「ウィキッド ふたりの魔女」(2024)
作品解説
- 監督:ジョン・M・チュウ
- 製作:マーク・プラット、デビッド・ストーン
- 製作総指揮:デビッド・ニックセイ、スティーブン・シュワルツ、ジャレッド・ルボフ、ウィニー・ホルツマン、デイナ・フォックス
- 原作:グレゴリー・マグワイア
- 原作ミュージカル(作詞・作曲):スティーブン・シュワルツ
- 原作ミュージカル(脚本):ウィニー・ホルツマン
- 脚本:ウィニー・ホルツマン、デイナ・フォックス
- 撮影:アリス・ブルックス
- 美術:ネイサン・クロウリー
- 衣装:ポール・タズウェル
- 編集:マイロン・カースタイン
- 音楽:ジョン・パウエル、スティーブン・シュワルツ
- 出演:シンシア・エリヴォ、アリアナ・グランデ、ジョナサン・ベイリー、イーサン・スレイター、ミシェル・ヨー、ジェフ・ゴールドブラム 他
名作児童文学「オズの魔法使い」に登場する魔女たちの知られざる物語を描き、20年以上にわたり愛され続ける大ヒットブロードウェイミュージカル「ウィキッド」。
その実写映画化として製作された作品。「西の悪い魔女」となるエルファバと、「善い魔女」として知られるグリンダが、どのように出会い、運命を共にすることになったのかを描くファンタジーミュージカルになっています。
エルファバ役を「ハリエット」などで知られ、エミー賞、グラミー賞、トニー賞受賞経験のあるシンシア・エリヴォ、グリンダ役をグラミー賞常連アーティストのアリアナ・グランデが演じています。
さらに、シズ大学の学長マダム・モリブル役には「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」のミシェル・ヨー、オズの魔法使い役には「ジュラシック・パーク」シリーズのジェフ・ゴールドブラム。
監督は「イン・ザ・ハイツ」、「クレイジー・リッチ!」のジョン・M・チュウ。第97回アカデミー賞では作品賞を含む10部門にノミネートされ、美術賞と衣装デザイン賞の2部門を受賞しました。
舞台は子どもの頃に始まっていて、話題なのはしっていましたが全然見たこともなく。今回の映画化でも最初は干渉するか迷っていました。
しかし北米でのあまりの高評価や興行的な静甲で興味を惹かれ、アカデミー賞での受賞記録もあって鑑賞意欲が高まり、公開週末に見てきました。
激情はすごく混んでてほとんど満員でした。
~あらすじ~
魔法と幻想の国・オズにあるシズ大学で出会ったエルファバとグリンダ。
緑色の肌を持ち、周囲から誤解されがちながら強い魔力を持つエルファバと、美しく野心的で人気者のグリンダは、偶然ルームメイトとなる。
性格も立場も正反対の2人は最初こそ激しく対立するが、次第に心を通わせ、かけがえのない友情を育んでいくことになり、グリンダはエルファバへの誤解を解消しようと彼女を応援し始める。
しかし、オズの国では動物たちへの迫害や差別が深刻化しており、エルファバはそのような事態を重く見ていた。
また、偉大なる魔法使いオズがエルファバの魔法の強さを認めてエメラルド・シティにも招待したが、彼にもなにか思惑があるようだった。
感想レビュー/考察
圧倒的なパワーで長尺も感じない
ブロードウェイミュージカルである原作は観劇経験なし。「オズの魔法使い」は映画を観た記憶がある程度な私にとって、別に待望の実写映画化でもなかった作品。
ただ、力でねじ伏せてくるタイプには敵いません。
2時間40分の長尺と、これがパート1であるという事実。(原題はWickedだけなのですが、本編の中ではPart1と記載がでます)
正直原作を知るわけでもないために不安もあったのですが、全編通して楽しめましたし時間について長いと感じるようなこともなかったです。
そして一つの語られるべき物語としてアークが完成しているため、私は不完全品を見せられた気もしません。
美術、衣装のレベルの高さで、しっかりと世界が作られている
とにかく各セクションにおけるレベルが高い。衣装や美術による世界観、各演者の力強い演技と彼らが見事に歌い上げる印象的な曲。
舞台を知らない方が触れるのもとてもいい作品と思います。
ちなみに、東京ミッドタウン日比谷では公開に合わせて衣装とプロップの展示がされていました。
実際のグリンダやエルファバの衣装と魔法の杖などを近くで観れました。(公開前の3/6~12限定だったとのこと)
さて、ストーリーの始まりは、「オズの魔法使い」でドロシーが西の魔女を溶かして倒した直後から始まります。
そこで善い魔女であるグリンダが登場し、まず最初の楽曲へ。
「西の魔女が死んだ!」にはじまるナンバーである”No One Mourns the Wicked”。ここで大きな掴みを持っている作品です。
舞台からの映画化といえばそのメディアを変更したことの効果が出ているのかが重要かと思います。
はじめのところは舞台的な印象も持つものはありますが、全体美術とCGIでありますが作られている奥行きや世界の完成度は非常に高い。
その後も、ホグワーツ的な魔法学校シズに着いてからはカメラでのトラッキングも組み合わせてのミュージカルナンバーが増えたり。
多様性あふれながら、越えられない差別の意識を見せるシズ大学
一見すると、非常に多様性に満ちたオズの国。シズ大学。アジア系にアフリカ系、体系も様々でクィアらしき描写の人もたくさん。
だから結構理想郷のように見える。それでもなお、肌の色が緑色という事実を、エルファバを受け入れられない。この描写からは、場所や国や時代を越えて、どうしても差別が付きまとうことを示すように感じられました。
そしてさらに鋭いところとして、被差別者のエルファバ自身もステレオタイプ的な偏見を持っていることです。それは”What is this Feeling”の歌の中で、エルファバが「私のルームメイトは・・・ブロンド(おバカ)」というところ。
コメディですが、白人ブロンドの人気者は頭空っぽでアホだという決めつけを、エルファバですら持っているということです。
この作品、結構苦くて闇がある。
エルファバの行く末を暗示するかのような演出構成された楽曲
楽曲は舞台版など知らない、初めて聞いたという客層である私からしてもこれは納得の力強さでした。
エルファバが初めて自分自身を認められる、ありのままを認められることになる場面。
そこで流れる”The Wizard and I”。
エルファバがある意味シズの規模を超えている存在であることとを示すように、この楽曲の中で彼女は学校を飛び出していく。
そして最終的には広い荒野の先に、海を望む崖に行きます。
シズを飛び出す行く末が崖っぷちというほんのり香る危険性も、後半の彼女の運命の示唆のようで良い演出だと思います。
素晴らしい楽曲の明るさの裏に、非常に鋭い社会批判がある
ダンスナンバーとなっている”Dancing Through Life”もエルファバとグリンダの関係性が変わっていく”What is this Feeling”、そして”Popular”。
舞台でも締めとなっている、先日のオスカーでシンシア・エリヴォとアリアナ・グランデがパフォーマンスした”Defying Fravity”まで、圧巻です。
配信ではなくて巨大なスクリーンで出会うことこそ、本当の魔法だと思います。
そして今作、多様性あるシズ大学の描写とその闇にもかかわりますが、歌も実はとても恐ろしい一面を持っています。
明るい歌ノリノリで楽しいのですが、それぞれが実はとても怖い。OPの”No One Mourns the Wicked”は単純に人の死を喜ぶという苦さがあります。グリンダは特に苦しいでしょう。
“Dancing Through Life”は学生が勉強なんてせずに遊ぼう!といった歌ですが、歴史の授業のヤギ先生のことを見ているに、こんな風に本(知性)を踏みつけて何も考えないということがいかに危険なことか感じ取れます。
何も考えない人間の方がオズの国にとっては都合がいいことなんでしょう。
そして”Popular”。これも秀逸なんです。
歌詞を考えたとき、グリンダは「何ができるかじゃないの。どう見えるかよ。過去の指導者は実力を持っていた?違う、共通点は。。。人気者だったこと!」といった内容を歌っています。
グリンダがエルファバを助けようとする歌なのですが、非常に鋭いと思います。
器もないし、度量もスキルもない。それでもパフォーマンスによって人気だけを得て上り詰める。これはオズの魔法使い彼自身のことを暗示し、そして現実での多くのリーダーにも当てはまる。
人気さえ得てしまえばそれでいいという視点は苦くも真実です。
これらを完成させている映像表現なども良い点ですが、やはり主演陣。シンシア・エリヴォとアリアナ・グランデが本当に素晴らしかったと思います。
二人の歌唱力は圧倒されるものがあります。
コミカルで繊細で優しい、絶妙なバランスを引き出せるアリアナ
まず、アリアナ・グランデ。彼女の役柄は実は個人的にはシンシアが演じたエルファバよりも難しかったのではないかと思います。
というのも、グリンダはちょっとアホの子なのです。でもけっして愚かしいということではなく、だからこそエルファバのために立ち上がり寄り添うことができる。優しさも持っている。
でも、二人は衝突しなくてはいけないし。嫌な奴って感じのポジションを取らなくてはいけないけれど、嫌いになるほどのことではなく。
絶妙にうざいところとか残念なことろがあるけど、観客もグリンダのその明るさや優しさにひかれていくべき。そんな難しいバランスを見事に演じきっていました。
聡明で、エルファバと違うアプローチで事態を収めようとするグリンダ
アドリブを聞かせているシーンも多いそうで、その部分の才能も見せていますが、アリアナがグリンダの正確にかなり深い理解をもって演じているのは、実はグリンダが非常に冷静で聡明であることを見せています。
大きな事態を前にした際に、実はグリンダは中長期の視点でモノを見たり、または事実の背景を見ようとする人物です。
エルファバに何があったのかを「お互いの秘密を話そう」と言って聴きだしていたり、だからこそOPで西の魔女の生まれの話をしていたり。
また機械仕掛けの気球が飛んでくるシーンや、オズの大きな顔を見ている際に、ただ驚き魅了される周囲と違って、彼女だけはその機械仕掛けのメカニカルな部分に目線を向けているんですよね。
だからこそ、エルファバと同じ思いでも違う道を歩む。間違っていることに対して正面から闘うのではなく、あえて内側に残ることでできることもあるのではないかと信じているからです。
素晴らしい歌唱力の歌姫
さて、そんなアリアナ・グランデですが、歌についてもさすがすぎます。
私は音楽界には全く疎いため、彼女のディスコグラフィについても知りません。しかし、この人の歌声というか音域というか、びっくりしますね。
明るいグリンダの調子ではかなり高い音域でありつつ、しっかりと映画劇的な重厚なボーカルも聞かせてくれます。
軽やかさの部分は彼女の力がすごく大きく感じました。”Popular”という曲がありますが、そこでのアリアナのlarの発音、歌い方がめっちゃ好きです。あれ心地良いです。
抗いがたい魔法を持ってるシンシア・エリヴォ
そしてシンシア・エリヴォ。
「ハリエット」の方から入っていた私にとっては、ブロードウェイで実力をみせていた彼女の歌っているところを聞いたのは初めて。こちらもびっくりして圧倒されました。
彼女もまた幅のある歌声だと思いますが、今回は舞台的なライブ感と映画的な包み込んでならす感じと、どちらでも重厚な歌声だと思いました。
エルファバのすこし気難しい感じとまじめさを演じながら、喜ぶところで少女のような点が私は印象的に感じます。子どもの頃から、人に好かれたり褒められることがないままに来た。
だからエルファバは対処の仕方を学んでこなくて、子どものような反応を見せるのかと。
まさかのライブで歌い演じた二人と歌詞の深い意味
実はアリアナもシンシアも、撮影の際には監督から歌のシーンでは録音したものを使おうかと言われていたものの、ライブでいくと断ったとか。マジのプロすぎる。
そして二人で歌う様々な楽曲の中でも、とりわけ”Defying Gravity”は強い。
もともとは皮肉で込められていた”I Hope you’re happy”「あなたが幸せだといいわ」。これはグリンダが自分自身の気持ちと名声のためにエルファバに良くしようとしたところなどと重なっています。
しかし、曲の後半でついにエルファバが空を飛ぶとき、そこでグリンダが言う”I Hope you’re happy”は心の底から友人の無事と幸せを願っている言葉に変わっています。
素晴らしい主演二人のケミストリーもあり、友情の物語として非常に楽しいし切ない。
分断の時代に、共通の敵を作る策略
エルファバは自分らしくあり続けようとした、しかしその力がオズの魔法使いに利用されようとします。魔法の力での統治に限界を感じた彼が繰り出したのは、今まさに響き渡るようなロジック。
分断された世界をまとめ上げるためには、共通の敵を作ればいい。
迫害されていき、言葉を奪われるという危機に瀕した動物たちと、ほかの魔法使いたち。シズにグリンダやエルファバが到着した際に、エルファバの魔法が暴走しシズの外壁を壊してしまいます。
そこでちらりと見えるのは、オズの魔法使いの絵の裏に隠れていた動物の賢者の絵。歴史の授業ではエルファバが「過去を見て学ぶ。」と言いますが、先生が連行された後に来た新しい先生は「過去は見なくていい、未来を見ようと」言い放ちます。つまり歴史の改編と隠蔽。
国の闇の深さが物語られますが、こういった政治劇にエルファバがこれに利用されるとは。
悪の魔法使いと決められ、国をまとめるための標的にされてしまう。
彼女にしっかりと向き合い触れ、寄り添おうとした存在が少ないさみしさ。Defying Fravityの中で”And if I’m flying solo. At least I’m flying free“という歌詞があります。
「もしも一人ぼっちで飛んでいたとしても、少なくとも私は自由。」あまりに切ない言葉です。
とにかくパワフルで楽しく、次のPart2が楽しみになっている時点で勝ちですね。なんなら舞台にも興味出てきたくらいです(今作ではイディナ・メンゼルとかカメオも出ていますね)。
IMAXなどの大画面で体感するべき作品ですので、ぜひ劇場での鑑賞をおすすめします。
今回の感想はここまで。ではまた。
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