「運び屋」(2018)

  • 監督:クリント・イーストウッド
  • 脚本:ニック・シェンク
  • 原案:サム・ドルニック 『The Sinaloa Cartel’s 90-Year Old Drug Mule』
  • 製作:クリント・イーストウッド、ティム・ムーア、クリスティーナ・リベラ、ジェシカ・マイヤー、ダン・フリードキン、ブラッドリー・トーマス
  • 製作総指揮:アーロン・L・ギルバート
  • 音楽:アルトゥロ・サンドバル
  • 撮影:イブ・ベランジェ
  • 編集:ジョエル・コックス
  • 出演:クリント・イーストウッド、ブラッドリー・クーパー、ローレンス・フィッシュバーン、マイケル・ペーニャ、アンディ・ガルシア、ダイアン・ウィースト、タイッサ・ファーミガ、アリソン・イーストウッド 他

「15時17分、パリ行き」のクリント・イーストウッド監督の最新作。「グラン・トリノ」(2008)より実に10年ぶりとなる本格的なスクリーン復帰ということで、イーストウッドが監督・主演を務めています。

今作は実在した麻薬の運び屋レオ・シャープを特集したニューヨークタイムズの記事から着想を得て、映画化したものとなります。

共演するのは、「アメリカン・スナイパー」(2014)にて組んで以来、教え子のように成長しているブラッドリー・クーパー。またローレンス・フィッシュバーン他名優も揃い、「死霊館のシスター」のタイッサ・ファーミガが孫娘役を、そしてイーストウッド実の娘であるアリソン・イーストウッドがそのまま娘役にて出演しています。

イーストウッド大好き人間からすれば主演ということが何よりうれしいことですが、考えてみると「グラン・トリノ」を観に行ったころはまだ学生だったなぁと。

イーストウッド新作の力なのか、かなり劇場は混雑しており、思いのほか年齢層が広くて、中学生・高校生くらいの集団もいたのは驚きでした。

園芸家アール・ストーンは花の品評会にて受賞するほど、花に入れ込んでおり、そのためにアメリカ中を回っていた。ただ、彼は外で大きな名誉を得る一方、一切家庭を顧みず、その姿勢ゆえに妻や娘とは疎遠になっていた。

娘の結婚式にすら来ないアールに家族は愛想をつかし、孤独であったアールも、園芸業がうまくいかなくなりついに銀行に家を差し押さえられてしまう。

行き場を失ったアールは家族の元へ行くも、もちろん歓迎されるはずもなかった。

そんなアールに舞い込んだのは、運転手の仕事だった。ただ車を運転し荷物を別の州に届けるだけの仕事。アールの勤勉さや過去の犯罪歴、違反切符すらないというステータスが気に入られての仕事だった。

しかし、その輸送品というのは大量の麻薬であり、アールは知らずに麻薬カルテルの運び屋となっていく。

久しぶりにスクリーンに帰ってきて、最近はしばらく続いている実話物、そいてクライムスリラーということで、ちょっとこちらとしても力の入る感じがしますが、見事にいつもの力の抜き具合を見せてくれました。

緊張感のあるシーンもあるにしても、なんというか優しくあたたかな印象が全体を包んでいるのです。そこにはアールの人柄というのが、大きく働いていると思います。

夫として父としては本当にサイテーすぎる男ですけれど、頑固とか偏屈っていうよりも、とにかく人たらしで人に好かれようとしてしまう。

「ホモのタコス野郎。」「お前はとっくに死んだかと思ってたのに。」

冒頭の口の悪さからも、そういうことを言い合えるような関係性を築いているとわかりますし、女性にはジョーク交じりに賛辞を送ります。

常にジョークを交え、ひょうきんな態度で場を和ませていき、運び屋をやっていても、運転席で音楽にノリノリのアールがかわいらしくて仕方ない。

そしてそんなある意味マイペースな人たらしのアールに、結局はみんなが飲み込まれていく様を、非常に手際よくイーストウッドは描いていますね。

ふとまたトラックを入れると、ガレージでは待ってましたとばかりにアールを歓迎し始める。コワモテ麻薬組織の男たちが、爺さんと仲良くなっていくところとか、もうクライムスリラーってことを忘れてしまいますよね。

しかも、アールは自分の園芸、お家を取り戻すほかに、退役軍人のための施設とか、孫娘の学費とか、とにかく人のためにお金を使います。

ガレージの男に甥っ子について聞くと「おかげで助かったよ。」というそんなサラリとしたやり取りに、アールの人柄を入れ込んでいて、このいい感じにくどくなくしかし描写としては成立する感じ、やっぱり私は好きですね。

このアールの人柄こそが、今回の肝になっていると感じました。

アールは後に妻に言われるように、家庭のほうを向かずに、外での称賛や人に愛されることをずっと求めてきました。自分のほうを向いてくれている人たちの方を向くことをしてこなかったわけです。

一日だけ咲く花。

デイリリーに執着するアールは、そのまま彼も一時でいいから注目され美しい人生を過ごしたいのです。

今回の麻薬カルテルの運び屋の仕事すら、彼にとっては最後に一花咲かせようというものだったのかもしれません。

そしてそれは、アールがしきりに言っていた、スマホばかり見て大切なものを見失うこととも重なっているように思えました。

私たちもまた、その日その瞬間に人気や注目を集め、人々に称賛されたくて、スマホ画面に入り込んでいるように思えたのです。

何度も往復する、長い道のり。毎回出発点と到着点があります。向こうへ行くだけではなく、いつも出ていくところがある。そして戻ってくる場所も。

アールにはずっと、出発するところも戻るところもあったはずなのに、彼は行った先でのことばかり気にして、ついに帰る場所の扉を閉められてしまった。

ついつい広い世界の、自分のことなんて何とも思っていない人間たちに注目されもてはやされたいという想いに執着し、本当に大切なものを見失っていたのです。

これはまさに誰とでも接点を持てて、自分がステージに上がることだけはできるようになった私たちにとって重要なことだと感じます。イーストウッドはそれを、現代人だけの問題ではなく、形を変えつつアールのような過ちとして見せているように思いました。

アールは代償を払うことになります。

あざができ、血を付けたイーストウッドの顔。「荒野の用心棒」に始まり、イーストウッドは映画の中で殴られ、けられ、血まみれになります。今回も。

何度も何度も彼は罰を受ける。イーストウッドは今まで何度、過去の罪を背負いその罰を受けてきた男を演じたんでしょうかね。

今回も今までと同じく、法の外での罰、私刑をうけるのですが、イーストウッド監督は今作でさらにその先へと行きます。

正直初めてではないでしょうか。法廷で裁かれるというのは。そして、公の場において自らの罪を認めるというのは。

いままで逃れられない罪が亡霊のように付きまとうことが多かったのに、この作品でアールは正しく罰を受けます。それに「有罪だ。」と自分で自分の罪を認めるのですよね。

私にはこれが、正しいやり方で贖罪を果たした瞬間であり、それによって、アールは安息を得たと思いました。

名声や金、成功では買えないものがそこにある。それを失うことが一番つらい。そして取り戻すのは難しい。でも、取り戻せないわけではなく、そしてそれをいつ取り戻そうとしても、遅すぎることはない。

私はこれまでクリント・イーストウッドはずっと罪と罰を描いてきたと思っています。その私にとっては、今作でさらに彼の贖罪の旅が更新されたと思うんです。

いつでも罪を認めることはできるし、それを通して救われ愛する人のもとへ戻れるんだと。アウトロー、私刑ではなく、法による裁きという正しい贖罪を通して癒しをくれました。

正直なところ、麻薬捜査としてとかスリラーとしてとかではあっさりな作品ですが、自身の娘を娘役にしていてこの語りだったり、いろいろ思わせるところがあります。イーストウッドという人が織り成していく長いストーリーとして、私にとってはまたひとつ新たな章を観れた気がして感激でした。

感想はここまで。この先もまだイーストウッドの語る物語を聞きたいですね。これからも本当に楽しみです。それでは。

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