「グリーン・ナイト」(2021)
作品概要
- 監督:デヴィッド・ロウリー
- 脚本:デヴィッド・ロウリー
- 原作:「ガウェイン卿と緑の騎士」
- 製作:トビー・ハルブルックス、ティム・ヘディントン、ジェームズ・M・ジョンストン
- 音楽:ダニエル・ハート
- 撮影:アンドリュー・ドロス・パレルモ
- 編集:デヴィッド・ロウリー
- 出演:デヴ・パテル、アリシア・ヴィキャンデル、ショーン・ハリス、ケイト・ディッキー、ジョエル・エドガートン、バリー・コーガン、
「A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー」のデヴィッド・ロウリー監督が、イングランドに伝わる作者不詳の物語「ガウェイン卿と緑の騎士」を映画化した作品。
主人公を演じるのは「どん底作家の人生に幸あれ!」などのデヴ・パテル。
またアーサー王役には「ミッション:インポッシブル/フォールアウト」などのショーン・ハリス、また王妃には「ウィッチ」などのケイト・デッキー。
その他、アリシア・ヴィキャンデル、バリー・コーガン、ジョエル・エドガートンらが出演しています。
様々なジャンルの作品を送り出しているスタジオA24と組んでの製作となった今作。同スタジオとしては完全なファンタジー映画は初めてらしいです。
デヴィッド・ロウリー監督の新作ですし、様々な映画際や賞でも話題だったことで注目は前からありました。
お話がクリスマス時期だからかアメリカでは昨年同時期に公開。日本は遅れる形になったのですが、シーズンを合わせるためかだいぶずれ込んでの11月暮れの公開になりました。
公開週末に朝の回で早速観に行ってきました。しかしあまり人は入ってない感じでしたね。
~あらすじ~
アーサー王の甥であるサー・ガウェインは、まだ正式な騎士ではなかった。
彼には人々に語られる英雄譚もなく、ただ空虚で怠惰な日々を送っていた。
クリスマスの日。アーサー王の宮殿では、円卓の騎士たちが集う宴が開かれていた。
その最中、まるで全身が草木に包まれたような異様な風貌の緑の騎士が現れ、“クリスマスの遊び事”と称した、恐ろしい首切りゲームを提案する。
その挑発に乗ったガウェインは、彼の首を一振りで斬り落とす。
しかし、緑の騎士は転がる首を堂々と自身で拾い上げると、「1年後のクリスマスに私を捜し出し、ひざまずいて、私からの一撃を受けるのだ」と言い残し、馬で走り去るのだった。
それは、ガウェインにとって、呪いと厳しい試練の始まりだった。
1年後、ガウェインは約束を果たすべく、未知なる世界へと旅立ってゆく。
気が触れた盗賊、彷徨う巨人、言葉を話すキツネ・・・生きている者、死んでいる者、そして人間ですらない者たちが次々に現れ、彼を緑の騎士のもとへと導いてゆく。
(※公式サイトから抜粋)
感想/レビュー
時間をかけ自分へ浸透していく物語
デヴィッド・ロウリー監督のダークファンタジーは、その内容を個人的にはうまく理解しきったとは言えませんでした。
初見で、原作となっている物語も知らない中で追いかけていき、この寓話、それぞれのシーンに明確に意図を見出すのは難しかったです。
別に難解な物語ではないのですが、すぐにすべてを紐解いて自分の中で落ち着かせることができないというか。
むしろ、見終わってから様々な細部に記憶を巡らせ、自分の中に浸透させていくようなものでした。
理解しきれないと言っても見ている間決して退屈はしません。むしろこのガウェイン卿の旅はとてつもなくおもしろい。
圧倒されるビジュアル、音楽
そのおもしろさは眼を放すことができない圧倒的に美しいビジュアルにあり、そして感情を揺さぶっていく音楽にあり、つまりこの世界に飲み込まれていくところにあります。
室内においてはスポットライトのような差し込む光に運命のような荘厳さを湛え、屋外の森の中や崖、大きな川など自然の風景も素晴らしい。
それぞれにカラーリングがあったりしましたね。
全体が青くなったり、緑になったり、黄色の美しい画にもなったりとします。レンズフレアにまで色が細かく決められていました。
ビジュアルがすごく好きです。この点でも映画館のスクリーンで見るのにふさわしい作品。
時間の超越
撮影に関しては長回しにおける時間の経過が、「ア・ゴースト・ストーリー」と同じくすごく独特でした。
森の中で縛り上げられたガウェインを真ん中にとらえた後、横にずっと移動し回転していくカメラ。
一周するとそのまま死んだガウェインの亡骸が移り、逆回りで戻ることで今現在に戻る。
同じ画面内で時間が跳躍していくあの感覚は不思議な体験です。しかも今回はその逆行というのも見せていますね。
時間の流れという意味合いは、この寓話における選択肢の未来を示す手法でしょうか。
出来損ないのダメ男
今作のガウェイン卿は騎士ではない。
つまりこの映画は英雄伝ではなくて、一人の男が騎士になる、騎士道を学んでいく旅路です。
そもそも映画序盤のガウェインを見ると、主人公にしてはもうダメダメです。
売春宿に色浸り酒を飲んで遊び惚け、いったい彼の何に惹かれているのか分からないエセルに対してもあまりいい態度ではない。
騎士道のかけらも見えないそんなガウェインを、デヴ・パテルが絶妙に可哀そうな犬みたいに演じていて、あまり嫌悪感は出ません。(すごい良いキャスティング)
そもそもの緑の騎士との決闘についても、みんなは英雄伝を持ってるけど自分にはないから、名声欲しさで声を上げた感じ。
その割に剣も持ってなくて、エクスカリバーを貸してもらって恐縮しちゃう。
器が残念過ぎる(笑)
旅の中では親切心を忘れてバリー・コーガンを怒らせたり、お屋敷の奥様の誘惑に負けてしまったり。
ついてきてくれたキツネにも失礼なことを言い、緑の騎士との対決にあたってはもう目も当てられない状態。
とことん良くない選択肢をしてしまう未熟者。
クライマックスのモンタージュが今作の中でも特に素晴らしいところでした。映像と音しかないモンタージュ。
いかようにしてこの騎士道のない男が、騎士となり王となった時、偽りが自らの首をはねるのか。
ダメ息子矯正プログラム
ガウェイン含めて同じ俳優が別の役で出てくることが多く、それはありえたもう一人の自分を象徴するのか、寓話としての記号だからなのかはわかりません。
なのでガウェイン卿の母が実際に魔女なのかは怪しいですが、緑の騎士を送り込みこの試練を与えたのが母であるとも考えられます。
放蕩息子への厳しい教育プランとして、この旅には意味がある気がします。
初めの方でガウェインは「僕はまだ準備できていない」”I’m not ready”と言っていますが、最後のセリフは「準備はできた」”Now, I’m ready”です。
この映画は男が一人前になる、騎士になる話だと思いました。
ひとりの人間の内面研究として楽しくあり、しかしやはりそのビジュアルの圧倒的な世界観と美しさに魅了された映画でした。
今回の感想はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
ではまた。
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