「ドリーム」(2016)
- 監督:セオドア・メルフィ
- 脚本:セオドア・メルフィ、アリソン・シュローダー
- 原作:マーゴット・リー・シェタリー 「Hidden Figures」
- 製作:セオドア・メルフィ、ファレル・ウィリアムス、ピーター・チャーニン、ドナ・ギグリオッティ、ジェンノ・トッピング
- 音楽:ファレル・ウィリアムス、ハンス・ジマー、ベンジャミン・ウォルフィシュ
- 撮影:マンディ・ウォーカー
- 編集:ピーター・テッシュナー
- 出演:タラジ・P・ヘンソン、ジャネール・モネイ、オクタヴィア・スペンサー、ケビン・コスナー、キルステン・ダンスト、マハーシャラ・アリ 他
米ソの宇宙開発競争時代の、マーキュリー計画の裏で活躍した女性たちを描く、実話に基づいた映画。
監督には「ヴィンセントが教えてくれたこと」(2014)、日本でも今作の前に公開していた「ジーサンズ はじめての強盗」(2017)のセオドア・メルフィ。
主軸となる3人のナサ職員を、タラジ・P・ヘンソン、ジャネール・モネイ、オクタヴィア・スペンサーがそれぞれ演じています。また、上司役にはケビン・コスナーやキルステン・ダンストも出演しています。
今作は高い評価を得て、アカデミー賞には、作品賞、助演女優賞(オクタヴィア・スペンサー)、脚本賞にノミネートしました。
公開から一周遅れて鑑賞したのですが、すごい混んでました。かなり人の入りが良いようで、実際公開一か月後くらいに行った映画館でも、なかなか混んでいるようでしたね。
・・・ちなみに、邦題問題がありましたけど、観客もとい消費者を無知なバカだと思っていることが露呈してましたね。
1961年。米ソの冷戦構造は核兵器開発から、宇宙開発へとシフトしていた。
どちらが先に人を新たな大海へ送り出せるのか、両国ともに躍起になっていたころ、アメリカではNASAに努める女性たちがいた。
キャサリン、ドロシーそして、メアリー。彼女たちはそれぞれ宇宙開発に関わり働くのだが、そこは障害だらけだった。
黒人用のトイレまで走り回り、女のエンジニアはありえないと言われ、また仕事や責任は管理職のそれだが、黒人女性だからと言って正式に管理職にはさせてもらえない。
様々な理不尽の中で、彼女たちがいかに人類の進化、未知の可能性が広がる宇宙への船出に貢献したのかが描かれていく。
この作品でセオドア・メルフィ監督が成し遂げたことは、非常に意味深いものであると思いましたね。仕上げ方が見事なのです。
今作はもちろんマーキュリー計画を描き、そこでわすれてはいけない功労者を称え、歴史に刻みます。ある人物たちが成し遂げたこと、今の私たちの基盤になったそれを築き上げた人の物語をストレートに伝えています。
迷い無い語りはサラ・ガブロン監督の「未来を花束にして」(2016)と同じなんです。
しかし、知るべきことを知らせてくれるその手法は、かなり違います。
今作はとにかくポップで楽しく軽快ですらあるのです。人種・性の差別をしっかりとのせつつも、重々しさはない。完璧なバランス。
これは楽曲の軽快さによるものも大きく感じますが、流れる曲の歌詞がとにかくその場面に置ける語りをしっかりと担っていて、これは素晴らしい見所、いや聴き所ですよ。
また精密に合わせられているのは、音楽だけでなく、撮影やアクション(行動)に関してでもですね。一見ポップに展開しているようで、やはりすごくよく練られていて、そこかしこに技巧が散りばめられていました。
例えば撮影では、枠の入れ方と使い方が私は印象的でした。
ガラス窓の仕切りに分断されている人物たち。単に部屋のなかにいるだけかと思えば、ゆっくりとズームアウトすることで、ドアから覗いた枠に人物たちが入っていきます。関係性を上手く伝えています。
そしてアクション面でも、繰り返されることがその時に決定的瞬間を意味したり、同じアクションが次第に大きく意味を変えていったりと、映画的におもしろいと感じました。
行ったり来たりするNASA敷地内。
“colored computer””色のついた計算機”なんて看板のある、窓もない窮屈な倉庫に入れられた女性たち。
そこで初めはキャサリンが理不尽に奔走していましたが、最後に同じように走る場面では、誰と走っているのか、そして何故走っているかが全く違うのです。
オクタビア・スペンサーが女性たちを率いてIBMマシンの部屋へ移るのも印象的です。
また一番アガる呼応は、チョークの手渡しでしたね。先生が渡した時と同じく、キャサリンが本領を発揮し、皆を驚かせる場面。観ながら「見せてやれ。本気を!」と熱くなってしまいました。
まさに”Hidden Figures””隠れた数字”を解き明かしていき、また歴史に”隠れた要素”である彼女を胸に刻み込むのでした。
また、差別をしっかり入れ込みつつ、マーキュリー計画だけでなく、この3人の人生のドラマ部分も丁寧に描いていて、そこもまた見所でありましたね。マハーシャラ・アリは良い男ですね。
実は関係性の変化部分でも、スゴく好きなところがあります。
個人的にはラスト近くになってキルステン・ダンスト演じる上司が、ドロシーをミス・ヴォーンと呼ぶ辺り最高でした。
この作品の差別へのアプローチは、おそらくほぼ完璧かと思います。
舞台となるのは、アメリカ、ひいては人類の進歩を象徴する宇宙開発ですね。
そこで様々な差別に基づいた束縛が打ち消されていくわけです。
塗りつぶしていたら仕事にならない。透明性が必要。
間口が狭いと新しい機械が入らない。受け入れる戸は大きくしなくちゃ。
前例が無いからって中止していたら、前例の無い有人宇宙飛行なんてできるわけない。
感情的にとか倫理的にとか、悲しいですがそういったもので差別を批判しても、同じく感情的回答が来ることがありますよね。
嫌いなものは嫌い。
しかし、今作は人類の飛躍のためという大義を持って、”隔離、差別は人類の発展の邪魔”と言って見せる。
だからこそ快く認められます。
で、ここまでかなり褒めていてますが、”ほぼ完璧”と言った理由が実はあります。
それは今作で差別を乗り越える要因が、個人の能力に依存している点です。
3人の女性は確かに壁を自力で超えていき、それは痛快なんですが、逆にいうと今作では”持たざるもの”は描かれていないのです。
計算ができない、プログラミングができない。
秀でていない者は除かれているので、若干普遍性はボケている印象。
その点で、全てを救っていないと感じまして、もしかすると才能がないものは差別も仕方ない、ある意味で不平等にすら感じてしまいました。
全体としては巧く構成され、撮影や音楽、演技も良く気分の良い映画です。
重苦しくないからこそ子供にも見せてほしいですね。何より、マーキュリー計画で活躍した彼女たちを知るべきなのです。
誰しもが知っている事実の、誰も知らない事実。
少し気になる部分はありますが、大変オススメな作品です。
このくらいで感想は終わります。それでは、また~
コメント