「A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー」(2017)
- 監督:デヴィッド・ロウリー
- 脚本:デヴィッド・ロウリー
- 製作:トビー・ホルブルックス、ジェームズ・M・ジョンストン、アダム・ドナギー
- 音楽:ダニエル・ハート
- 撮影:アンドリュー・ドロス・パレルモ
- 編集:デヴィッド・ロウリー
- 出演:ケイシー・アフレック、ルーニー・マーラ 他
「ピートと秘密の友達」のデヴィッド・ロウリー監督が描く、妻を見守る夫の幽霊のお話。
幽霊になる夫は「マンチェスター・バイ・ザ・シー」などのケイシーアフレックが演じ、妻は「キャロル」などのルーニー・マーラが演じています。
もともとは2017年に注目していたのですが、公開はけっこう遅れました。昔話のお化けのような、白い布をすっぽり被った幽霊のビジュアルが印象的。
HTC有楽町で公開週に見てきましたけど、満員で大盛況でしたね。
ある家に夫婦が住んでいる。
彼らは引っ越しの準備を始めていたが、たまに家では奇妙な音が聞こえることがあった。
そんなあるとき、夫は事故で亡くなる。悲しみに暮れる妻のそばには、白いシーツをかぶった夫が幽霊になって寄り添う。妻をただ見守るしかない幽霊は、やがて時の流れと共にそこに居続ける。
デヴィッド・ロウリー監督、天才なんじゃないでしょうかね。
まさに映画らしい映画というか、映像、編集そしてサウンドで全てを語っていく手法がスゴすぎる。サイレント映画ってくらいに台詞も少ないのですが、言葉は必要ない。
映像とその折り重なりに絶対の信頼をおいているからこそ、純化された感情の視覚化、映像によるストーリーテリングが完成していると感じました。
まず、撮影面ですけども、アスペクト比がほとんど正方形のようになっていて、ハリウッド黄金期とかそれ以前の時代、言ってしまえば今私たちがいるところとかなり離れた時間を感じさせるような、ある意味でどの時代の作品でもないような感覚がありました。
それが、この作品で語られていく普遍的な存在とか時間を超越した部分と巧くマッチしていると感じます。
ワイドスクリーンとかビスタサイズではこういった感覚は作れなかったのではないかと。
また、画面の端が門丸に切り取られているのも特徴的です。スクリーンそのものが覗き穴のようになり、観客はそこから、幽霊と彼が観る世界を覗いていきます。
この観察者の視点こそ、主人公になる幽霊そのものと同じ立場であり、また映画という媒体ひいては現実世界における立ち位置すら表していると思いました。
つまり、幽霊と同じく、映画の観客は佇んで見ていることしか出来ないのです。画面の中の対象と相互にコミュニケーションを取れない、何も影響できない辛さは幽霊が感じる哀しさと重なります。
ルーニー・マーラの見事なパイ一気食いシーンは強烈です。悲しみに飲まれまいと何かに夢中になろうとする痛々しさもさることながら、そこにいるのに、抱きしめてあげることもできないんです。ただ現実と同じく、カットはかからずずっと見ているしかない。
大切な人を残してしまった。
そして慰めることもかなわない。あまりに辛い感覚が言葉もなく伝わってくるのは、やはり幽霊と観客の立場が重なるからかと思います。だからこそ、常にその佇まいと見つめる対象だけでも感情が大きく揺さぶられました。
さて、映像の手法と観客の立場を巧くシンクロさせる以外にも、編集も大きく感情移入や語りに影響していました。ていうか編集は監督自らやっているのですね。
カットバックで見せていく時の流れも見事ですね。ただ画面が切り替わるだけで、そこにはいろいろな生と死が流れ込んできます。
ふと幽霊の顔?から彼が見ている対象へカメラが移れば、そこには何年、何十年もの時間の跳躍がある。この一瞬での時間超越は映画編集の醍醐味です。
しかも今作は未来へと進む時間軸だけではなく、過去への飛び込みや輪廻、記憶の呼応まで見せていきます。
繰り返す日常やワンカットの移動、カメラのパンだけでこんなにも時間を行き来するなんて、映像の楽しさに溢れていました。
もちろん、ふとズームアウトすると見える剥がれ廃れた外壁で時間経過を語るなど、ディテールの使い方もしっかりストーリーテリングに貢献しています。
画面や編集などで物語る今作ですが、これはやはり佇むだけでリードをしてしまうケイシー・アフレックの演技が完璧だから成り立っているということです。顔すら映らないし、白いシーツのせいで体も見えないのですが、佇まいに感情を帯びて感じました。
残された者側の映画はたくさんありますが、終始残した側の目線で進んでいく今作は、私には新鮮かつ癒しにもなる、死別の描き方だと感じます。
いつ、こうして大切な人を残してこの世を去ってしまうのだろうか。それこそ、愛する人に先に死なれるよりももっと人間が怖れていることかもしれません。
パーティに男が語るように、この世界は必ず終わります。いつも終わりはありますが、世界の終わりは、自分の世界の終わりとはまた別です。
世界は終わると思えば何もかも、全ての生には意味がないように思えます。もちろん、自分の世界の終わり=死が来ることも事実で、そうなると私たちの生きる意味も揺らぎますが、今作は死後の視点から、生きているときにこそできることを見せました。
急に去ることになるかもしれない。だから今生きているときに抱きしめ愛を伝えるのだと。
傍観する側の視点から強烈に観客を惹き付け感情を溢れさせ、純化された映画という媒体で全て語りきるロウリー監督の見事な手腕。静かで、そして死への癒しと生の鼓舞に溢れた作品でした。とてもオススメです。
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