「シーズン・イン・フランス」(2017)
- 監督:マハマト=サレ・ハルーン
- 脚本:マハマト=サレ・ハルーン
- 製作:フローレンス・スターン
- 音楽:ワシス・ディオプ
- 撮影:マチュー・ジョンビーニ
- 編集:ジャン=フランソワ・エリー
- 出演:エリック・エブアニー、サンドリーヌ・ボネール、ビビ・タンガ 他
「終わりなき叫び」などのマハマト=サレ・ハルーン監督が、フランスに逃れてきた難民一家を描くドラマ作品。
主演はエリック・エブアニー。また「沈黙の女/ロウフィールド館の惨劇」のサンドリーヌ・ボネールも出演しています。
作品はトロント国際映画祭に出品されていたとのこと。
少し前の作品になりますが、今回キノシネマの映画祭企画にて上映があったため鑑賞してきました。コロナ感染症のこのご時世、また平日の夜の回ということもあったのか、もうほんと数名しかいませんでしたね。
フランスのパリ。アパートに暮らすアバスには、二人の子どもたちがいる。
彼らはみな難民であり、フランスへの難民申請をしその結果を待っているのだ。
アバスは市場にて積み荷の整理を行う仕事をし、今は亡き妻を乗り越えて新たな関係を築き子どもたちを支えようと必死だ。
しかし、アバスの難民申請は却下され、30日以内に国外退去する命令が出てしまう。
資金もなく拠り所もないアバスたち親子はパリの街を寂しく歩く。
マハマト=サレ・ハルーン監督の作品は初めて鑑賞しましたが、リアリスティックさとかはダルデンヌ兄弟のようですが、音楽や独特の暖かさと、幻想的な要素が加わって、非常に独特な空気をもつ映画でした。
アバスを中心にフランスにおける移民の一家を見せていきますが、ここにいわゆるフランス人としてイメージされる、(それなりの階級の)白人層はいません。
助けてくれているキャロルを、救世主に仕立てていればなんともつまらない白人万歳の気持ちいい映画になってしまったでしょうが、彼女もまた移民であったのです。
ここに移される人々はみな移民かと考えられます。
アバスが移り住むことになるアパートもアジア系の男性が大家でしたし。
弱者を弱者が支えるシステムが根底にあるのはケン・ローチ監督のようです。
そして、本来はアバスを支援すべき側であるフランスの人々というのは、パスポートを確認する警察や、難民申請の行政機関で過重に武装した警備の人間たちだけです。
同じく難民の叔父さんであるエチエンヌが、商店の警備員として働いている設定も、皮肉に感じますね。
そうして寄り添いあうアバスたちを切り取る視線の優しさと、そこに込められる敬意が、私はほんとうに好きです。
どこまでも続く長回し。キャロルの誕生日を祝う食事から、プレゼントまで、そして次に来るダンスシーン。
かなりのロングテイクになっていますが、まるで本当にそこに生きる人々の、幸せな一晩をそのまま見ているようでした。
難民申請が却下されようが、故郷がなかろうが、関係なく人なんです。
大切な人の誕生日を家族でお祝いし、仲良くひと時を過ごす、誰とも変わらない普通の人々。
ずっとこのまま見ていたいと思わせる、ごく普通の暮らしと幸せ。
しかしその中に、あの通知書を後で読むというシーンからの若干のスリルを入れ込む仕組みの周到さにも感心です。
アバスもエチエンヌも教職などの知的な財産たる人間で、フランスに来てからも彼らの知的好奇心は衰えません。
本を交換し、あの小さな小屋でもその追求をやめない。こんな人たちが、日雇いのような単純労働に落ち着くシステム。
外部からとれる財産なら受け入れているなんて声もきくのですが、現実はそんなことはないんですよね。
アバスは悪夢にさいなまされる。妻を失った事実。故郷を失った事実。キャロルとの新しい愛においても後を引き彼を苦しめる。
そこに至るまでに傷ついた彼らがさらに苦境に合う。限界を超えたエチエンヌの行動は観るに堪えません。異国の地に眠るのもまた複雑ですね。
マハマト監督は幻想的な空気を持っていると思いますが、霊的な妻のシーンから、最後のシーンもそれを強く感じます。
忽然と消えるアバス一家。
本当にそこに支援施設があったのか、家族がいたのか。
それすら見えなくなるくらいにふと人間がいなくなっている。しかしアバスたちは存在します。
目を向けなければ見えないかもしれませんが、私たちと同じく楽しく日々を過ごし笑いふざけあっている人間です。
静かに淡々と進む作品ですが、「ヨーロッパに可能性はない」という重い言葉、窓の外を空虚に見つめる少年の表情、それでも尊厳は持っている父の姿が記憶に焼き付く映画です。
一般公開されることはないのかもしれませんけれど、配信など機会があればぜひ見てほしい作品です。
感想はこのくらいになります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
それではまた次の記事で。
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