「ハウス・ジャック・ビルト」(2018)
- 監督:ラース・フォン・トリアー
- 脚本:ラース・フォン・トリアー
- 製作:ルイーズ・ベスス
- 製作総指揮:べヴ・ベルントゥ、トマス・エスキルソン、トーマス・ガメルトフト、ピーター・オールベック・イェンセン
- 撮影:マヌエル・アルベルト・クラロ
- 編集:モリー・メレーネ・ステンズガード
- 出演:マット・ディロン、ブルーノ・ガンツ、ライリー・キーオ、ユマ・サーマン、シオバン・ファロン 他
カンヌ国際映画祭追放をくらったラース・フォン・トリアー監督の最新作。
大量殺人鬼の人生を描く本作はまたしても波紋を呼び、カンヌでは途中退席者続出の一方、上映後にはスタンディングオベーションもあり。
批評家の間でも意見が別れ、ワイルドな傑作と言われたり、暴力が意味を成さず空虚な作品と酷評されたり。
主人公となる殺人鬼ジャックを演じるのはマット・ディロン。
また彼の語りを聞く男としてブルーノ・ガンツが出ており、被害者役にユマ・サーマンやライリー・キーオも出演しています。
R18指定のサイコ殺人ドラマ、カンヌ云々ということでまあ映画好きっぽい方たちが多かった劇場。
しかしなんの迷いか、「アラジン」とかの方が楽しめそうな若いカップルが来ていましたね。楽しんだのなら良いんですが。
ジャックは猟奇殺人鬼であり、12年もの間警察に捕まらず多くの人を、子供まで含んで殺し続けた。その長い殺人の歴史を自ら5つの事件を元に語り始める。
最初の被害者、自分の強迫観念、解放と欲求。
ジャックの夢は建築家になることだった。続く殺人の一方で、自分の家を作っているのだが一向にうまく進まない。
彼が求める芸術的な建築や、完璧な素材は果たして見つかるのか。
トリアー監督らしいダークで惨たらしい作品です。
多くの暴力を直接描いていますのでグロいのが苦手な方は遠慮したほうが良いかもしれません。
あとは何より、一般的には倫理的にアウトな部分に踏み込んでいるので、残酷映画でもこれはアカン!というような一線を持っている方もダメかもしれません。
特になく、興味があるなら一見の価値はあると思いました。
ここまで人間性とか倫理観を疑う作品にはあまり出会わないですからね。
表面的にはまあサイコパス殺人鬼の事件を並べているんですが、私としてはこの作品は芸術を探求するものだと感じました。
ジャックが自分の建築家、言ってしまえば芸術家としての表現を突き詰めていくように、この作品はトリアー監督の表現への旅。
芸術を追い求める上で、その題材や素材はどこまで考慮されるのか。
また人間の放つ創造にはどこまでその作り手の本質が含まれているのか。
ジャック自身は色々なしゃべるわりには実質あまり語ってはいないのです。
とても独りよがりで軽薄、不快な道理を美しいと主張するんですが、それはどんな芸術や創造も同じことだと思います。
結局はエゴなんです。自分が何か美しく人を感動させられるものを作れるなんて考え自体が。
ですが、一般には大衆が思う”真っ当な”素材、”普通”の素材を使用すれば、受け入れる。
ただジャックは殺人や狩りに創造を吐き出し、人体を素材にしただけです。
芸術とは倫理を守るものなのか?
正しい芸術、間違っている芸術という線引きが果たして本当にあるのか?あるとすれば誰が、どこで線引きするのか。
動物を狩り、はく製にして芸術つまりは美しいものとして飾るのは、まさに殺しを美に変えているわけですが、それは許されて人間を殺しては許されない。
この許しはあくまで受け手側の問題になっています。動物ですら人によって認める場合もあれば認めない場合もありますね。
結局のところ、傑作も駄作も、倫理的な合格も不合格も、作り手と受け手のキャッチボールを通して、落としどころとしてつくのかと思います。
しかも、当時のキャッチボールで暴投しても、劇中でも言われるように「人の価値は死後に決まる」こと、亡くなってから高く評価されることもありますね。
そうすると、受け手の側もとても身勝手なのかもしれません。
トリアー監督はこういうことに挑戦的な、振り切った連続殺人鬼という題材を選んで、芸術と人の関係を探求していると感じました。
その挑戦が大胆で勇敢なものなのは好きですが、細かいところで気になる点も。
一つは完全に個人的なことですが、手持ちカメラの撮影です。酔いました。
死体保管のための冷蔵室内での回転ショットとか、最後の方で洞窟に入ったりとか、揺れまくるのが苦手で。
それに、ドキュメンタリーテイストが行きすぎて、「これは誰が撮ってるの?」と撮影者を意識してしまい冷めてしまった箇所もいくつかあります。
もうひとつがかなり残念に思うところで、ちょっと逃げた気すらする点。
ヴァージを通してジャックを批判したり、ジャックを地獄へ落としたり(天罰)、エンドロール曲がアレだったり。
なんだか、ここまで挑発しておきながら、「それでも殺人はダメですよね。ジャックって本当にクズですよね。作り手はこういうのが倫理的にアウトなの分かってやってますよ。」みたいな言い訳じみた感じがしたのです。
どうせなら最後の最後まで純粋悪、露悪的でいてほしかった。
そこがまあ残念な点であり、個人的には完成しきっているとは言い切れない作品になりました。
それでも、踏み越えないところを堂々と超えて、語られない芸術の領域を探求するその心意気は間違いなく必見の作品でした。
映画が倫理に邪魔されてはいけないですから。
昨今気を使いすぎて、何が表現したいのか分からないような映画もあるなか、非常に重要な意思表示でした。
普通に殺人映画としても結構グロ強めなので、苦手な方はある程度気構えて観てください。感想はこのくらいです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。ではまた次の記事で。
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