「How to have Sex ハウ・トゥ・ハブ・セックス」(2023)
作品解説
- 監督:モリー・マニング・ウォーカー
- 製作:エミリー・レオ、イバナ・マッキノン、コンスタンティノス・コントブラキス
- 製作総指揮:ファルハナ・ブーラ、ベン・コーレン、クリスティン・アービング、ヨルゴス・カルナバス、ナタナエル・カルミッツ、フィヌーラ・ジェイミソン、フィル・ハント、コンプトン・ロス
- 脚本:モリー・マニング・ウォーカー
- 撮影:ニコラス・カニッチオーニ
- 美術:ルーク・モラン=モリス
- 衣装:ジョージ・バクストン
- 編集:フィン・オーツ
- 音楽:ジェームズ・ジェイコブ
- 出演:ミア・マッケンナ=ブルース、ララ・ピーク、サミュエル・ボトムリー、ショーン・トーマス 他
リゾート地に旅行に来た親友3人組と、そのなかで何とか初体験をしようと思っている女の子の、青春や友情、そしてセックスの絡み合うドラマ。
主人公タラ役には、ドラマ「ヴァンパイア・アカデミー」で知られるミア・マッケンナ=ブルースを起用。
「SCRAPPER スクラッパー」などで撮影監督としての実績を持つモリー・マニング・ウォーカーが、長編初監督と脚本を務めました。
2023年の第76回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門でグランプリを受賞し、世界中の映画祭で高評価を得ています。
もともとBBCで評論やっているMark Kermode氏のレビューやベストの中で上がってきた名前だったので作品名は認知していました。だから日本公開は楽しみにしていた作品です。とはいえ、宣伝を見ている時点では、「スプリング・ブレイカーズ」?みたいな女の子グループが騒いで楽しむバケーションタイプなのかなと思っていました。
公開週末に都内渋谷で鑑賞。いろいろと予定が詰まっていたので朝一の回に行きました。人も少ないし男性ばかりでしたね。
「Howto Have Sex ハウ・トゥ・ハブ・セックス」の公式サイトはこちら
〜あらすじ〜
タラ、スカイ、エムの親友3人組は、卒業旅行の最後を飾るために、パーティが盛んなクレタ島のリゾート地マリアを訪れる。
3人の中で唯一バージンであるタラは、この地で初体験を果たそうと焦っているが、スカイとエムはお節介ばかり。バーやナイトクラブが立ち並ぶ賑やかな通りを、酒に酔いながらさまよう3人は、初日にセックスはゼロ。
そして次の日、タラたちはホテルの隣室に滞在する青年たちと出会い、一緒に行動することに。思い出に残る夏の日々への期待が膨らむが・・・
感想レビュー/考察
性的同意とティーンの残酷さをクリアに描く秀作
あらすじを読んでいた限りとか、なんとなくのプロットでは、女の子版のバージン卒業のためのナイトクラブ巡りに、友情とロマンスが絡む作品かなと思いました。
しかし信頼するMark Kermode氏がこれを高評価していたので、なにか奥深いドラマがあるのではとも思っていたのです。
そして今作は、全然楽しくない。楽しい感じの映画ではないということです。むしろ非常に残酷です。
ここには性行為における同意が描かれていますし、その同意の曖昧さや圧力、理解の及ばなさや繊細さに欠ける様が確実にティーンの残酷さにも通じているのです。
本当に生々しくティーンと性行為を描いていると思います。大人ではないゆえに、ノリとかバージンを卒業することや性行為の数や相手に価値を置いてしまい、それをコミュニティ全体に波及している。
大人であればある程度の良識や責任といった概念を絡めるような行為でも、未熟ゆえに幼稚な判断と雰囲気や同町圧力が勝ってくる。
これはうまく言葉にできているのか分からないので、ぜひ鑑賞して感じ取ってほしいのですが、ティーンだからこその残酷さと、そこで確実に傷ついていく繊細な子というのを、もう痛々しいほどの解像度の高さで描き切っているすさまじい作品なのです。
思春期のあやふやさと強迫観念
バージンを捨てようかという部分、実は当人のタラはあまり気にしているとは思えません。
むしろスカイとエムがそれを茶化すし、変なおせっかいで”経験することが絶対に良いこと”と決めて動いている。
特にスカイのたまに出る意地の悪さがマジでリアル。ああいう感じの棘、しかも結構仲いいメンツで急に出す人っていますよね。敵って程じゃないけど、ちょっと嫌な部分はとことん嫌なタイプの友人。
ただ、明確にタラも何が欲しいのかは分からない。
まだまだ思春期だから、経験も少ないし自分の考えとか道とか、価値観を固めきれていない。だからティーンの一般的な経験とかを気にするし、そうならなきゃいけないのかなって思ってしまう。
何が欲しいのか分かっていないけど、これは嫌だなっていうのだけは感じる。大人になれば大人の理論でそれに反抗できる。
でも、ティーンのうちは黙っているしかない。
この感覚が痛いほどわかる。ここはタラという個人のドラマに仕上げつつも、誰しもが感じたことのある感情をもって観客のみんなと繋がってくる本当に素晴らしい部分です。
友達とでも家族とか親戚とでもいい。
その場では良いことが、自分はすごく居心地が悪くて、触れてほしくないし続けてほしくない。でもみんなが盛り上がってるし、自分を殺さなきゃいけない。
ふわつきは底知れない不安と深く暗い内省に
その極みがタラのクラブシーン、ビーチの後です。
どこへ行っても周りが見えない、なぜなら自分自身に起きたことしたことが頭の中心に居座ってるから。ぼーっとしてフワフワして、クラブでは激しいビートだけが自分の身体の芯を揺らし、周囲はおぼろげになっていく。
自分の吐息、息遣いだけがとてもうるさく聞こえる。何をしても動いても実感がない。自分はいまここにいるのか。
彼女の精神状態をうまく表現する一連のクラブでのシーンは、撮影と音楽、音響に主演のミア・マッケンナ=ブルースの見事さが相まって白眉です。
パラダイス(楽園)の裏はクソったれなゴミ溜め
映画の前半パート。非常に美しい光を浴びて、綺麗な海と砂浜で遊ぶ3人が映ります。
そこから彼女たちが訪れるホテル。クリーンで美しい。ホテルのプールもナイトクラブについても、美術的には派手と言っても綺麗な印象があります。
しかし中盤のビーチで、タラが半ば強引に、明確な同意もないままにパディとセックスしてからは違います。
そこでは不穏な空気が流れ、スリラーでも始まるかのような不安が立ち込める。
そして映し出されるのが印象的な誰もいない町のストリート。そこはそれまでのルックとは違ってパーティ騒ぎの後のゴミが散乱する汚らしい道なのです。
どことなく、そのあとはクラブであろうがプールであろうが、ホテルの中であろうが、どこか小汚い。
楽しくてエネルギッシュなバカンスの楽園が、(はっきり言ってしまいますが)パディによるレイプによってどん底のクソったれになったということです。
このへんの視覚的なスイッチングとかは、さすが撮影監督出身である巧さですね。
あと印象にあるのは、パディが寝ているタラにちょっかいを出して、一緒に寝るだの言ってまたセックスしようとするガチキモのシーン。あそこでタラの瞳が完全に光を失って真っ黒になっているのが、ライティングの妙で素晴らしい。
男女の認識の違いへの切込み
監督のインタビューで語られていますが、今作のリサーチの上で、性的同意や加害と被害について10代の子たちへインタビューをしたとか。
そこで性同意に対する認識の違いや甘さ、また被害者への非難や女性側が気を付けるべきといった指摘が見られたそうです。
この部分、日本でもいつも見えますね。
何かしらの性被害があれば、「分かっていて行ったのだから」「そんな恰好しているから」「そんな場所に行ったのだから」。
悪いのは女性側であるといった風潮。それは男性からだけではなく女性からもあります。
タラが実際にセックスすることに同意してビーチにパディと行ったでしょうか。タラがオシャレをしているのは男性とセックスするためでしょうか。クラブに行くということはつまりセックスしに行ってるのでしょうか。
根源にある女性と男性のセックスの同意に対する認識が違う。男性と二人っきりでどこかに行くから、そういうものなんだって、あまりにも限定的で狭い考えなのに。
なぜか一般的になっていて、セックスを伴わない方がおかしいとまで言われる。
タイトルのHow to have Sexは「セックスの仕方」とか「セックスをするには」といった意味になりますが、これも女性と男性では認識が違うでしょう。
ミア・マッケンナ=ブルースの素晴らしい名演に、撮影や演出も相まってできた青春映画。私は傑作だと思います。おすすめしたい一本でした。
こういう作品から議論が活発になり、そしてセックスや性同意に関して話ことのハードルが下がって普通のことになれば、もっと嫌な思いをする人が減るはずだから。
感想はここまで。ではまた。
コメント