「母の聖戦」(2021)
作品概要
- 監督:テオドラ・アナ・ミハイ
- 脚本:アバクク・アントニオ・デ・ロザリオ、テオドラ・アナ・ミハイ
- 製作:ハンス・エヴァラエル
- 製作総指揮:ダルデンヌ兄弟、デルフィーヌ・トムソン、テオドラ・アナ・ミハイ、クリスティアン・ムンジウ、チューダー・レウ、ミシェル・フランコ、エレンディラ・ヌニェス・ラリオス
- 音楽: ジャン=ステファヌ・ガルベ
- 撮影:マリウス・パンドゥル
- 編集:アラン・デソヴァージュ
- 出演:アルセリア・ラミレス、アルバロ・ゲレロ、ホルヘ・A・ヒメネス、エリヒオ・メレンデス 他
ドキュメンタリー映画を手掛けてきたテオドラ・アナ・ミハイが初のフィクション長編映画の監督デビューを果たす作品。
ある日突然娘を誘拐された母が、誘拐を指揮する麻薬カルテルに対して孤独に闘いを挑んでいく様をドキュメンタリっくに描き出します。
主演はアルセリア・ラミレス。
作品は意欲的な挑戦となっているようで、ダルデンヌ兄弟、クリスティアン・ムンジウ監督などの支援を得て製作されました。
2021年の東京国際映画祭では原題のままの「市民」というタイトルで上映され、審査員特別賞を獲得しました。
映画際では見に行けなかったものの、一般公開されるということで23年の初めに観たい映画の一本でした。
公開週末に鑑賞。こういう小さな映画の割には結構人が入っていました。
~あらすじ~
メキシコで可愛い娘ラウラと二人暮らしをしているシエラ。
いつものように学校に行く娘を送ったシエラの前に、見知らぬ男が現れて言った。
「お前の娘を預かった。返してほしかったら金を払え」
何が起きたかもわからないシエラだったが、ラウラとは連絡がつかず、男たちの指示通りに金を集めるしかなかった。
別居している夫にも頼り何とか金を集め、約束通り男に支払うも、ラウラは帰ってこない。
地元の警察を頼ればラウラを殺すと言われたことから、頼る人もいなかったシエラは単身組織のことや誘拐ビジネスを調べ始める。
感想/レビュー
メキシコの誘拐ビジネスというのは、そらくある程度日本でも知られているのではないかと思います。
ただ映画というメディアにおいては、もっとエンタメ寄りというか。
それこそ「ボーダーライン」シリーズが麻薬カルテルの怖さを描いていたようなことがあったり。でも今作はとにかく実直です。
エンタメとしてではない意味ですさまじい臨場感があり、そして現実に打ちのめされる映画になっています。
現実の取材から生まれ出た叫び
その要因としては、今作がもともとはドキュメンタリーになる予定だったことが挙げられるでしょう。
ミハイ監督は今作のモデルとある女性に出会っており、彼女を通して娘をさらわれ失ったことや警察や軍の対応などを聞いていました。
リサーチと彼女への同行を重ねドキュメンタリーを企画したものの、センシティブな情報を扱うことや実際の犯罪組織に近しくなることの危険性があまりに高く、映画にはできなかったそうです。
そしてとても残念なことに、取材相手だった女性が犯罪組織に射殺されてしまいます。
彼女の物語をこのままにしてはいけないという思いが、こうしてミハイ監督に劇映画として今作を作るきっかけをくれたと言います。
実録的な手触りを徹底
悲惨な現実から生まれた今作は、エンタメに寄りません。
やりたかったであろうドキュメンタリーと思うような構成とスタイル。
今作はワンカットの長回しが多く、そしてカメラは対象にくっついて移動する。
そこには劇半もなく生活音や街の音、そして犯罪組織との銃撃戦の音が反響しています。
実直なスタイルがダルデンヌ兄弟っぽいと思えば、製作として入っているのですね。
またクリスティアン・ムンジウ監督もいて、そういった実録の手触りは保証されていたのだとわかりました。
観客という立場を奪う
ただこの実録というか当事者の視点に放り込む手法が、一番効果的なのは感情をシエラと共有することです。
観客だからと言って何か外部情報が示されるわけでもなく、そこには統計データや数字、ニュース記事のような外部視点は一切ない。
観ている私たちに与えられる情報も、シエラと全く同じ量と粒度です。
ラウラが誘拐されたということに関してももちろんそのシーンも映らない。
ただシエラと一緒に車にいて、変な男が脅迫してくるだけ。
理不尽さと何も分からないという悔しさや不安、恐怖がシエラを取り巻きますが、観客に与える情報も同じにすることで、同じ感情を共有することになります。
遺体の安置所に行くところもシエラと全く同じ緊張感をもって同行する。夜の家では銃撃されないか不安になる。
真に問題をぶつけるには
このプロセスこそが、メキシコの誘拐ビジネス問題を提起するうえで必要ということ。
主眼を置くのがメキシコの警察のカルテルとの戦いとか、スーパーエージェントが誘拐された娘を助けに行くとか、アメリカのCIAのミッションでもダメです。
なぜなら犠牲になっているのは市民だから。
だからこそ一市民の目になって、その戦いを追う。分からないことは最後まで分からないし、恐ろしくても助けは来ない。
そして、暴力が自分の中に入ってくる様を感じ取るのです。シエラは優しい母でしたが、髪を切り戦士になる。
カメレオンを握りつぶしかけるシーンに、この苦悩や怒りが込められています。
理不尽さに襲われて、シエラは暴力の渦に。戦士として暴力に加担するのが悲しい。
私もいつしかシエラと行動するうちに、カルテルへの言葉にしてはいけない暴力性が湧きあがる瞬間を感じました。
それはまた恐ろしいものです。
映画というメディアによって遠く離れた国で起きる悲痛なことを体験し、心を通わせる。そこから問題を見つめていくという力強い作品でした。
公開規模は小さめですが、おすすめの一本。
今回の感想は以上です。
最後まで読んでいただき、どうもありがとうございました。
ではまた。
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