「ディック・ロングはなぜ死んだのか?」(2019)
- 監督:ダニエル・シャイナート
- 脚本:ビリー・チュー
- 製作:ダニエル・シャイナート ジョナサン・ワン メロディ・シスク
- 音楽:アンディ・ハル ロバート・マクダウェル
- 撮影:アシュレイ・コナー
- 編集:ポール・ロジャース
- 美術:アリ・ルビンフェルド
- 衣装:レイチェル・ストリングフェロー
- 出演:マイケル・アボット・Jr、バージニア・ニューカム、アンドレ・ハイランド、サラ・ベイカー、ジェス・ワイクスラー 他
「スイス・アーミー・マン」のダニエル・シャイナート監督が再びA24と組んで送るある死亡事件を巡るダークコメディ。
死んでしまうディック・ロング(長いイチモツとかいうふざけた名前)を監督自身が演じ、マイケル・アボット・Jr、バージニア・ニューカム、アンドレ・ハイランドらが出演。
作品自体はなにしろダニエル・シャイナート監督の新作とのことで結構前に注目を集めていました。
日本公開は遅くはなりましたが無事。劇場は座席間隔をあけていることや朝早めの回だったことを考えるとかなり人が入っていました。
ジーク、アール、ディックの3人の仲間たちは、バンドの練習と言ってはジークの家の納屋に集まり酒を飲みバカ騒ぎをして過ごしていた。
そんなある夜、ディックが死亡する事件が起こる。
ジークとアールはどうにかディックの死への関与をひた隠しにし、ディックの死因が分からないように工作するのだが、どうにも空回りしてしまう。
地元警察も、この不審な死の真相を追い、そしてジークの妻もまた、あからさまに挙動不審な夫にお互いを持ち始めていた。
ダニエル・シャイナート監督の前作「スイス・アーミー・マン」が持っていた独特のユーモアと、奇妙さはやや抑えられているようになりました。
ファンタジーや無茶苦茶な現象はなく、ある程度現実に寄っています。
そして寄り添うその現実は、普段描かれないまたは非常にステレオタイプ的に描かれがちなものです。
アメリカ田舎町の、なんというかアホで、ちょっと理解に苦しむ、いわゆるホワイトトラッシュと呼ばれる人々。
この作品は彼らに寄り添い、哀れなほどバカな選択に誠実に向き合うものであり、それはどことなく、笑顔になる優しさも感じられるものでした。
今作は田舎町ものと犯罪隠蔽ものを掛け合わせるという、王道的で繰り返されてきたプロットであります。
ただ、そのそれぞれの必須要素を持ちながら、監督独自の珍妙なバカバカしさが宿り、今作をユニークなものに仕上げているんです。
どの登場人物も、私が好きな生きている感覚があります。
映画が始まる前から、そして終わったとしても人生が続いていく手触りが。
不必要に関係性を語らず、節々の言葉に距離が見てとれたり、素晴らしいなと思います。
婦人警官の事件を欲してきた部分も、ハリキリすぎなテンションで分かりますし、やはりここもコメディになります。
また奥さんが怒りながら、「私の親友に」というこれだけで、この小さな町での歴史とか人の営みが感じとれます。
アールの足に足を置くあの自然さで男女関係がいい感じに伝わったりしますし。
また犯罪隠蔽ものとしては、真実は見せないながらも、しっかり言い訳と逃げのプロセスは観客に共有し、そのあまりのバカバカしさにまた笑うことができます。
ジークの一連の行動や、そもそものディック・ロングの死は、まさに冗談としか思えない。
なんとも奇妙で愚かで、バカすぎて信じられないのですが、ダニエル・シャイナート監督はそうした切り捨てを絶対にせず、誰しも重みある生を抱えていることを描きます。
バカな人間っているな。バカな人たちだな。とカテゴライズしても、やはり彼らも彼らなりに考え、現実に向き合い、愛し、傷つき生きているのだと。
この部分は、影のような存在で、目立たずゾンビ的な青年に生をぶつけた前作に似ている気がします。
あらためて、コメディの登場人物や、滑稽な人も人であると提起して、すごい優しさで包む作品。
実際ジークは、自分が事件に関わったことではなくて、ディックの死因そのものを隠そうと必死なわけです。自分の都合じゃなくて、友人の名誉のためなんですよね。
個人的には前作ほどアクが強くない点は物足りないですが、ユニークで好意的観た作品でした。
ちなみに、ディックの死因。ネタバレはしませんが実話とのこと。ワシントン州でホントにあった死亡事件なんですよ。
人間ってホントバカ。
という訳で感想はここまで。
最後まで読んでいただき、どうもありがとうございました。
それではまた次の記事で。
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