作品解説

2022年に公開され大きな話題を呼んだスリラー映画「ブラック・フォン」の続編。監督は前作に続き「ドクター・ストレンジ」でも知られるスコット・デリクソン。
監督・原作
- 監督 :スコット・デリクソン(「ドクター・ストレンジ」、「エミリー・ローズ」)
- 原作 :ジョー・ヒル短編小説「黒電話」
キャスト
- イーサン・ホーク :殺人鬼グラバー
- メイソン・テムズ :フィニー
- マデリーン・マックグロウ :グウェン
出演陣も続投していて、メイソン・テムズは最近実写版の「ヒックとドラゴン」でも主演を務めているなど活躍しています。
殺人鬼グラバーとしてイーサン・ホークも戻ってきていますが、今作ではさらに素顔がほとんど見えない状態という、俳優としても挑戦的な役柄になっています。
前作はジョー・ヒルの「黒電話」を原作にはしていて、もちろんそこから発した続編ではあるのですが、厳密にはキャラクターなどを引き継いだだけで、今作自体には原作はありません。
スコット・デリクソン監督も参加し脚本を新たに執筆しています。
最近に邦画がとても強くて、洋画は公開規模的にも小さめ。というか公開初週でも1日2回とかで、次の週にはレイトショーだけとかもあって。。。今作もほっとくと困りそうなので早速公開と同時に見てきました。
まあ人の入りはそこそこといった具合でした。
〜あらすじ〜

児童失踪事件の犯人である連続殺人鬼グラバーにさらわれ、地下室へ閉じ込められた少年フィニー。
すでに殺された子どもたちからの声が、切断された黒電話越しに届くという不可解な現象と、妹グウェンが持つ不可思議な“予知の力”に導かれ、フィニーは絶望の中から生還を果たす。
それから4年。17歳となったフィニーは今も事件の記憶に囚われ、心の傷と向き合えずにいる。
一方、15歳になったグウェンは、強い意志を持つ少女へと成長していた。ある日、彼女の中に再び悪夢が蘇る――それは3人の子どもが殺される未来を告げるものだった。
兄を説得し、事件の舞台となったウィンターキャンプを再び訪れた2人。
そこで彼らが辿り着いたのは、殺人鬼グラバーと自分たち家族にまつわる、逃れることのできない残酷な真実だった。
感想レビュー/考察

前作については公開当時の感想があり自分でも読み返しましたが、ちょっともたついた展開や既視感のあるプロット否めず。
ですが、終幕に向けての盛り上がりとか、誘拐や殺人と霊魂を通して、自分自身を確立し取り戻すドラマとしての熱さがありました。
今作でも単純にグラバーが帰ってきて再び暴れるというだけではありません。
主たるテーマは、自分自身の恐怖と向き合い、つまり人生と向き合って行くことだと思います。
前作主人公フィニーの変化と葛藤
今回は主人公としては前作でグラバーの魔の手から生き残り、かつグラバーを殺したフィニーが続投しています。
ですが、フィニーは自分に降りかかった災厄の記憶から逃げています。
彼の登場シーンは学校での喧嘩。しかも非常に暴力的になった彼は、必要以上に相手を痛めつけていました。
恐怖を怒りに変えて、自分の人生の苦しさを拳に込めている。
また父は母を失った悲しみや、息子がひどい目にあったこと、母に似た力を子どもたちが持っていることなどから目を背けている。
痛み止めのようにフィニーは大麻を吸い、父は酒に頼っていた。
しかしフォーカスに関しては、妹であるグウェンに向いていました。
家族全員の再起の物語の中心を担うグウェン。
自分自身の力によって苦しむ彼女は、電話に出ないことを選択できるフィニーよりも苦しい立場にあります。

映像表現と夢の描写|ホラー演出としての工夫
彼女の夢と現実の戦いを、映像でわかりやすくしているのはいいところ。
現実はクリアな映像ですが、夢になると古い録画ビデオのようにノイズが走り色調も変化します。
はっきりと分けられているので、夢と思ったら現実だったとか、その逆もないのですが。
今誰の領域にいて危険なのかを視覚的にすぐ分かるようにしているのは、映像の質感の切り替えだけでホラーになる機能としていいと思いました。
そしてグウェンは夢の中に出現するグラバーに襲われる。グラバーはフィニーの抵抗によって実の弟を殺すことになりました。
同じく大切な家族を失う運命をフィニーに味あわせようというわけです。
オマージュの系譜|『エルム街の悪夢』×『13日の金曜日』
夢に現れる殺人鬼といえば、フレディ・クルーガーですね。予告の段階から「エルム街の悪夢」に突入するんだと分かっていましたが。
とは言っても夢でグラバーと対峙するのはグウェンのみ。フィニーや他の登場人物たちはグラバー自体を視認することはないですね。
キャンプ場ということで「13日の金曜日」的な要素もありますし、連続殺人鬼であったグラバーが怨霊になっているというところからやはりサイコスリラーよりもスピリチュアルなホラーになっています。
時代設定も踏まえて少しレトロなホラーの世界がしっかりと楽しめるようになっていたと感じます。
1作目はグラバーが実在の、生きている連続殺人鬼でありまあそこはスリラーです。でも黒電話要素はスピリチュアル。
今作はそこから結構スピリチュアルにシフトしています。

この続編が描くのは“勝利のその後”|癒えない傷と向き合う物語
前作は死んだ少年たちの魂をいやす旅。今作もその意味ではたしかに3人の子どもたちの遺体を発見し、魂を救い出してあげることが目的です。
しかしデリクソン監督はその先を行って、今作では前作でできた傷を癒すことをしています。
この観点はまるで「ハロウィン」を思い出しました。ホラー映画で起きる凄惨な出来事は、その作品の中でこそ一時解決したとしても、大きな傷跡を残すもの。
フィニーはグラバーを倒し、殺人鬼の死という決定的なものをもって惨劇は終わった。でもそうでしょうか。
フィニーは悪夢に苛まれ、周囲から浮き友達もできない。彼の人生は間違いなくグラバーの事件で変わってしまい、それはやつの死で終わるものではない。人生にずっと影を落としてしまうのです。
それは妹のグウェンも同じで、彼女も自分の能力に苦しんでいます。
フィニーもグウェンも自分が正気なのか不安を抱える。そして正気を保つために大麻に頼っていたフィニーと同じく、実は父も母を失った悲しみを消すために酒におぼれていたのです。
ネタバレですが、実はグラバーの凶行を夢の力で知った母は、グラバーにつかまり自殺に見せかけ殺されていた。
だから父もまたグラバーのせいで苦しんでいて、家族全員の宿敵だったのです。

さらにグラバーの犯行はキャンプ場の管理人であるアルマンドをも苦しめていた。キャンプ場で少年たちが消えてから、彼はずっと毎日山で遺体側索をしていたのですから。
キリスト教的な要素で天獄や地獄が出てきますが、この世、現世にだって苦しみがあります。今回デリクソン監督は、生き残った者たちを癒すためにこの作品を使っている。
亡くなった少年たちの魂を救い、真実と向き合いグラバーを葬ることで家族は団結し、母の喪失から立ち直り人生における逃避を止める。
死者と会話できても、グラバーを倒しても、生き返るわけではない。それでも少年たちの家族はやっと一つの区切りをつけることができるし、アルマンドも自分を許せるでしょう。
ラストの黒電話が象徴するもの|恐怖から希望への転換
黒電話が終始恐ろしいものとして登場してきた作品の中で、最後に鳴った話し相手。黒電話がとても優しく、人生において前を向いて行ける要素になる瞬間、グッときます。
何らかの恐怖から、傷ついたまま生きている人は多いでしょう。その対処法が分からずさらに身を崩すことも。デリクソン監督自身も、父親がベルトで子どもを叩くような環境で育ち、妹もいる。
自身のトラウマから、少しでも映画を通じて多くの人が癒されればと思ったのかもしれません。今作では”普通のホラー映画ならこいつ死ぬだろうな”ってキャラが実際には死ななかったりという意味でもう優しさを感じます。
前作死者の弔いと自己を確立する青春要素も掛け合わせた熱き映画でしたが、今作はそこから恐ろしい体験で傷ついたすべての人を優しく包み癒すような素敵な続編になっていました。
結構お勧めですので、ぜひ映画館へ。
今回の感想は以上。ではまた。


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