「アウシュヴィッツの生還者」(2021)
作品概要
- 監督:バリー・レヴィンソン
- 脚本:ジャスティン・ジョエル・ギルマー
- 原作:アラン・スコット・ハフト
- 製作:マッティ・レシェム、アーロン・L・ギルバート、バリー・レビンソン、ジェイソン・ソスノフ、スコット・パルド
- 音楽:ハンス・ジマー
- 撮影:ジョージ・スティール
- 編集:ダグラス・クライズ
- 出演:ベン・フォスター・ヴィッキー・クリープス、ピーター・サースガード、デニー・デヴィート、ジョン・レグイザモ 他
「レインマン」のバリー・レヴィンソン監督が、ホロコーストを生き残りのちにボクサーとして活動したハリー・ハフトの半生を息子アラン・スコット・ハフトによる原作をもとにして映画化。
主演は「ガルヴェストン」や「足跡はかき消して」などのベン・フォスター。
またハリーの妻を「ファントム・スレッド」などのヴィッキー・クリープス、ハリーに取材をする記者を「マグニフィセント・セブン」などのピーター・サースガードが演じています。
その他、ビリー・マグヌッセンやジョン・レグイザモ、ダニー・デヴィートらが出演しています。
ホロコーストに関しては一般レベルの知識しかなく、これまでにも「サウルの息子」でゾンダーコマンドの存在を知ったりしていたため、ナチスに娯楽として使われ同胞と戦わされたボクサーがいたということから非常に興味を持っていた作品です。
公開週末にこそいけなかったのですが、平日の朝に観てきました。まだお盆でもあったのかそこそこ人が入っていました。
~あらすじ~
1960年代、ジョージア州のタイビーアイランドの砂浜を歩く男がいた。
ハリー・ハフト。彼はこの地で過去を思い返す。
それは1949年のボクサーとして活動した時のことだった。
ホロコーストの生還者であることをタイトルとしてボクシングの道へ進んでいたハリーは当時、無敗のロッキー・マルシアノとの試合に挑戦していた。
さらにハリーは取材を受け、そこでホロコーストを生き残ったのは、ナチスが主催するゲームで同胞ののユダヤ人たちを打ち負かし続けたからだと告白した。
彼が残酷な過去を告白したのには理由があった。
ナチスの強制収容所連行されて生き別れになった恋人レアを探していたからだ。
自分の存在を報道させ、彼女からの連絡を期待するハリー。しかしレアが生きているのかも分からないまま、時は流れていった。
感想/レビュー
恐怖が今もあることを示す交差する時間
ナチスの非道に関して、そのホロコースト自体を描いたり収容所での生活を描くような作品は結構見てきたと思うのですが、今作は生き延びた人のその後の人生を主軸にした作品です。
言ってしまえば移民としてアメリカである程度普通の生活をしている主人公ハリー。
しかし、時間軸を交差した語りから、ハリーにとってホロコーストは決してただ昔のことではなくて、ふとした瞬間にカットですぐに戻ってしまうほどに”今現在”のことだと示されます。
実直にまっすぐと進む語りではないことは、ストーリー構成として過去を引きずっているハリーを映すに最適であります。
レアを想うほどに前を向いて進めない。
そしてハリーにとってレアを探すことは過去と向き合うことです。恐怖が目の前に蘇ってくるのです。
バリー・レヴィンソン監督はこの交差する時間と各パートを結構じっくりとしたテンポで入念に描き出します。
個人としては特に意外にも感じた部分です。
監督も結構お年ですしもっとあっさりしているかと思っていました。
記号的にではなくて人生をその語りにものせる重厚さでした。
アウシュヴィッツにて試合をし、相手を負かすことで生きたハリーですが、ナチス主催の試合では負け=死を意味していました。
同胞たちを打ち負かし、死に追いやり続けて生き延びたハリーには途方もない罪悪感があり、それはどう語っても誰にも理解されない。
そうやってハリーは自らの孤独を深めてきたのでしょう。
新しい切り口のホロコースト映画
収容所でのことやボクシングシーンがやたらと多いわけではありませんが、こうしてまた別の視点や切り口からホロコーストについて観ていくのはおもしろかったです。
似たような実際の話をモチーフにした作品で、ウィレム・デフォー主演の「生きるために」(1989)がありますが、あちらは確か収容所内での時間軸に絞っていて、試合と脱走についてがメインでした。
今作のようにモノクロを使って過去であると明言しつつも、今の色彩にも影を落とすような語り方はフレッシュに感じます。
ベン・フォスターの魂
そんな時代を越えていく中で語られるストーリーについて、主演のベン・フォスターの身体のつくり込みにはちょっと引くくらいびっくりします。
ボクサーとしての1949年には作りこんだ分厚い身体をしていて、のちの年老いた60年代ではしっかりとお父さん体型。
メイクなども行っているのでしょうけれどはじめはベン・フォスターと分からなかったです。
しかしとりわけすさまじいのは収容所での時間軸の体型。
痩せこけているとかってレベルではありません。骨と皮だけみたいな身体をモノクロで映し出すと、まさに骸でした。
あの時代のハリーの体型のために、28キロの減量をし、その後5週間で22キロ増量という狂った体重コントロール。
ビジュアルのショッキングさで勝ちです。
デジタル処理で痩せることもできるというオファーを断り、題材ゆえにごまかしたくないという心意気も素晴らしい。
後世へ
この作品、ハリーの主観でありますが私は後世に語ることを描いているのだと感じます。
実際ハリーの息子、今作でも後半に出てくるアランが父の語りを得て出した原作がありますし。
この苦悩を、闇を吐き出すということ。
残酷な歴史はハリーもレアも、そしてハリーと結婚し支えていたミリアムも、さらには息子のアランも苦しめた。
胸に抱えたものを人に話したり外へ出すことは本当に過酷でしょうけれども、今作はその語ることこそが救いと伝えている。
それがあるからこそ後世の者たちは学ぶことができる。
だからこそアランの受け継いだ父からの想い出を、こうしてまた映画という形で語るのも意味を持っているのです。
なかなかにつらい話ではありますが、ビジュアル、語りなど含めて見ごたえある作品でした。
今回の感想はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
ではまた。
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