「ぼくの名前はズッキーニ」(2016)
- 監督:クラウド・バラス
- 脚本:セリーヌ・シアマ
- 原作:ギルス・パリス
- 製作:マーク・ボニー、アルメル・グロレネック、ポーリーン・ジガックス、マックス・カーリー、ケイト・メルクト、マイケル・メルクト
- 音楽:ソフィー・ハンガー
- 撮影:デヴィッド・トウテボワ
- 編集:ヴァレンティン・ロッテリ
- 美術:ルドヴィク・ケマリン
- 出演:ガスパード・シュラッター、シックスティーン・ムラト、ポウリーン・ジャクー、マイケル・ヴュイエルモ 他
2017年のアカデミー賞最優秀アニメーション部門にノミネートされたスイスのストップモーションアニメ。日本では東京アニメアワードフェスティバル2017で上映がありましたが、一般の劇場公開はされていない作品です。
原題ではCourgetteとついていまして、英語タイトルも”My life as a Courgette”だったりします。意味は変わらないですが、コジェットはズッキーニとイコールという事です。というはコジェットの事をアメリカではズッキーニと呼んでいるという事らしい。
私は北米版ブルーレイでの鑑賞で、原語版ではありません。ちなみに英語の方では、吹き替えにエレン・ペイジやウィル・フォーテ、ニック・オファーマンらが出演していました。
評判が高かったことと、いまはトラビス・ナイト監督の「クボと二本の弦」も観て、せっかくならアニメーション賞ノミニーを制覇したく購入。
9才の少年ズッキーニは、アルコール依存症の母と暮らしており、ある不幸から孤児院へと移ることになった。
そこにはそれぞれ事情のある子供たちがいて、ズッキーニはガキ大将サイモンなどと仲良くなっていく。
そしてある日、カミールという女の子がやってくる。ズッキーニは彼女に一目惚れし、彼女がどうしてここに来たのか知りたくなった。
とても心暖まる作品ですが、まずクレイアニメの人形でのアニメーション表現が、この作品に効果的でした。
ズッキーニはじめとして、子供たちのその見た目からの脆さ、か弱さが感じられるからです。腕や足は細く、頭が大きい体型で作られたズッキーニたちは、そのまま傷つけられれば壊れてしまいそうな感触が直に伝わってきます。
彼らの眼はとても大きく、ガラス玉のような反射をもって、彼らの見る世界をそこに映しているのです。シャイで静かなズッキーニの眼だけで分かる痛み。
「カミールの眼見れば分かるよ。彼女は全部見てたんだ。」あまりに残酷な境遇と、それに直面したカミールを知って、ズッキーニそう言いますが、まさにこの小さな人形の眼が、彼らの心を映すのですね。
そのミニチュアという部分は撮影でも活かされていたと感じます。
OPのズッキーニがある事故を起こした時や、ゲレンデに遊びにいって親子を見たときの子供たちのショット。あそこでカメラがスローで引いていくんですが、そこに映る小さな子供達がより小さく、孤独に切り取られていて、非常に切なかったです。
今作は切なく、痛く、正直にいって子供向けとは言えない作品です。
語られている事があまりに残酷でかつ現実的なのです。虐待、強制送還、性的暴行、麻薬や犯罪。
しかし、そうしたものの語り方が今作は素晴らしい。あくまでこのズッキーニたち子供の目線だけに絞った本作は、それゆえにユーモアがあり可愛らしくおかしい。そしてその事実と意味を汲み取れる大人だけが、悲惨さとギャップに心を打たれるようになっているのです。
それは優しい警官であるレイモンドと初めて話すズッキーニのシーンで完璧に見せられます。
Chickという言葉の捉え方、子供から見たセックス、そしてゲレンデで親子を見たときの「優しいお母さんだね。きっとお母さんじゃないんだよ。」というあまりに切ないセリフ。
無垢な視点から出てくる深い言葉に、絶えず心を痛めて、またこの子たちが愛しく感じてしまいます。
ともすれば、現実を汲み取れるのが大人だけである点は、ある意味子供が見るのに最適な作りであるとも言えるんですよね。この世界にある残酷を子供の感覚で伝えられるわけですから。
サイモンのいうセックスがおかしいと同時に、それを見ていたという事実に絶句。彼の攻撃的態度も防衛だと分かるとき、頭にある傷跡に胸が痛くなります。こういった細かいところには大人が気付き、人物たちの境遇を理解していきますから、今作自体が言葉で語る部分は多くないのですが、観客が悟っていくところが多いのです。私はそこが好きです。
直接的愛の描写に、愛を知らない子供たちは「気持ち悪い」とからかいます。
職員のキスもハグも、そして子作りも、子供たちにとってヘンテコなもの。だって、抱き締めてもらった事もないし、お休みのキスもされなかったからです。
ズッキーニは寝る前のキスで、感じたことのない、もしくは懐かしい感覚を覚えていました。
与えてもらえなかった愛情。
サイモンはみんなより少し大人びているからか、ズッキーニを行かせます。
「オレたちは誰にも愛されなかった。これからも愛されない。」
そうこぼしていた彼が、ズッキーニを大切な友人と思うからこそ、レイモンドのもとへ行かせるんです。
人を愛し愛されることを学んでいく。
凄惨な過去がこの先の人生を決めてしまうことはない。これは問題を抱え絶望する人への愛のこもった映画です。
そして、家族というものの映画。血ではなく自分で築いていけるもの。
巣を作っていた鳥がついに家庭を築くように、愛が家族を作る。そして職員の出産を通して、本来あるべき親子を子供たちは見ていく。
「足が臭くても、キリンみたいに首が長くても、おバカでも、絶対に捨てたりしない。」
ズッキーニとしての人生。
「レイモンドもお母さんがくれた名前なの?」
ズッキーニはヘンテコな名前でも、お母さんからもらったものだからと大切にしている。
彼の愛は一方通行だったかも知れませんが、人を愛せるズッキーニは、人に愛されるのですね。
社会問題、児童虐待に孤児の厳しい環境を、かわいらしい子供の目線で見事に描いた本作。
人形の造型が彼らの脆さを引き出し、なにより守りたくなる。子供は多くは語りません。しかしここで観客側に汲み取らせる作りによって、いたたまれない気持ちにさせる。また、こういう思いやりのある暖かな目線を私に思い返させてくれるのです。
たった66分の中に、少ないのにとにかく深い言葉と底知れない優しい愛がつまった映画。
子供向けとは言い切れないのですが、子供と一緒に誰しもに見てほしい作品です。是非劇場のスクリーンで見たいのです。日本公開しないかな。そんなこんなわけで、人に優しくなれる素敵なアニメーション映画でした。また~
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