「ナイチンゲール」(2018)
作品解説
- 監督:ジェニファー・ケント
- 脚本:ジェニファー・ケント
- 製作:クリスティーナ・セイトン、スティーヴ・ハッテンスキー、ジェニファー・ケント、ブルーナ・パパンドレア
- 製作総指揮:ベン・ブラウニング、ジェイソン・クロース、アーロン・L・ギルバート、ブレンダ・ギルバート、アンドリュー・ポラック
- 音楽:ジェド・カーゼル
- 撮影:ラデック・ラドチュック
- 編集:サイモン・ンジョー
- 出演:アシュリン・フランシオーシ、バイカリ・ガナンバル、サム・クラフリン、デイモン・ヘリマン、ハリー・グリーンウッド 他
「ババドック~暗闇の魔物~」で鮮烈にデビューしたオーストラリアのジェニファー・ケント監督が、イギリスの入植を受けるタスマニア島での復讐の旅を描く作品。
主演は「ゲーム・オブ・スローンズ」などに出演の新鋭アシュリン・フランシオーシ。また彼女を導くアボリジニの案内人には、バイカリ・ガナンバルが初の映画出演を果たしています。
その他イギリス軍人にはサム・クラフリン、デイモン・ヘリマンが出演しています。
作品としては、批評筋にて高い評価を受けており、ヴェネチア国際映画祭では審査員特別賞を得ています。
その一方で、凄惨な暴力やレイプシーンには一定数拒絶を示す方もいるようで、途中退場者などはメディアでも話題になっている作品です。
日本公開は結構遅れてはしまいましたが、無事に公開。
渋谷で見てきたのですが、この頃の自粛ムードをはねのけてかなり混雑していました。
~あらすじ~
1825年のタスマニア島。
流刑囚であるアイルランド人クレアは、歌を披露しイギリス兵へ給仕していたが、刑期が過ぎても不当に拘留を続けられていた。
それに怒っていた夫のエイダンはクレアを自分のものとして扱うイギリス指揮官のホーキンスと喧嘩してしまう。
その結果、ホーキンスは部下を連れてクレアの家にやってきて、エイダンの目の前でクレアをレイプした挙句、激高したエイダンを射殺。
さらには泣きわめいていたクレアの幼い赤子まで殺害してしまう。
気絶させられたクレアは翌朝、ホーキンスたちが森を突っ切り街へ向けて出発したことを知り、復讐のため後を追い始める。
そこでタスマニアのジャングルの案内人としてアボリジニであるビリーを同行させることになった。
感想レビュー/考察
この作品は史劇でもあると思います。
タスマニア島を舞台としているのですが、大きな背景にはブラック・ウォーが横たわっています。
これはイギリスが植民地支配を進める中で、オーストラリアへ侵攻し原住民であるアボリジニの人々と起こした戦争です。
しかし実情としては虐殺と強制退去、最終的にはアボリジニの絶滅を招いた凄惨な軍事侵攻でした。
私自身なんとなくの知識しかないのですが、作品を見る上では詳細な知識などは必要ありません。
むしろそれを知っていくことのきっかけになりますし、何よりも人間の業や許し、復讐の無意味さが描かれ、理解と共生を美しいものであると感じられる作品でした。
この美しさは最後の最後まで抑えられていると感じます。
ジェニファー・ケント監督は徹底してこの題材を搾取的な意図で描かないのです。いい意味で容赦がない。
ともすればなにか感動的な流れに持っていくこともできたはずですし、ドラマチックにすることは多くのパートで可能です。
しかし、個人的には外してきていると思います。
直接的なバイオレンスが展開はされますけれど、乾いた感じで描かれていますし、人物に関してもクレアとビリーの距離感が絶妙でした。
クレアにだけ理解があるのではない。
彼女も生粋の人種差別主義者であり、黒人を人喰いの盗人としか思っていませんし、ビリーには不信感しかありません。
それはもちろんビリーも一緒です。彼にとっては白人は全員的であり憎悪の対象なのです。
そんな彼らが旅の中で見つけていくもの。
お互いに虐げられた者であり、イギリスという共通の敵を持ってして繋がり始める。
クレアもビリーも目の前で家族を殺されており、また自分の故郷というものに複雑な思いを抱いています。
呼応する行動である、前を歩くビリーにクレアが銃を向けているという行動。
そのアクションの裏に含まれる意味がガラッと変化していたり、話し運びの中で関係性は語られます。
銃と言えば、それを誰に渡すのかなどもホーキンス側とクレア側で行われながら、その受け渡しの関係性の違い含めて上手く描写に貢献しています。
また、寝るときの位置取りとか、言葉や対話を経ずに築かれる関係変化が見事。
復讐の先には業の重さや罪があります。クレアはOPと違い何度も悪夢にうなされます。救えなかった家族だけではなく、自分が殺めた兵士を含めて彼女に怨念のように憑りついていく。
他者を攻撃していくことの鎖は重く、人が生きていくには重すぎる。
この作品はアカデミー・レシオ、ほとんど正方形のアスペクト比をもって撮影されています。
その横の世界の狭さは、スリラーとしての画面外からの何かへの緊張感を持たせる効果だけでなく、上への注視も含んでいる。
それは大きく空へ伸びる大木や、最後のビリーが見せる舞の背景に広がる青空を映すためにも思います。
過去からの大きな存在は伝統や文化、空は永遠。
ボーイでもナイチンゲールでもない、導く相手も歌う相手も自分が選び、誰も、他の誰の所有品などではない。
けっして楽に観れる作品ではないですが、バイオレンスではなく、美しい作品として胸にとどめたい。人物の感情を抑え関係を語り、観客の感情が泳ぐ空間を生む。
だから観ているこっちが激しく感情的になる。
かなりおすすめの作品でした。感想としてはこのくらいで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
それではまた次の記事で。
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