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「ドラマなふたり」【ネタバレ感想 】愛する人の倫理観が、自分と違ったら結婚できますか?

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「ドラマなふたり」the-drama-2026-movie 映画レビュー
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作品解説

「ドラマなふたり」the-drama-2026-movie

ゼンデイヤとロバート・パティンソンが主演を務める恋愛ドラマ。

結婚式を目前に控えた理想のカップルが、何気ないゲームで暴露された“最悪の秘密”をきっかけに、互いへの信頼を失い、愛と疑念の狭間でもがいていく姿を描きます。

監督は「シック・オブ・マイセルフ」「ドリーム・シナリオ」のクリストファー・ボルグリ監督。

共演には、3人姉妹バンド「HAIM」のメンバーとしても知られ、「リコリス・ピザ」での演技が印象に残るアラナ・ハイムをはじめ、ママドゥ・アティエ、ヘイリー・ゲイツら。

監督/スタッフ

  • 監督:クリストファー・ボルグリ
  • 製作:アリ・アスター
  • 撮影:アルセニ・カチャトゥラン
  • 美術:ゾーシャ・マッケンジー
  • 衣装:カティナ・ダナバシス
  • 編集:ジョシュア・レイモンド・リー、クリストファー・ボルグリ
  • 音楽:ダニエル・ペンバートン

出演

  • ゼンデイヤ:エマ
  • ロバート・パティンソン:チャーリー
  • アラナ・ハイム
  • ママドゥ・アティエ
  • ヘイリー・ゲイツ

ロバート・パティンソンとゼンデイヤの二人が共演ということで話題になり、しかも監督があのクリストファー・ボルグリとくれば、それは綺麗なロマンスではなくて嫌な空気のある理不尽映画になるだろう。

そんな楽しそうな映画だったので、公開してすぐに見てきました。割と人も多く入っていてにぎわっていましたが、この作品ほんとに意地悪なのでカップルで観に来るのは避けた方が良い気がします。

~あらすじ~

「ドラマなふたり」the-drama-2026-movie

ボストンのカフェで運命的な出会いを果たしたチャーリーとエマは、結婚式を目前に控え、幸せな日々を送っていた。

挙式まで残り7日。親友夫婦と4人で囲んだディナーで、何気ない遊びとして「これまでの人生で犯した最悪の過ち」を告白し合うことになる。

しかし、その場の空気はエマが明かした“ある秘密”によって一変する。あまりにも衝撃的な告白に、チャーリーは婚約者の知られざる素顔を疑い始め、愛していたはずの彼女への信頼は少しずつ揺らいでいく。

幸せだった結婚準備は、疑心暗鬼に満ちた1週間へと変わる。それでも結婚式は待ってはくれない――果たしてふたりは、本当に愛し合ったまま誓いの日を迎えられるのか。

感想レビュー/考察

「ドラマなふたり」the-drama-2026-movie

クリストファー・ボルグリが描く「倫理」の地雷

クリストファー・ボルグリ監督はこれまでの作品において、人間のどうしようもない関係性や形容しきれない面倒くささを描いてきたと思います。

今作ではまた似た系統ではありますが、再び議論を呼ぶような内容にはなっています。

一言で言えば、他人の倫理的な境界線をどうとらえるか。

すっごく仲のいい友達が、「別に良くね?」って自分としては許せないようなことをしちゃったとき、友達止めますか?

自分の愛するパートナーが、「え、そこまでやる?」とか「なんでそれしないの?」って、当たり前だと思っていた範疇を出たとき、関係性が揺らぎませんか?

大なり小なりあると思います。で、私はほとんどの場合には友人だったり職場の人だったりで、関係をきる選択をしてきました。

しかし今作は結婚まであと1週間の新婚カップルでそれが起きるのです。

今作ではいくつかの見方があり、共感先があり、そして観る人によっての意見の分かれ方があるため、鑑賞後に見た人同士で話し合ってみるのがおもしろいかなと思います。

もちろん、その議論の中で劇中の人間たちのように相手との決定的な倫理観や考え方の違いによって、変な空気になってしまうことは危惧しておいた方が良いでしょう。

「ドラマなふたり」the-drama-2026-movie

「人生でやった最悪のこと」がすべてを壊す

今作で人間関係が崩壊していくのは、「これまでにやった最悪のことを暴露しよう」という、酒の入った席での絶対に良いことの怒らない話題によるところです。

昔付き合っていた彼女tの旅先、野犬に襲われた際に彼女を盾にしたこと。。。

学生時代近所にいた(おそらくなんらかの知的障害を抱えた)子を森の奥にある納屋に閉じ込めて放置したこと。

学生時代にクラスメートにネットいじめをして、一家全員引っ越す結果になったこと。

暴露話の中で、特に新郎新婦の友人夫妻の妻レイチェルのやったことは個人的には結構ヤバいきがしまして、そしてその後のレイチェルのこともあってなんというか好きになれないキャラでした。

しかし、それもまた一つの見方。

エマの告白は、本当に一番悪なのか?

今作で問題になるのはゼンデイヤ演じるエマの告白。

「学生のころ、学校での銃乱射を計画した。頭の中ってわけじゃない、実際に父のライフルを練習したし、ほぼ実行まで行きかけたの。」

この告白から、新郎であるチャーリーの心は大きく揺れ始め、いままで知らなかったエマのあらゆる面に関して、疑念に囚われていくことになるのです。

チャーリーもまあなんというか器の小さい男でして。

OPでは彼とエマの出会いが描かれますが、そこで彼はエマが席を立った隙に彼女が机に置いていた本の写真を撮り、タイトルと内容をざっくり調べてから改めてエマに声をかけます。

若干キモいけど、まあ気になる人と話を合わせるために知らないものを知っ振りしていくという意味では別にロマンスの良くある話で、、、

でも、せっかくデートに行ってくれるのに、本は結局読まないっていうのは私としては微妙だなと思ったり)

「ドラマなふたり」the-drama-2026-movie

「考えた罪」と「実際にやった罪」の境界線

さて、ここで問題になっているのはこんな線引きの問題なのです。

○○をするのは普通。○○は絶対にダメだろ。そんな境界線は人によって異なるけど、無意識に決めつけて同じだろうと踏んでしまう。

暴露界の際に、エマの学校内銃乱射が最も悪とされています。それはネットいじめや知的障害者を閉じ込めることよりもひどいことであると、皆が認識したのです。

ただし、加害性でみればエマが最も低い。彼女は計画こそしたけれど、実際には手を出していないから。加害という意味で、実際にやったのは他の3人です。

でも、話題はエマの学校内銃乱射にフォーカスされていきます。

もちろん、これはアメリカ社会では最大のタブーで、分かりやすく極悪っていう感じにした設定だと思います。

後半にレイチェルが「じゃあなに、エマがそういう発想をしたのも社会の性ってこと?」というシーンがありますが、その通りだよって思ってしまいました。

もちろんこれも、私の考え方であるので、実際にレイチェルのように親類がそうした事件で怪我したり、もしくは命を落とした方にとっては、考えるだけでもダメってことなんでしょう。

この境界線の話題はいたるところにあって、DJの件もそうです。

チャーリーはそこまで言わなくてもって思いつつ、エマは絶対に許せないからクビにする。

「ドラマなふたり」the-drama-2026-movie

疑念はホラーより怖い

チャーリーは「かなりヤバい女と結婚するのか?」「エマは良い人のはず。実際にやってはいないし。」「あの行動ももしかして暴力性による?」などあれこれと考えだしてしまう。

その疑念は無限の幻想のように付きまとい、一人でホラーの世界に落っこちてしまうのです。

情けない感じで不安定なロバート・パティンソン。「ミッキー17」なども含めてやはり味を占めている。

ゼンデイヤも最近は「DUNE」「スパイダーマン」など大作の大スターですが、こうして彼女らしいニヒルな感じの巧さとかを、危険性に結び付ける配役は良かったと思います。

チャーリーが不安になりすぎた挙句にメンタルブレイクダウンして衝動的浮気?してしまうところとか笑ってしまうし、やっぱり監督はこの意地悪な感じが巧いと思います。

銃乱射の話題の後で、チャーリーとエマはフォトシュートの練習をします。シュート=shoot。

shot。写真を撮るとか、動画を撮るという動詞ですが、もちろん銃を撃つって意味もある。

だからカメラの女性が”I’ll shoot you first, then let’s get the shot of both of you.”みたいにshotを連発するのと、カメラのフラッシュが何度も炊かれるのが映るので、意地悪なシーンです。

ちょっと分かりやすすぎる気もしますけどね。

演出では実は気になる点があって、それは暴露界のシーン。マイクとレイチェル夫婦と、チャーリーとエマカップルがカットバックで交互に映されるのですが、、、

話が始まると、不安を隠すような、信頼を示すようなしるしとしてチャーリーとエマが手を繋ぐんです。これは良い演出だと思ったら、カットバックの旅に手を放していたり握っていたりが激しく変わる。

細かいところまで良い演出だと思ったら、編集が雑なだけで残念。

「ドラマなふたり」the-drama-2026-movie

「もう一度やり直す?」という希望

まあとりあえず、結婚式が見事に地獄絵図になる。

そこで終幕に二人はダイニングで席に着く。お互いにはじめましての感じで話だし、「もう一度やり直す?」と。

冒頭チャーリーがナンパに失敗した際に、エマが逝った台詞が繰り返されるのです。

そして、その言葉はいろいろな失敗があっても人間関係はやり直していけるって意味にも取れました。その意味ではすこしだけ希望のある終わり方だったと感じます。

近しい人でも、ふとした行動や考え方で自分とは決定的に異なる人間なんだって気づく。その際に境界線が異なることを許容できるのか・・・?そんな理不尽な話題を放り投げて、論争を起こして見せるボルグリ監督に、またしても翻弄された作品でした。

これを見てると、ソダーバーグ監督が「ブラックバッグ」で描いたように、やはり人間関係とか愛には、一定謎にして置く部分がある方が良いのかもですね。

ということで今回の感想はここまで。ではまた。

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