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「猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)」”War for the Planet of the Apes”(2017)

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映画レビュー
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「猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)」(2017)

作品解説

  • 監督:マット・リーヴス
  • 脚本:マーク・ボンバック、マット・リーヴス
  • 原作:リック・ジャッファ、アマンダ・シルヴァー
  • 製作:ピーター・チャーニン、ディラン・クラーク、リック・ジャッファ、アマンダ・シルヴァー
  • 製作総指揮:メアリー・マクラグレン、ジェンノ・トッピング、マーク・ボンバック
  • 音楽:マイケル・ジアッチーノ
  • 撮影:マイケル・セレシン
  • 編集:ウィリアム・ホイ、スタン・サルファス
  • 出演:アンディ・サーキス、ウディ・ハレルソン、スティーヴ・ザーン、タイ・オルソン、アミア・ミラー、トビー・ケベル 他

2011年より始まった、新猿の惑星シリーズ。

オリジナルの「猿の惑星」(1968)に対してのプリクエルとして位置付けられた本作は、圧倒的なCGとモーションキャプチャで高い評価を得ています。

今作は第2作目の「猿の惑星:新世紀」(2014)に続く続編であり、この新シリーズの完結作になります。

監督は前作に引き続いてマット・リーヴス。主演はもちろんアンディ・サーキス。

そして今作でシーザーと対峙する、人間側代表には、ウディ・ハレルソンが出演。また謎の少女として子役のアミア・ミラー、さらに猿側の新キャラにはスティーヴ・ザーンが出ています。

今作はホントに続編ですので、やはり「猿の惑星:創世記」、「猿の惑星:新世紀」は観てからの方が良いですね。私はIMAXで鑑賞しましたけど、クリアな画面に映るシーザー達、素晴らしかった。

新作という事でそこそこ人は入っていたけど、大盛況って感じじゃなかったなぁ。私の回だけでしょうかね。

~あらすじ~

コバの反乱により、人間との戦いが始まってから2年。

人類は生存のため猿たちの全滅を図り、猿たちもまた生き残るため戦いに身を投じた。激化した戦争の中で、猿の指導者シーザーは森の中秘密の場所に姿を消している。

人類の軍には狂気に囚われたと言われる大佐が現れ、シーザーをいかなる犠牲を払ってでも探し出し、抹殺しようとしていた。

ある日の戦闘で大佐の送り込んだ小隊を捕えた猿たちの元を、シーザーが訪れる。これ以上の殺戮を望まぬ彼は、和平のメッセージとして彼らを生きて返すのだった。

しかし、大佐はシーザーを殺すことに執着し、小隊に聞き出した秘密の場所へとやってくるのだった。

感想レビュー/考察

まず始めに。

いままでの過去作でも、圧倒的なCG技術によって表現、再現された猿たちは見どころでした。そこはある程度、現代のCGなんだからすごいのは当たり前になってきていますよね。

しかし、本作はまた一つさらに進歩しているのですよ。

もちろん毛の表現や肌の質感などは圧巻です。ただ、今作は作品に必要とされる表現にCG技術がさらに追いついていると感じました。

スーツを着た役者をいかに本物のチンパンジーやゴリラに見せるかと言うのも大事ですが、今作はリアルな猿でありながら同時に、人間を感じます。

中の俳優が透けて見えるのです。それはCGは薄くかけられているような感覚で、画面には確かにチンパンジーが映っているのに、その目、表情はまさに人のそれ。

「眼を見てみろ。ほとんど人間だ。」と劇中大佐が言いますけど、まさにその通りですよ。最後のシーンでのシーザーのドアップとか、なんだろう、一瞬アンディ・サーキスがそのまま出てきたかのように錯覚しました。

今作は猿が、話したり道具を使ったりと言う意味以上に内面から人間に近づいていく物語なので、この折衷したようなバランスを見事にみせるCGは非常にレベルが高く、テーマにぴったりだと感じました。

人間と見間違えてしまう。この感覚が素晴らしい。

前作が構成や演出面で2項対立的だったのに対して、今作は多様性がかなり押し出されていたと感じます。

猿と人間それぞれの側に割りきれない存在が現れ、その境界線を越えていきますね。

今回はこの境界線つまり”border”という言葉にもおもしろい深みがありました。

そもそも大佐が築き上げていたのは境界線たる壁。国境”border”に壁と言う何とも皮肉なものは、これが猿と人間を分けるものではなく、人間同士の壁と言う点にも鋭さを持っています。

境界線を越えていくものたちもかなり複雑ですね。

戦争の中生き残るために行動するという点は共通していますけども。奴隷になりながらも生存のため人間に着くレッドやウィンター。

それから言葉を失った少女。彼女は人間の退化を体現し、オリジナル猿の惑星での人間たちを暗示するようなところもありますが、共存の象徴でもありますね。

あ、あと演じているアミア・ミラーの天使っぷりがヤバい。

今回コミカル担当のバッド・エイプですが、彼はあまりの戦争の悲惨さに、あらゆる境界線の外に出て静かに暮らそうというタイプでした。また彼のもらす”I had a child”にも悲しい過去が透けています。

やはり人間と猿とか、戦争賛成派と反対派とかではなくグレーな関係性が多く見えました。

全体を観てみると、猿と人間の大戦争と言うよりも、戦下の混沌の中で描かれる隔絶や狂気の物語でしたね。

大佐は人間の退化を目の当たりにし、血族の殺害より狂気に囚われていきましたね。冒頭の凄惨な戦闘シーン。

無線で聞こえてくる大佐の声は、救援に関してでも生き残れと言う指示でもなく、「1匹でも多く猿を殺せ」ですからね。画面に出る前から恐ろしい思考の持ち主であると語られます。

そしてシーザーも、今回は狂気に囚われていきます。前作でのコバがより近くなり、今まで外部要因に反応していたシーザーが、主体的に非常に感情的に、私的に行動していきますね。

小さな小屋のシーンで、容赦なくためらいもなく人間を撃ち殺したシーザーは、このシリーズを追っていた観客にとってなにより衝撃的でしょう。

そもそも仲間を勇気づける言葉、”Apes together strong”は前作でコバが繰り返していた言葉でもあり、まさかこれをシーザーが使うというのも苦い思いで観ていました。

戦争下での狂気。そういえば、今年は「キングコング:髑髏島の巨神」でも「地獄の黙示録」(1979)が強く引用されていましたが、今作でもApe-pocalypseなんて言葉が壁に描いてあったりします。大佐自身がマーロン・ブランドとロバート・デュバルを合わせたようなキャラですしね。

ただ、大佐とシーザーが同じ狂気に憑りつかれたコバになりながらも、決定的に違うのが、子供に対する姿勢かと思います。

大佐は種のために自らの子供を殺しました。

彼は写真こそとっているものの、自らの子孫に対しての想いが描かれません。しかしシーザーは復讐に燃えてなお、コーネリウスはじめエイプの子供たちを見捨てないですね。無垢なものを戦火から守ろうとする。最終的には人間であるノヴァすらも保護しています。

シーザーの物語の終結として見事な作品。マット・リーヴス監督は重苦しく暗い題材を巧く扱い、戦争の狂気や奴隷制などを寓話に落とし込んでいます。

最後の雪崩も巧いなぁ。

大佐自らが言っていた、自然の摂理によって生き残る側が決まったのです。しかもあそこでエイプたちは木の上へ上りますね。

これってまさに「猿の惑星:創世記」でシーザーが森林公園の巨木に登るところの繰り返しなんですよね。

「シーザー、高く登れ。上へ、上へ。」

ウィルがシーザーに架けた言葉通り、シーザーはじめエイプたちは人間より上へ行き、この生存競争で頂点に立った。

あの子供だったシーザーが観た木の上からの景色、そしてゲートブリッジの戦いの後みた景色。それらが思い起こされるような木の上からのショットで、感動しましたね。

シーザーの最期にはようやく安息のシーンになり、夜の闇や厳しい雪ばかりだった中に、暖かな光がある場面になりました。

あの横たわるシーザーと彼に手をのせるモーリスの画、なんかの絵画に似たようなのありませんでしたかね?まあ絵画のような一枚画のショットが美しかったわけです。

シーザーの3部作として完璧であり、かつ猿の惑星シリーズとしてはオリジナルまでのその後をまだ観たいと思わせるような、絶妙なバランス。

おそらく映画史に残る3部作がまた誕生したのではと思いました。圧巻のCGや演技のためにも、是非大きなスクリーンで観てください。おススメです。

感想おしまいです。それでは、また。

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