「かたつむりのメモワール」(2024)
作品概要
- 監督:アダム・エリオット
- 製作:リズ・カーニー、アダム・エリオット
- 脚本:アダム・エリオット
- 撮影:ジェラルド・トンプソン
- 編集:ビル・マーフィ
- 音楽:エレナ・カッツ=チェルニン
- 出演:サラ・スヌーク、コディ・スミット=マクフィー、ジャッキー・ウィーバー、エリック・バナ、マグダ・ズバンスキー 他
「メアリー&マックス」で知られるオーストラリアのアニメーション作家アダム・エリオット監督による、約15年ぶりの長編クレイアニメーション。
主人公グレースは、カタツムリを集めることを心の支えにして生きる孤独な女性。そんな彼女が、個性豊かな人々との出会いや絆を通じて、次第に人生に希望を見いだしていく姿をユーモアを交えて描きます。
8年の歳月をかけて完成された本作は、アヌシー国際アニメーション映画祭で最高賞であるクリスタル賞を受賞。さらに、第97回アカデミー賞では長編アニメーション賞にもノミネートされるなど、国内外で高い評価を集めました。
エリオット監督はこれまでにも、短編「ハーヴィー・クランペット」でアカデミー短編アニメーション賞を受賞し、「メアリー&マックス」でもアヌシーでの受賞歴がある方です。
声の出演にはサラ・スヌーク、「パワー・オブ・ザ・ドッグ」などのコディ・スミット=マクフィー、ジャッキー・ウィーバー、エリック・バナ、マグダ・ズバンスキーらが出演しています。
注目の作品でありながら、ほかのオスカー候補アニメに比べて結構日本公開は遅くなってしまいました。公開規模もそこまで大きくはないものの、公開初週に早速鑑賞してきました。
人の入りは私の見た回はそこまででした。
~あらすじ~
1970年代のオーストラリア。グレースは双子の弟ギルバート、そして愛情深くユーモアにあふれた父とともに、ささやかながらも穏やかな日々を送っていた。
母は彼女たちの出産時に他界し、グレースは体が弱く、学校ではいじめの標的になることもあったが、いつもそばで守ってくれるギルバートと、明るい父の存在が支えだった。
しかしある日、突然父が亡くなり、兄妹は離れ離れに。それぞれ別々の里親のもとで暮らすことになってしまう。
手紙で励まし合いながらも、心の穴は埋まらず、グレースにとって唯一の慰めはカタツムリを集めることだった。
そんなある日、彼女はピンキーという風変わりで陽気なおばあさんと出会う。おかしなことばかり口にするピンキーだったが、ふたりの間には次第に深い友情が芽生えていく
感想レビュー/考察
人生の苦しさと、うつくしさを語る優しい手触りを持った表現
楽しみだった作品。そもそもは東京国際映画祭での上映があったのですが、チケット完売で観ることができず。
もちろん「野生の島のロズ」とか「FLOW」という強力なアニメ作品がありますが、こちらの「かたつむりのメモワール」もかなり期待していたのです。
ギレルモ・デル・トロが「アニメーションはジャンルじゃない。そしてアニメは子どものためのものでもない。」と言うように、アニメーションは表現や媒体の一つであり、決してジャンルではない。
そしてアニメだからと言って子どもに向けた牧歌的なものであるということもない。
今作でアダム・エリオット監督が、柔らかく独特な造形のクレイアニメに乗せているのも、決して子供向けではなくて、むしろ人生を重ね、良くも悪くも様々な体験をした人々に向けたものです。
今作は指定も入っているのですが、性的な描写も言動も、そして児童虐待や労働搾取、自傷と拒食症、人生の悲しみや痛みがこれでもかと込められています。
普通に精神にくるし、結構きつい。
ただもしかして、その苦しさとか哀しさを、実存と手触りを持っていて現実からそこまで切り離されないながら、現実と違うテイストの世界を持つクレイアニメという媒体に乗せたのかもしれません。
とにかく、実は私が見た回にもいらっしゃったのですが、小学校低学年の子どもたちを連れて家族で観に来る感じの映画ではないのです。
苦しさと悲しさのから始まる人生の語り
作品は主人公であるグレースが、大事な友人であり家族のような存在であるおばあさん、ピンキーを看取る場面から始まります。
彼女が逝ってしまい、本当に孤独になったグレースは、買っていたペットのカタツムリの中でももっとも気に入っているシルビア(ほかのカタツムリと違って、殻の渦巻きが逆)にそこまでの人生を語り掛ける。
そうして観客もグレースが生まれた頃から、弟ギルバートとのこと、ピンキーのことなどを回想していくという作りになります。
思い起こされるのは、グレースが生まれたときに、口唇口蓋裂を持っていたこと。
先天性の形態異常ですが、医療的には治療により食事他問題なく過ごせますが、しかし、グレースにとってはいじめられてしまう原因に。
とてもつらい幼少期を送る中で、いつもそばに寄り添い自分のために戦ってくれた弟ギルバートの存在が大きく見える。
残酷な現実社会の中でも、家がよりどころだった。グレースがのちにあれこれとモノを収集する癖があるところにも関係しているのでしょう。家とか部屋だけが、本当に安心できる場所。そこに人生をすべて詰め込んでいく。
不完全で傷があるけど、愛らしくなるキャラクターの造形
グレース、ギルバート、お父さん、家。様々なものが粘土で造形されているものの、どれも決して超カッコいいとかかわいいわけではない。パッと見、人の好みがかなり別れるような造形です。
ぐにゃっとしているし、気味の悪いところもある。今作では裸のシーンとか、性的なシーンもありますが、そこも醜く感じるところもそのまま造形している。
でも、見ていると愛着がわいて、その造形がそのまま好きになっていく。
これって、不完全で美しくなくて、自身がなくて傷ついているグレースやギルバートを、まさにそのままに愛するってことだと思います。素晴らしい造形です。
実際、エリオット監督は造形にはかなりこだわっていたようで、それぞれのキャラクターに何か分かりやすい特徴を持たせていたとか。
そして、真実味がしっかりと感じられて、トラウマをポルノ的に安売りしていないのも、実際に監督が知っている実在の人たちをモデルにしていることにありそうです。
人物のモデルだけではなくて、その人たちに寄り添って、愛したから、魅力的なキャラクターがたくさんいるのでしょう。
どれだけ苦しくても、人生を謳歌することはできるし、そこに美しさがある
グレースは理解者と思えた人に裏切られ、そしてギルバートも過酷な人生を送る。
クレイアニメの中でクィアを描きこんでいることと、そうしたLGBTQの方たちに対して強制転向させるような厳しい仕打ちをしている描写もあり、観ていてとてもつらいものでした。
苦しくて悲しくて。重苦しい人生。
しかしグレースは彼女なりの拠り所を持つ。それはカタツムリたちやピンキーであったり、自分が父のようにアニメを作ったりして生きていく。自分自身の人生を客観的に描く行為。アニメに落とし込む。
そうすることで少しでも人生の主導権を保てるなら。
そんなグレースのもとに、手紙での約束通り、オーストラリアを横断してギルバートが現れる感動のラスト。
行きついた先、確かに恐ろしいことが多くつらい二つの魂の旅でありながら、そこには不思議と幸せと美しさを感じました。
なんででしょうね。こんなに過酷な人生でも、思い起こされるのは、美しかった記憶です。
中遠地のジェットコースターに乗って幸せな父の笑顔。何にも縛られず、グレースに人生の歩み方を教えてくれたピンキーの逞しさ。二人で作った傷跡を合わせた笑顔。
二つで一つの存在のようなこの兄弟のドラマ。本当に素晴らしいアニメーション作品です。注目されにくい作品なのは分かるのですが、これは必見と思います。ぜひ劇場で鑑賞を。
というところで今回の感想は以上。ではまた。
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