難信号に応えていたソーだが、多くの闘いを経てなお拠り所を持てずにいた。
そんなある時、かつての戦友であるシフからの救難信号をキャッチする。ゴッド・ブッチャーという強敵が、各宇宙の神々を殺しまわっているという。
戦場に残されていたシフを助けたソーは、急ぎ地球に戻るも、ゴッド・ブッチャーことゴアが影の軍勢を率いて襲ってきた。
そこに加勢してきたのは、なんと砕けたムジョルニアを復活させ操るかつての恋人ジェーン。
なんとかゴアを退けたソーと新生マイティ・ソーは、ほかの神々の集う集会に行き、ゴアを倒すためのチームを作ろうと計画した。
感想/レビュー
初めて全体のMCUとして一人のキャラクターの4作目が制作されることになったわけで、大河ドラマ的な壮大さを予感させつつも、前作のシフトチェンジからトーンは引き継いでいます。
思えばケネス・ブラナーからの流れでは、もっと落としたトーンでした。
それが前作にあたる「マイティ・ソー バトルロイヤル」で完全に刷新。まさにタイカ監督の十八番たる幼稚な大人たちの劇に。
私としては今作でも、語ろうとする内容とタイカ監督の資質は合致していると思います。
ただ受け入れる題材側がかなり壮大になってしまったこと。
とにかく派手でCGに溢れたマーベルヒーローの中では、資質が空回りした印象です。
作品自体が冗談のようだが、おもしろくない
率直に言うとつまらない。
それはギャグが効いてこないことにもありますが、そもそも過剰なギャグテイストが、全体を軽いものにしてしまい、響くべきところですらなんだか冗談のようで。
そして冗談にかける時間が長すぎて、心情面での飲み込みに猶予がないことが原因です。
多くの事項が、かつてタイカ監督が扱ってきたテーマに重なります。
ゴアとソーは互いに崇めていた存在に幻滅します。
ゴアは神々に、そしてソーは憧れの神ゼウスに。
この英雄像の崩壊はまさに「ボーイ」で少年が父に対して経験したそれですね。
また、父の不在や父の役割といった点もこれまでに通ずるものがあります。
そうした要素は確かに得意分野のはずなのですが、いかんせんすべてにギャグを詰め込んでいくトーンのせいで、肝心な部分ですらのめりこめずにネタとして処理されてしまいます。
要素があると言ってもゴアは序盤に背景説明シーンがあるからまだしも、ソーは急にゼウスが憧れの神だとか言われても困りました。
シリーズとして展開してきている以上、急な設定では困惑します。
軽い扱いは心を遠ざける
さらにそれが薄いというだけでなく、きっかけとなるあるシーンでは個人的にやってはいけないことをしています。
キャラクターの安否や生死を軽んじるということは、つまり観客の心配、思慮を遠ざけることになります。
ギャグとしてやるのもどうかと思いました。あれについては微塵もおもしろくなかった。
ムジョルニアとストームブレイカーにおける元カレ感とか愛の取り合いみたいな模様は新しく、邪魔にはなっていないので良いのですが、冴えてるギャグシーンがないのはタイカ監督作品としては残念でなりません。
全体に顔色うかがったような要素
ジェーンについてはさすがのナタリー・ポートマンでカッコよかったですし、原作のソーに近しい設定は嬉しいところです。
とはいっても、彼女がヒーローになる物語としては不十分ですし、これまでの”超能力はなくとも、自身の努力で自立した強い女性”としての要素がなくなった点は残念。
また前作でもそうでしたが、LGBTQのキャラクターであるヴァルキリーの描写もなんだか。
もはやマーベルもといディズニーとして社会的責任があるから標示のように入っているだけで意味がないですよね。
ゼウスの侍女?の手にキスして去っていくシーンは流石に心乱されちゃいますけど。
全体に置きに行ってるだけで処理に困ったところをギャグでごまかしてるに過ぎません。それだからかわされている感じが強いですし笑えないです。
最終的な帰結もお粗末に感じます。
愛を遠ざけていたソー。愛を失って世界を恨んだゴア。
対比しきれていないのになんで最後はああなるのか。
タイカ監督が描いてきた英雄の崩壊から自ら英雄になることを選ぶ男。父になる。
すべてが唐突すぎるんです。広げた風呂敷を畳めないから無理にクシャクシャにして、笑ってごまかしてるだけです。
ラストバトルの子どもたち。監督が得意な”ごっこあそびする子どもたちだと捉えれば納得できますが、ごっこ遊びではなくマジの戦いだと意味が変わりますよ。
締めるところ締めないと意味がない。
満足のいかない旅路
ここまで多くの喪失を繰り返し、今作では究極の愛までも失ったソー。
ソーは喪失を受け入れて、愛のために最後の時間を使いましたが、ゴアは結局認めずに執着することを選んでいますので、その点が気になります。
長い英雄としての旅。
超人ではあったがふさわしくなかった彼が地球で学び、その後はチームを経験し母も父も弟の死も経ながら、雷神として覚醒。
それでも何もできなかった無力さから一時はふさぎ込むも、やはり正しきことのために立ち上がる。
それで終わってよかった気もします。
今回のチャプターが本当に必要だったのかなと。
あと細かいこと言いますが、業界紙でもニュースになっていて、ここまで最近のMCUの映画、ドラマを見ている方なら感じているでしょうけど、CGの質が悪すぎる。
モデリングとかしてる人は悪くないです。無理な納期で連発で作品出すからです。
ジェーンがマスクオンするシーンとかもうプレビズかよってくらい酷くてびっくりしました。慌てて作っても良いことないです。
かなり文句ばかり言ってしまいましたが、とにかくハマらなかったしつまらなかったです。
タイカ監督は派手な世界と本当に大きなブロックバスターの中で何かを失っていると思います。
ニュージーランド映画のときの、小さな田舎の家族で起きていた魔法や心打つ切なさはどこへ行ったのか。
シリーズファン、MCUファンは外せない映画ですので観るのでしょうけれど、私としては観ずにいても良かったかなと思ってしまう作品でした。
というところで以上です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
それではまた。
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