「私がやりました」(2023)
作品概要
- 監督:フランソワ・オゾン
- 製作:エリック・アルトメイヤー、ニコラ・アルトメイヤー
- 脚本:フランソワ・オゾン
- 撮影:マニュエル・ダコッセ
- 美術:ジャン・ラバッセ
- 衣装:パスカリーヌ・シャバンヌ
- 編集:ロール・ガルデット
- 音楽:フィリップ・ロンビ
- 出演:ナディア・テレスキウィッツ、レベッカ・マルデール、イザベル・ユペール、ファブリス・ルキーニ、ダニー・ブーン、アンドレ・デュソリエ 他
「8人の女たち」のフランソワ・オゾン監督が描く、映画プロデューサー殺人事件の真相を巡り、3人の女性が繰り広げるユーモア溢れるクライムミステリー。
ナディア・テレスキウィッツ、「悪なき殺人」のレベッカ・マルデール、「未来よ、こんにちは」や「グレタ」のイザベル・ユペールが共演しています。
フランス国内では、フランソワ・オゾン監督の過去作品「8人の女たち」と「しあわせの雨傘」に続く、100万人以上の観客動員数を記録しました。
公開自体は少し前だったのですが、タイミングを逃していてなかなか見に行けず。今回祝日に時間があって観に行くことができました。
休みの日というのもあってか劇場は結構混みあっていて、年齢層は比較的高め、女性がほとんどでした。
~あらすじ~
1930年代のフランス。
売れない新人女優のマドレーヌは、有名映画プロデューサー・モンフェランに襲われそうになる。
彼女はモンフェランに反撃し逃げ出した後、ルームシェアする親友の新人弁護士ポーリーヌに出来事を打ち明けた。
すぐ後にフランス国家警察のブラン警部が彼女たちの家を訪ね、状況を聞く。モンフェランが殺害されたというのだ。彼女たちを怪しんだブラン警部は押収した拳銃を証拠品として持ち込む。
マドレーヌはラビュセ判事に証言するよう呼び出され、自らの犯行を認め、裁判が始まった。裁判でポーリーヌは正当防衛を主張し、マドレーヌは彼女の台本に従って証言する。
感動的なスピーチが裁判官と大衆の心を打ち、正当防衛の下、無罪を勝ち取る。マドレーヌは一躍時の人となり、悲劇のヒロインとしてスターダムを駆け上がる。
しかし、ある日、元大女優のオデットが現れ、モンフェラン殺害の真犯人は自分だと告白する。
感想/レビュー
フランソワ・オゾン監督はこれまでにも性加害に関する題材を映画で扱ってきました。
ひときわ厳格に、被害者を貶めず搾取せず消費しない姿勢は、高く評価されている「グレース・オブ・ゴッド 告発の時」に現れています。
一方で軽快な語り口やユーモアのセンスもある監督で、笑い事ではないはずの性加害や女性の権利というものをすごくうまいブレンドで軽やかに楽しめるクライムドラマに仕上げてしまっています。
本当にそのスタイルとか、気の抜けた、でも芯のある感じが素敵な作品でした。
時代設定が良い面で距離を生み、同時に長き戦いを示唆する
時代設定を少し距離のある1930年代に持っていったのも成功の要素だと思います。
私たちのいる現代とはすこし距離があるので、コンプラとか審査委員会とかいった組織的な保護、対策の面は省かれます。
映画の黎明期なども重なれば、多少の世間の粗は埋もれてしまいますからね。
そしてユーモアの入れ込み方もこの年代のほうが合っているでしょう。
殺人を犯したほうが有名になってもてはやされるという構造について、実はそれ自体はなんとなくですが現代に通じそうです。
何らかの事件の犯人がすごく注目されていき、ともすればセレブリティのようになっていく。
決して「昔のこと」とは言わせず、良い感じにレトロな空気にはユーモアを任せながら、議題はしっかりと現代に通じる。
むしろ、30年代のマドレーヌとポーリーヌの不遇は、今でも続いているじゃないかと思わせるところにも、女性の権利についての闘いの長さを感じさせることに一役買っているでしょう。
つまるところ設定の仕方と監督のセンスだけでも勝っている作品なのです。
3人の女性にそれぞれ女性の直面する苦難が込められている
すごくライカブルなキャラクターたちが、ナディア・テレスキウィッツ、レベッカ・マルデール、イザベル・ユペールの3人で演じられています。
ナディア・テレスキウィッツは昔の俳優の雰囲気を見事に纏っていますね。あの時代の駆け出しの売れっ子女優のルックがはまる。
より衝動的で、彼女は身体的なところで性的搾取の的になってしまう女性を象徴しているキャラクターです。
なぜか仕事にはその身体が付きまとう。美しいというところに関して俳優業以外のモノを要求されたり。
彼女は飛び出していきたい活発さがあるけれど、アンドレにされたような扱いは許さない。そりゃ愛されたいし一番が良いじゃないですか。
そしてポーリーヌ。彼女のようにプロフェッショナルとして性別が枷になっていることも現代でも見受けられます。
ガラスの天井という言葉が使われるようになってから、まだ破れていない気もします。
弁護士でありつつも仕事にありつけず、裁判所他には割と高齢の男性ばかりな環境からも、彼女のプロフェッショナルとしての苦難がうかがえます。
またポーリーヌにはクィアな雰囲気も感じ取れます。
指摘事項に上がる女性二人がベッドを共にしている点。
もちろん貧乏なのでベッドが一つなだけなんですが、ポーリーヌは決定的にではなくてもマドレーヌに対して友人以上の感情があるかもしれません。
お金を得てからもお風呂に一緒に入っていて、そして先に上がるマドレーヌの身体をじっと見つめているカットがありました。
またオデットに「子猫ちゃん」と呼ばれ撫でられたときにまんざらでもないリアクションなんですよ。
そうじてキュートだったのはポーリーヌだったと思います。
後半からの参戦ながら強烈な存在感を放つイザベル・ユペール。
彼女はトーキーに乗れなかったという背景が付与されてはいますが、主題は年齢でしょう。
マドレーヌのように若い頃は女性はもてはやされますが、一方で歳を取ればその人気が落ちてしまう。
俳優業では多くの役者が声を上げていますが、キャスティングにおいて年齢というハードルが衝撃になるのは女性が多い。
一定の年齢を越えると急に役が得にくくなったり。
男性俳優に対して妻役の女性俳優がすごく若い方がキャスティングされたり。
映画界でもよく問題視され声が挙げられている。
彼女に対しマドレーヌは歳は取りたくないと言い、ポーリーヌはその自信ある姿に憧れる。
マドレーヌが若さを失ったら自分に価値がないのではと考えてしまうこと自体が、社会的な問題です。
こういったように3人の魅力的なキャラクターには女性という存在を分割し人格を与えたような描きこみがされていました。
そして彼女たちに良いようにやり込められる男性陣。
ここまで女性主軸で男性が踊らされるというのもまたおもしろいものでした。
マドレーヌたちがみんなでwin-winになるようになんだかんだ振り回されていく男性。
ただ、オゾン監督は男性=悪というような単純な構図には落とし込んでいません。
それぞれどこか可愛げがあり、ダニー・ブーンが演じているパルマレードのように誠実な男性も入れ込んでいます。
時代設定によりいいとこどりをしながら、魅力的なキャラクターのコメディを展開し、しっかりと女性の権利について打ち出したコンパクトで可愛らしい秀作でした。
今回の感想は以上。
ではまた。
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