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「ザ・ピープルVSジョージ・ルーカス」”The People vs George Lucas”(2010)

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映画レビュー
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「ザ・ピープルVSジョージ・ルーカス」(2010)

  • 監督:アレクサンドレ・オー・フィリップ
  • 出演:各専門家、批評家、ファンのみなさん

だれでもタイトルは知っている「スター・ウォーズ」

1977年に公開されてから、圧倒的な人気を誇り、80、83に続編、1999には前日譚となるシリーズを開始。2005に公開された作品でサーガを閉じつつも、その後アニメやら色々続きました。

私も大好きで、こちらはなかなかの評価でしたので見に行きました。渋谷で夜から小さな劇場でやっていましたが、ファンが押し寄せて満員。

ベイダーやトルーパーも来ており、コスプレやライトセーバーを持ち寄る人も。このドキュメンタリーの示す雰囲気をそのまま映画館の盛り上がりに感じたわけです。今回文章長めです。

前述の通り、映画「スターウォーズ」は6作あります。77からの4、5、6は旧三部作またはオリジナルと呼ばれ、99年からの1、2、3は新3部またはプリクエルと呼ばれています。

全世界で熱狂され、映画という枠を超えて考えても、歴史上大きなカルトとなった作品。

しかし、その歴史や影響の大きさゆえ、ファンの中では色々と議論も。この映画では映画の立場、そしてその生みの親であるジョージ・ルーカスへの思いを掘り下げていきます。

膨大な数の本編、二次創作、パロディ番組やニュース映像を組み合わせ、さらには監督や批評家に専門家、ファンのインタビューも大量に取り入れた本作。

SWへの愛やヘイトをうまく交互に織り交ぜることで、一方的な意見のドキュメンタリーにしないのはお見事。編集作業だけでかなりの労力がうかがえますね。

おそらくSWを微塵も知らない層からすれば、何をそんな・・・と言いたいでしょう。しかし私としては、なぜそこまで熱くなるのか。それを知るために言い素材ではないかと感じます。

77年当時の熱、その後のファンたちとその子供世代までの人気。何がそこで置き、何が愛され何が怒りを買うのか。

このドキュメンタリーを見て、SWシリーズが世界においてどんな立ち位置にいるのかを知るのも良いでしょう。

ドキュメンタリーが追うのは大きく分けて二つのポイント。

1つ、旧三部作世代vs新三部世代。

2つ、ジョージ・ルーカスによる改変問題。

新旧というのは2つめと少し関連した問題。

まず77年の4公開、それがどれだけ多くの人を動かしたかということ。ベトナム後の暗く沈んだころ、アンチヒーローや災害パニック物などがはやり、世相含めとにかく落ち込んでいた。

鬱な空気に突如現れた銀河オペラは、勧善懲悪かつ楽しかった子供のころの夢が心に戻る感覚。希望を与えてくれたわけです。そして人生を変える。

それだけ鮮烈に社会を変えたのです、もちろん今ではよくわからないかもですが、その当時を生きた人はSWがきっかけで映像関係や宇宙工学を志しました。事実、1の映像スタッフには、青年時に旧作を見て映像系の大学を出た人がいます。

これを示すことで、「たかがSF映画で・・・」という疑問は薄くなるでしょう。

さて、新旧の衝突というのはもちろん456世代と123世代の間の話。456の世代がそれに心奪われて青春をささげた。そして10年以上して1が公開。当たり前のように期待しますよね。

何が起きたかと言えば、史上最大の失望でした。ニュースでは公開前の興奮が取り上げられ、予告を見るためだけに他の映画を見たり、当日には多くの州で欠勤が大量発生。

しかし見たものは、456とは違うもの。言ってしまえば駄作・・・

崇拝した旧三部を壊すくらいの残念な新作。当然ファンは怒るのです。「これはあの時希望をくれた、私たちの愛したSWじゃない。」と。

それに対し移されるのは、子供の反応。ここで面白いのは、子供は新三部が大好きということです。映画としての役目はしっかり果たしていますね。

大人と子供。互いに好きなエピソードを話し、時に興奮して熱くなる。

作り、脚本、映像、人物、そしてジャージャー・・・(ジャー・ジャー・ビンクスが好きな方、覚悟してこの映画を見てください。)

私がここで思うのは、派閥も分析もあれど、SWが世代を超えて愛され、話題にされていることです。

最新の3でさえ、もう10年前。失望の1だって99年の話です。年数がたってもまだ話題になる。それだけでこのシリーズのカルト具合が感じられました。

ここからがファンらしく熱い話題。監督であるジョージ・ルーカスの改変問題。

詳しく言うときりがないですが、SWは劇場版以降、特別編やらDVD版やらで修正が加わった作品です。最新のソフトが出るたびに、ルーカスによってシーンが足されたり変化があるんです。

上でも書いたんですが、SWは人生を変えたもの。ファンにとっては聖書なのです。それが急に変更されたらどうなるでしょう?

自分の愛したシーンが違う。好きな音楽が消えた。台詞がない。人がCGに入れ替えられた。

もちろん個人の勝手だと言えばそうですが、あまりにカルト的すぎるゆえに大問題なのです。

ほんの少しの変化もファンには許せない。信じていたものが偽物になってやってきたようです。それに、映画としてクオリティの低下も見受けられます。修正によって脚本上に矛盾が生じる、人物の性格が変わっている、スタッフの努力が味気ないCGに劣化した・・・等。

映画での例えが面白かったです。

「もしキリストが現世によみがえって、聖書を書き直したら?」「ダ・ヴィンチが生き返り、モナリザに手を加え始めたら?」 みんな止めるでしょうね。

そう、いかにSWの生みの親でも、その作品にどれだけ干渉していいのか、それが問題です。

色々なニュースや番組で議論されるこの話題。

「彼の作品だから何をしようと勝手。ファンはやっかみだろ。」、「作ったものはその時代と人に属する。直してもいいが、オリジナルをなかったことにするな。」

様々な見方がある中で、一番のポイントはこれでしょう。

「ルーカスこそアナキン、ダース・ベイダーだ。」

元は田舎の青年のルーカス、制作会社の干渉が嫌いで独立。自由な製作をめざし、SWを作った。しかし、ヒットを飛ばした結果が、自分が嫌っていた製作会社のトップになること。

そして彼は自分のものだからと、作品に干渉し始めた・・・

まさに倒すべきものに自分がなってしまった。これはおもしろい。

愛憎入り混じった議論。作品と作り手がどうあるべきか、ファンはどう発信するべきか。

以外にも深く切り込んでいくものですね。

個人的に思うのは、このドキュメンタリーが、SWの成功をルーカスに搾ってしまったところ。私は彼を認めますが、彼1人のおかげでSWが愛されるとは思いません。

デザインが違ったら?ジョン・ウィリアムズが作曲していなかったら?ベン・バートの音響がなかったら?いくらでもありますよ。そこはルーカスにも気付いてほしいところですが。

当時頑張ったスタッフをあっさり切り捨てて、差し替えをしてしまう監督ですから。

通して見た私の見解は、ルーカスは偉大だが全能でないこと。そこは1、2など見ればわかります。

好きなのは旧3ということ。修正は良いけど、ファンがいうように、これまでを消さないでほしいこと。劇場版をリリースすればいいじゃない!

そしてやはり、ジョージ・ルーカスに感謝していること。

長くなりました。SWファンの方はどう思うでしょう?作品と人の距離やカルト性。

全てひっくるめても、やはりSWがあってよかった。それだけは確実に言えることです。

それでは。

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