「プラットフォーム」(2019)
- 監督:ガルダー・ガステル=ウルティア
- 脚本:ダビッド・デソラ、ペドロ・リベロ
- 原案:ダビッド・デソラ
- 製作:カルロス・ファレス
- 製作総指揮:ラクエル・ペレア、カルロス・ファレス
- 音楽:アランザス・カレハ
- 撮影:ジョン・D・ドミンゲス
- 編集:アリッツ・ズビリャガ、エレーナ・ルイス
- 出演:イバン・マサゲ、アントニア・サン・フアン、ソリオン・エギレオール、アレクサンドラ・マサンカイ 他
スペインの新人監督ガルダー・ガステル=ウルティア長編デビュー作品となる、ワンシチュエーションホラー。
縦型に設計された階層の中で過ごすことになると男と、彼の同室者たちのサバイバルを描きます。
主演はイバン・マサゲ、そのほかアントニア・サン・フアン、ソリオン・エギレオールらが出演しています。
スペインのゴヤ賞(特殊効果)を受賞していたり、またトロント国際映画祭においてはジャンル映画としてはとても名誉なミッドナイトマッドネス部門観客賞を受賞など、このジャンルとしては嬉しい評価を得ているようです。
全然知らない作品でノーマークだったのですが、映画館で予告が流れていてその設定のストレートさと久しぶりにゴアホラーを観たいという感情がなぜかあったので鑑賞してきました。
時間帯としては土曜日の昼過ぎってことでいいタイミングだったのか、かなり混んでいました。
また年齢層も結構若かったですね。カップルとかでも観に来ていましたし。
ちなみに今作はR-15指定になっております。
あとモザイクはかかっているのですが、一部人体損壊とカニバリズム描写もありますので苦手な方はご注意を。
ゴレンは目覚めると、不思議な閉鎖空間にいた。
その部屋の壁には48の文字が彫られており扉も窓もないが、部屋の中央には四角い穴が開いている。
そして同室者としてトリマカシという老人がいた。
彼が言うには、ここは垂直階層の建物で、入所者は1か月ごとに暮らす階層が変わるという。
そしてブザーとともに穴を通り上からプラットフォームが下りてきた。
そこには食い散らかされた料理が載せられており、トリマカシはなりふり構わず食事をむさぼり始める。
どうやらこのプラットフォームは1階層から下へと降りていくもので、上の人間の食べ残しをその下のものが食べていくという仕組みらしい。
上の階層にいるときは運がいいが、下になるとほとんど食べ物はない。
下の者を考慮せず自分たちの必要以上に食事をむさぼる連中に憤るゴレンだったが、1か月後に171階で目覚めたことからすべてが狂っていく。
一つのアイディアを2時間に伸ばしたような試みの映画で、このVSMC(Verticle Self – Management Center)で繰り広げられるゴアホラーは一定のファンを楽しませてくれるものになっています。
着想としては単純で、ワンシチュエーションでのサバイバルは「CUBE」、また生き残るために殺生が絡むことはどことなく「SAW」シリーズっぽい部分もあります。
そして何より、高低差そのものを社会的な構造における格差ととらえる寓話というのは、ポン・ジュノ監督の見事な格差社会のドラマ「パラサイト 半地下の家族」をどうしても彷彿とさせます。
言ってしまうとこうしたジャンルの複合体施設の作品になっていて、そのとりまとめをしながら独自の解釈とドラマを展開しようというわけです。
しかし個人の意見では、このVSMCはその階層の深さほどには深い社会観察やメッセージの定義には至らなかったと感じます。
もちろんジャンル映画としては良いと思います。
ゴア表現にモザイク処理があるのは少し残念でしたが、容赦せず人間の醜悪な部分を、文字通り糞で語っていくのは清々しさすら感じますね。
プロダクションデザイン、サウンド、音楽などの作りこみもよく、シンプル化した構造の中で基盤をしっかりした設定を盛り込んでいます。
で、この寓話はそれ自体にいろいろと要素を込められていると思います。そこを掘っていくとおもしろくはありますが・・・
まず主人公ゴレンは愚か者であり聖なる者。キリストの投影といってもいいでしょうか。
彼がこのVSMCに持ち込んだのは小説です。ドン・キホーテ。
つまり彼は現実が見えていない理想主義者であると示しています。
それが実用性抜群のサムライ・プラスを持ち込んだ(ソリオン・エギレオールの素晴らしい演技で最高に印象深いじいさんになっています)トリマカシとの出会いにより世界をとらえていく。そして狂気へ落ちる。
全部で333層(これは天使の数字という意味もあるようで、「その力を他者の為に使いなさい」というメッセージもあるとか)のこの施設。
そこに各階層2人づつということで、全部で666人=不吉な数字、つまりここは地獄そのものです。
そんな地獄を旅していくゴレンはダンテのようでもあるので、案内人たちにも意味はなんとなく見て取れます。
地獄を案内していく中でゴレンは人間の根元的な醜さを身を持って体験していくことになります。
普通の施設は地上から数えて1、上へ向かって数字を増やしていきますが、VSMCは逆です。ただただ深くなっていく。
数字には上限がないように下層にも上限がないかのようです。
純化されたドラマは全て食事と消化、排泄にまとめられていきます。
クソは上向きにはできない。ただ排泄物は下っていく。
そこに込められている意味を紐解いていくことが楽しいのであれば十分でしょう。
ただ自分にはそれが考察だとか深読みとは思えません。
小ネタのように散りばめられたピースを拾っていった先に、満足感はありません。
個人に繋がるものがないのです。
ゴレンもトリマカシも、全員が寓話の登場人物でしかない。象徴されるアイコンであって、距離を置いた存在です。
どう繋がれば良いのか。
打ち立てた格差構造をそのまま置いたVSMCが最下層に到達しても、その深さのような答えも提案も見えませんでした。
そもそも6階からの地獄巡りは、その上にいる(5階層以上)者への働きかけにはなりませんし。
メッセージが食べ物ではなく生きた人間に変わるのはまあ、下にも人が生きてるんですよというメッセージとして良いかもしれませんが、どうにも弱いです。
個人個人のドラマへの没入というのが自分には足りず、またなぜだか下層向きの話についても微妙です。
結局管理者へのメッセージなのか、あの厨房で働く0階層の人間への訴えなのか・・・
社会構造を捉えた寓話というセッティングは見事ですが、作品自体からの伝言はあらず。
ジャンル映画として楽しいのは間違いないですが、どうにかして上に向かってクソをして見せて欲しかったものです。
ということで感想は以上。
コロナ禍における閉鎖空間映画は人によって堪えそうです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
ではまた次の記事で。
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