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「タリーと私の秘密の時間」”Tully”(2018)

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映画レビュー
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「タリーと私の秘密の時間」(2018)

  • 監督:ジェイソン・ライトマン
  • 脚本:ディアブロ・コーディ
  • 製作:アーロン・L・ギルバート、ジェイソン・ライトマン、ヘレン・エスタブルック、ディアブロ・コーディ、メイソン・ノヴィック、シャーリーズ・セロン、A・J・ディックス、べス・コノ
  • 製作総指揮:ジェイソン・ブルメンフェルド、ジェイソン・クロース、デビッド・ジェンドロン、アリ・ジャザイェリ、ロン・マクレオド、アンドリュー・ポラック、ポール、ポール・テニスン、スタン・トーマス、デイル・ウェルズ
  • 音楽:ロブ・サイモンセン
  • 撮影:エリック・スティールバーグ
  • 編集:ステファン・グルーブ
  • 出演:シャーリーズ・セロン、マッケンジー・デイヴィス、ロン・リビングトン、マーク・デュプラス 他

「JUNO/ジュノ」(2007)のジェイソン・ライトマン監督が、「ヤング≒アダルト」(2011)でも組んだシャーリーズ・セロンを主演に迎えて送るドラマ映画。

脚本を手掛けるのは、前述の二作でも監督と仕事をしたディアブロ・コーディですね。

また、タイトルのタリーという女性を演じるのは、「ブレードランナー2049」(2017)でレプリカントを演じていたマッケンジー・デイヴィス。

インディー系の映画で、海外で話題になったときに観たいなあと思っていたのですが、かなり早めに日本公開もしてくれてありがたい。

公開初日にシャンテにて鑑賞。劇場は結構込み合っていましたね。客層は若くはないんですが、女性が少し多く、涙する人も多かったです。

2人の子供を育てるマーロは、第3子を妊娠し、マタニティリーブ中。そんな彼女は、兄にナイトシッター、夜にだけきて赤ちゃんの面倒を見てくれるベビーシッターを勧められた。

見ず知らずの人間に、赤ちゃんを預けて寝るなんて。と考えていたマーロだったが、実際に出産してからの多忙な日々に疲れ切り、ついにナイトシッターを頼むことに。

そこに現れたのは、風変わりなシッターのタリー。活発に遊ぶ20代女性なタリーに少し不安を覚えるマーロだが、タリーの仕事ぶりは完璧だった。

活気あるタリーと触れ合い、マーロも少しづつ明るさを取り戻していく。

あらすじや主題からは、育児もの、母親の大変さを描いた映画と思える作品で、もちろんそれがメインではありますが、今作はそれを通して、私たちがいつの間にか失っている私たち自身へと目を向けるものでした。

予告の時点からルックを作り込んできたシャーリーズ・セロンのスゴさが見えていましたが、体作りは気合いが入りまくりです。

「アトミック・ブロンド」(2017)で鍛え上げた体と実際今回と、そんなにスパンも開けずここまで改造できるものかと。

単純に太っているというか、疲れがみえて超不健康なんですよ。

赤ちゃんを産んだ後に、いまだに赤ちゃんの体重が残っているような体で、女性が出産を経験したらなるという体そのものでした。

そういえば、いろいろな映画に、出産して間もない、赤ちゃんを抱いたお母さんって出てきますけど、みんなスゴイスタイルいいんですよね。

そう考えてみると、映画の歴史にも実は切り込んでいてスゴイ。

そしてシャーリーズの綺麗な顔も、もちろんメイクもあるでしょうけど表面上ではなく、内側から疲れが出ている感じで、とにかく画面から疲労感を溢れさせてきます。

ストレスを抱え、悩みしかし疲れすぎて怒ることも難しい。

赤ちゃんを寝かせておしめを変えおっぱいをあげてまた寝かせて・・・の忙しないモンタージュ。その繰り返しも後で意味を持っているのですが、アレをみているだけでマーロの疲弊が観客にも伝わります。

赤ちゃんのため乳を絞り出しているマーロは、まるで彼女から生気が吸いとられているようです。

そんなギリギリの状態に、なんでもこなせるスーパーシッターのタリーがやってきて、だんだんとマーロは元気を取り戻すのですが、いろいろおかしな点もあります。

まあ構造の中で上手く違和感を入れ込み続けているという事ですが、観ていて?となる部分があったりしますね。

それは映画の最後にまさに波のように観客の心に押し寄せてくるのですが、そういう意味でも今作の構成とか種蒔きとかすごく巧みだったと思います。

まず、タリーがシッターにしては明らかに浮いていること。

すごく若いし、どっちかと言えば活発にナイトライフを楽しむ女性なんですよね。そして妊娠経験も子供の世話の経験もないのに、赤ちゃんのケアが完璧。

さらに、マーロに対して単に気の合う女性と言うだけではなく、何か個人的なつながりさえ感じるのです。話が進むほどに、マーロが20代だったころとすごく似ている人だと分かってきます。

観ていくほどに、これがマーロの内面を探る話になってきますね。

醸し出されるルームメイトとの関係と、その諦め。

映画が終わるころに思い返すとより心苦しいマーロの輝き。

家の掃除を、なぜ初めて来たばかりのタリーにできたのか、同じくカップケーキ作りも。そして息子は「ママが作ってくれた」と言う。

なぜ、化粧をし始めたのか。

なぜ、ナイトシッターがベッドに入ってもドリューは抵抗しなかったのか。

本当にいろいろなところに、ジェイソン・ライトマン監督は作品のつながりを置いていて、しかし全部を説明せず観客自ら考えて理解するようにしています。

そもそも最後の仕掛けを匂わせるのは、初めに赤ちゃんを産む前、兄が「前回のようになるのはゴメンだ。お前を心配してるんだ。」というところから始まっていたり。

マーロが息子を転校させようとする学校職員に言いますよね。

「私はいつもこうなの。ただあんたたちが知らないだけで、これがマーロなのよ。」

この言葉が思い出されます。

私たちは色々と人に求め、性格や人格に、責任そして勝手に常識まで作りだし押し付けます。そしてその人の心を考えもせず、表面上のリアクションに満足する。

もちろん、私たちもそのリアクションをして内面が削れていくのも真実だと思います。

そうして自分を削って、生を消耗してただ過ごす。

そのうち何かが、若さや自分の成長、新しい体験などが失われていく。

いつからか私たちは自分のことをケアすることを忘れているんです。赤ちゃんも子供もケアが必要ですが、大人になったって人間は常にケアが必要。自分で自分のケアをするのも大事、でも、自分をケアしてくれる存在がもっと大事です。

マーロはタリーとの会話で、夫ドリューのことを話します。

それはタリーつまり潜在意識からの問いかけに対する答えであったのですが、彼女は

「ドリューを選んだことだけは正しい。それだけは確実に言える。」と言います。

そしてそれは本当でした。

赤ん坊と2人の子供を置いてマンハッタンへ遊びに出かけ、飲酒運転で川へ転落した妻に対し、彼はまず謝ったのですから。

タリーはなぜ現れたのか。

それを考えると胸が締め付けられ、そして、現実の母親たちに果たしてタリーがいるのか、またはドリューのように最後はケアをしてくれる夫がいるのかを考え、より苦しくなります。

母、子育て、夫など家族の責務としても観ておくべきですが、説教臭くは無かったです。

ただ、自分と自分が大切に思う人のケアを忘れてはいけないと、教えてくれる作品でした。

技巧がスゴイとか何かとんでもないレベルってわけじゃアないです。

でも、全体をまとめるための伏線や印象付けは周到ですし、シャーリーズ・セロンもマッケンジー・デイヴィスも好演をみせています。おススメの作品でした。

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