「関心領域」(2023)
作品解説
- 監督:ジョナサン・グレイザー
- 製作:ジェームズ・ウィルソン、エバ・プシュチンスカ
- 製作総指揮:レノ・アントニアデス、レン・ブラバトニック、ダニー・コーエン、テッサ・ロス、オリー・マッデン
- 原作:マーティン・エイミス
- 脚本:ジョナサン・グレイザー
- 撮影:ウカシュ・ジャル
- 美術:クリス・オッディ
- 衣装:マウゴザータ・カルピウク
- 編集:ポール・ワッツ
- 音楽:ミカ・レヴィ
- 出演:クリスティアン・フリーデル、サンドラ・ヒュラー 他
「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」のジョナサン・グレイザー監督が、イギリスの作家マーティン・エイミスの小説を原案に手がけた作品。
ホロコーストや強制労働によって多くのユダヤ人が命を奪われたアウシュビッツ強制収容所の隣で、平和な生活を送る一家の日々を描きます。
カンヌ国際映画祭ではパルムドールに次ぐグランプリに輝き、第96回アカデミー賞では作品賞、監督賞、脚色賞、国際長編映画賞、音響賞の5部門にノミネートされ、国際長編映画賞と音響賞の2部門を受賞しました。
出演は「白いリボン」「ヒトラー暗殺、13分の誤算」のクリスティアン・フリーデルと、主演作「落下の解剖学」が同じ年のカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞したサンドラ・ヒュラー。
高い評価に加えて、舞台設定がとても興味深い作品。後悔を楽しみにしていたものです。早速公開週末に朝一の回で観てきましたが、まあ箱が小さいとはいえほとんど満席になっていました。
〜あらすじ〜
第二次世界大戦の最中、ナチスドイツによるユダヤ人の最終解決として、アウシュヴィッツ強制収容所が建設され、そこでは毎日ユダヤ人たちが輸送されては強制労働と大量処刑をされていた。
惨たらしいこの歴史の暗部であるが、すぐ隣にはヘス夫妻が住んでいる邸宅がある。庭付きの家は丁寧に手入れされており、庭にはプールもあり、そこでは夫妻の子どもたちが仲良く遊んでいるのだ。
ルドルフは仕事で収容所と自宅を行き来しつつ、今後のナチスのためのさらなる収容所の効率的運用を考えている。そして妻はここで子どもたちにとって素晴らしい環境を作ろうとしている。
しかしルドルフは党本部から収容所所長交代の話を受けており、自身のキャリアの転換を迎えていた。
感想レビュー/考察
タイトルの意味は私たちの自分事と他人事の境界
タイトルの「The Zone of Interest」は、第2次世界大戦中、ナチス親衛隊がポーランドのオシフィエンチム郊外にあるアウシュビッツ強制収容所を囲む40平方キロメートルの地域を指すために用いた言葉です。
しかし今作のつくりを考えるに、人間が自分自身の関心を向けている範囲といった文脈に思えますね。
そしてその範囲を出てしまえば、人類史上最も残酷な出来事の一つであるホロコーストですら、家の外の雑音になってしまうということですね。
想像させ掻き立てて感じ取る恐怖
作品の設定からくる感想を超えていくのが難しいタイプの映画です。目的が本当にハッキリとしているために、あまりブレない解釈が生まれるというか。
なのでシンプルに言うと、映し出されない想像というものが、その恐怖を何倍にも増幅させるという映画です。
これまでにも映画史では非常に多くのホロコースト映画が生み出されてきました。「シンドラーのリスト」も素晴らしい作品であり、体感型としての「サウルの息子」も私個人としては一生忘れることのないホロコースト映画です。
そんな中でジョナサン・グレイザー監督はまた別の視点の、視聴規制がまったくないのに心底恐ろしいホロコースト映画を誕生させています。
このように、後漢のうち何かが意図的に奪われているような映画は、その映画館という舞台の特性も相まって非常に参加型になるのです。
「クワイエット・プレイス」では音を奪われているからこそ、観客も息を殺してしまうように、今作はビジュアルをあえて避けることで観客は目の前にあるものではないものから聞こえる音により注意深くなる。
そして注意深くなるからこそ余計に、その音に対してのめりこんでいくのです。
徹底した音への意識づけは、OPから強烈でした。この映画は始まってから1分ほどでしょうか、何も映りません。そこにはミカ・レヴィの素晴らしいスコアが、何かとてつもない不気味さで流れているだけで画面は暗黒に包まれています。
この作品は全編通していわゆる音楽がほとんど使われません。それは音響と、周囲の環境からの声や音に観客を集中させるためです。
それでもOPや途中場面遷移で暗視スコープを使う夜のシーンになるタイミングなどで、ミカ・レヴィの音楽が使われ、非常に強い印象を残します。
地の底から響くような忌まわしい音楽で最高。ほんとにミカ・レヴィの才能には驚かされますね。ちなみに映画の場面は黒、赤、白と画面が一色に包まれていく変遷がありますが、個人的にはそこで音楽を流すのも含めて、感情をあえて切り離す行為なのだと思います。
周囲の音、余波から殺戮を伝える
耳をしっかりと使って観ていく今作は、予告でも分かるのですが、銃声や叫び声、阿鼻叫喚と鉄を叩く無数の音、燃え盛る炎などの音が絶妙な加減で聞こえてきます。
たった一つの壁を隔てているだけなので、それはもういろいろと聞こえては来るんですよね。でもその音を無視するかのように、ヘス夫妻と家族は美しい家庭と穏やかな日常を送っていく。
川遊びに行くところから始まるし、ガーデニングもする。
それでも、河川に人骨と遺灰が流されていくところで子どもを急いで自ら上がらせたり。
夜に急いで洗濯物を取り込むシーンでは、ああ、人を燃やして灰が降ってきてるんだなとか。直接ではないけれど背後にはなんとも惨たらしい行為が置かれているのを伝えてきます。
ただ、それだけというよりは、この夫妻のドラマとして引っ張っていく。
カメラと俳優だけ、むき出しの日常
また今作は撮影も実に見事です。実はこの家のセットでは普通の撮影のように俳優陣がいて、その他のギアや証明、カメラと監督が前にいるような環境ではなかったとのこと。
それは家の中のあらゆるところに定点でカメラを置いて撮影し、しかもそのカメラのいくつかは俳優の目にも入らないように隠されていたそうです。
監督やクルーは別のトレーラーにいてそこから画面の様子を確認し指示を出したそうです。
この環境を日常のように映すために、画面はワイドで画角は広く取られていて、その場で目で見ているかのようなRAW感があります。定点でぴたっとした見やすさもありますが、構成は綺麗ながら画的に美しくしようとしない。淡々としたこの駆け引きのある撮影は見事でした。
このような撮影スタイルの中で演技をしていた俳優たちも素晴らしいですね。
俳優陣についてはちゃんと夫婦間のドラマとしての突き詰めとか、それでもやはり収容所のそばであることから影響を受けているとか、小さな演出でも見どころが多いです。
唯一の心として置かれた少女
撮影にまつわる部分として、暗視スコープを使った画面は誰の目にも印象的だったでしょう。これは夜の闇の中のシーンであり、映画の中では2回だけ出てきたと思います。
夜とは言え多くの映画では撮影用のライトをつけて挑むものですが、先ほどの家の中の撮影と同じく、グレイザー監督はとにかく人工、人の手が入った撮影を抑えたかったらしく、結論としてあのように暗視スコープのような画になったらしいです。
そこではドイツ人ではなく地元のポーランド人の少女が、強制収容所の労働現場にリンゴをひとつづつ置いていくというシーンになっています。
自分たちの生活圏以外にどんな恐怖が巻き起こっていても、そこには目も向けないという残酷な世界で、この少女は他者を想い行動している。
結果としてですが、”普通”の絵作りでは異常事態がおこっていて、この暗視スコープの世界こそが最も人間の美しさと思いやりがこもっているとは皮肉です。
ちなみにこの少女ですが、実在の人物だそうです。
当時このようにドイツ人たちたちの使用人にされていた地元のポーランド人のAlexandria Bystroń-Kołodziejczykさんは、摘み取った林檎を夜のうちに収容所の現場に残し、少しでもユダヤ人たちの支援をしていたそうです。
彼女は90歳にしてグレイザー監督と会いインタビューを通して過去を語り、その後ほどなくして亡くなられたそうです。
終幕、ヘスがナチスのパーティ後に階段を下っていくシーン。どんどんと闇に近づく構図の中で途中ヘスが吐き出しそうになります。というより吐こうとするけどできない。
同じような体力殺戮の設計者が吐こうとしてできないシーン、「アクト・オブ・キリング」の終盤もありましたね。なんとなく印象的。
私たちも、壁の外のことと無関心ではないか?
ただグレイザー監督がここで挿入してきたのは現代の跡地となったアウシュヴィッツ強制収容所。
ツアーの場所になっていて、清掃員が掃除機やモップで掃除しているシーンが急に差し込まれます。
ヘス夫婦の関心領域での幸せな生活と周囲への無関心に目を向けさせたあとで、観客の無関心に鋭く切り込んできています。
もしかすると、ホロコーストも当時の国際社会の無関心によりあそこまでの凄惨な状況に進展してしまったのかも。
そして現代でも、シリア、ウクライナ、ガザ。遠い国のことと思っているかも。私たちにとっても結局は壁の向こう側の話になってしまっている。
鋭い刃をこちらにも向けながら、R指定を入れずにとてつもない恐怖を持ったホロコースト映画になった秀逸な作品でした。
こればっかりはやはり音をしっかりと体感すべきなので、映画館での鑑賞を強く勧めます。
今回の感想はここまで。ではまた。
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