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「ディスコ」”Disco”(2019)

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Disco-movie-2019-norway-religion 映画レビュー
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「ディスコ」(2019)

  • 監督:ヨールン・ミクレブスト・シーヴェシェン
  • 脚本:ヨールン・ミクレブスト・シーヴェシェン
  • 製作:マリア・エーケルホフド
  • 音楽:トーム・ヘル、マリウス・クリスチャンセン
  • 撮影:マリウス・マッツォ・グルブランセン
  • 編集:フリーダ・エッグム・ミケルセン、ミーナ・ニャバッケ
  • 出演:ヨセフィン・フリーダ、シャスティ・オッデン・シェルダール、ニコライ・クレーヴェ・ブロック 他

Disco-movie-2019-norway-religion

第32回東京国際映画祭のコンペティション部門に出品されたノルウェーの作品。

ダンスに熱を入れる少女と、彼女を囲む敬虔なキリスト教教団を描きます。

監督はヨールン・ミクレブスト・シーヴェシェン。

主演はヨセフィン・フリーダ。

ノルウェーを舞台に、教団、カルトに飲まれていく少女ということで、重いテーマと思いながらも福音派の躍進とかを思い出し、興味があったので鑑賞。

今回はQA付きの上映回を観ることができ、監督と主演女優の質疑を聞けました。

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あらすじ

ミリアムは激しい競技ダンスをしており、大きな大会で何度も優勝する実力者。

そしてそんな派手な世界とは対照的に、実生活では家族ぐるみの敬虔なキリスト教教団に属す母やその再婚相手の手伝いをしていた。

あるときから自身の抱えていた出生について悩み始め、ダンスも上手くいかない。

そんな彼女に家族は、より強い信仰を求めるのだった。

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カルト教団を描く作品であり、その描写も十分に興味深い映画です。

監督はQAにて、実際の団体やそこから抜け出した方に入念な調査やインタビューを重ねたと語っていましたが、突飛にせずかつ純粋に悪いともせず教団を描きました。

フリーダムのような、一見開放的かつポップで若者も多くいる団体。

しかしやはり美談や演出、演説を巧みに使い、ライブでの高揚感に似た感覚で集団的なつながりを生み出す巧さ。

テレビでのヒーリング教団のマーケティング手法やら、最後のバイブルキャンプ(日本のブラック企業などである場所制限からの洗脳)の描写など、実際に巧みかつ悪質に知識のない、主に青少年、子どもたちを囲む忌わしさ。

そうした描写は残酷ですが素晴らしかったと思います。

Disco-movie-2019-norway-religion

しかし、今作は宗教団体を描いてこそいますが、アプローチとしてミリアムという少女を中心に、彼女を通して体感映画のように宗教やそれに傾倒する人、コミュニティを見せていきます。

ミリアムを通すことで見えてくる閉塞感こそ、今作で私が一番印象深く感じた要素です。

彼女は年齢的にも学校に通っていいはずが、今作の中では少なくともそうした描写はなく、友達も出てきません。

常に母と義理の父がいて、教団がいて、親戚も宗教家、彼女の身の回りにはそのほかの価値観など存在せず、ただキリスト教と信仰しかないのです。

その「外がない」という孤立状態はますますミリアムを追い詰めます。

たとえ辛くとも、このコミュニティ以外に居場所がないからです。

必死にしがみつく以外に道が残されず、徹底的に制限される。

もちろん、日本社会で働いて暮らす私の視点で観れば、さっさとカルトから逃げて自由に生きればいいと思いますが、しかし今作はミリアムを通して見る世界。

だから逃げるなんて選択肢もなければ、ここ以外存在すらしない底知れぬ怖さすら感じました。

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フリーダムでうまくいかず、そこから抜け出した先がより危ない教団ですからね・・・過酷すぎる。

その選択肢を奪われていく様は、色彩にも表れています。

序盤からミリアムのダンスや部屋、フリーダムの集会など、比較的カラフルな画面の色彩が、徐々に真っ白になる。

決して闇のような黒ではなくとも、その純白が求めてくるあり方は息苦しい。

自分の色を許さない、他者によって染められるだけの白に、ミリアムは包まれていきます。

ミリアムにはダンスがありますが、宗教とは対比的な派手な世界を入れ込んだことも、宗教への傾倒を強めることになっていると思います。

資本主義かつアメリカンドリームみたいな競技ダンスの激しい動きや、ビート。

QAにおいて監督は、ノルウェーで白人層が宗教にのめり込む理由に、物質的豊かさも関連していると述べていました。

つまり、資本主義において豊かさが物質主義になるほど、より不変かつ依存できる対象を求めるのだと。

そこに見いだせない信念や拠り所の代わりとして宗教が入り込み、自らを縛り付けることになるのかもしれません。

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カルトというと、貧しい人、教育を受けられない人を容易く集め丸め込むイメージがありましたが、奥深いところにまで来ていると知り驚きました。

うつ伏せではじまりうつ伏せで終わる。

OPは後の池でのプロセス(ただの暴行ですが)の暗示にも感じます。

いずれにしてもうつ伏せというのは息がしづらい。

少女を通し、画面で語られる閉塞感で距離を感じさせず宗教系統や選択肢のない世界を体感できる作品でした。

あの母は宗教系統によって救われているように思えるのが苦い部分もありますが、やはり宗教は人を救うのか、重い問いかけをする映画です。

感想はこのくらいになります。

最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。

それではまた次の記事で。

コメント

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