「幸せへのまわり道」(2019)
作品概要
- 監督:マリエル・ヘラー
- 脚本:ミカ・フィッツァーマン=ブルー、ノア・ハープスター
- 原作:トム・ジュノー『Can You Say…Hero?』
- 製作 ユーリー・ヘンリー、マーク・タートルトーブ、ピーター・サラフ、リア・ホルツァー
- 製作総指揮:ミカ・フィッツァーマン=ブルー、ノア・ハープスター、バーゲン・スワンソン
- 音楽: ネイト・ヘラー
- 撮影:ジョディ・リー・ライプス
- 編集:アン・マッケイブ
- 出演:マシュー・リース、トム・ハンクス、クリス・クーパー、スーザン・ケレチ・ワトソン、エンリコ・コラントーニ 他
「ある女流作家の罪と罰」のマリエル・ヘラー監督が、アメリカの子ども向けTV番組の大人気キャストであるフレッド・ロジャースと、彼を取材することになった記者を描くドラマ。
実際に彼を取材し執筆された1998年の雑誌エスクワィアの記事『Can You Say…Hero?』を原作としています。
雑誌の記者を演じるのはイギリス出身でTVシリーズなどで活躍するマシュー・リース。
そしてフレッド・ロジャースを演じるのは「ブリッジ・オブ・スパイ」や「この茫漠たる荒野で」などの名優トム・ハンクス。
また「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」などのクリス・クーパーが主人公ロイドの父親役で出演しています。
もともと脚本はあのブラックリストに2013年時点で入っていたそうで、そこから実際に製作するまでは少しかかりました。北米では2019年の暮れに公開。
日本ではタイミングが遅れ、さらに新型コロナウイルスの拡大のこともあって20年の夏に公開。
作品はトム・ハンクスがゴールデングローブとアカデミー賞で助演男優賞のノミネート。
私は公開時に映画館に行きそびれてしまったので、NETFLIXでの配信を鑑賞しました。
~あらすじ~
ロイド・ヴォーゲルは優秀な記者であるが、彼の執筆する記事は皮肉にあふれ冷笑や斜めに構える見方という特徴があった。
彼は古くから自分の父と確執があり、姉の結婚式で再会した時にはケンカをしてしまう。
ロイド自身も最近子どもをもうけ、育児についても自分と父の関係を重ねてしまい悩んでいた。
ロイドは父を避け同時に家庭をも避けるようになっていたが、彼にある取材の仕事が任された。
それはアメリカの子ども向けTV番組で伝説的なホストであるフレッド・ロジャース氏にインタビューをし記事を書くこと。
子どもに対して真摯で誰にも愛されるフレッドについても、ロイドはその本性を覗きたいなどと考えていた。
しかし実際に会って話していくうちに、フレッドの心の底からの言葉と態度、努力に感銘を受けていき、自らの抱える問題にも向き合っていくようになる。
感想/レビュー
フレッド・ロジャース氏への知識
今作を見る上で、おそらく多くの日本の方は(もしくは日本に限らずアメリカ文化になじみのない方は)、フレッド・ロジャース氏にはじめてあうことになるのかもしれません。
その場合とすでにロジャース氏を知っている場合とでは、やや作品の機能の仕方が異なるとは感じました。
今作はロイドの視点からロジャース氏に触れていき、はじめこそその裏の顔とか、”聖人”とされる人物の影の部分を覗いてみようというような試みがあります。
ロイド自身が絶対に善良な人間なんていない。これだけの”Give”があればどこかで何かを”Take”しようと狙っているのだと勘ぐるのです。
その機能はもちろんロジャース氏を知らないオーディエンスにとっては一時的にでも働きますが、すでに彼を知っている場合にはあまり効いてこないのかもしれません。
もちろんそこを主題とした作品ではありませんので、スタンスや事前知識から評価が変わってしまうということはないでしょう。
私も「ミスター・ロジャースのご近所さんになろう」を先に観ていたこともあったため、ロイドが今後どうリアクションするのかを気にしていました。
そして何より、ロジャース氏を誰かが演じるということ自体が結構無謀な試みではないかと思ってしまったのです。
トム・ハンクスというAggressive Kindness
しかし心配は無用でした。なにせ演じるのは名優トム・ハンクス。
俳優自身がその圧倒的な親切さで知られる方であり、それだけでない努力を見せています。
インタビューで彼は”Aggressive Kindness”(攻めてくる親切心)という言葉を使っていましたが、まさにロジャース氏は親切であることをパッシブに使わず、積極的に使用する点からもトム・ハンクスが適役だったと思います。
善を体現する人物とすれば、今はトム・ハンクスになりますね。
昔ならジミー・スチュワートがいましたけど、どちらかしかロジャース氏を演じられないと思うくらいにピッタリなんです。
OPシーン。テレビ番組と同じ構成を持っている始まりでのロングカット。
ドアから入りジャケットを脱いで赤いセーターに着替え、そのまま座って革靴をスニーカーに履き替える。
この一連の流れがワンカットで行われ、しかもトム・ハンクスは歌を歌い続けながら全アクションをこなしてしまう。
27テイクくらいかかったらしいですが、本当に素晴らしい出来栄えで圧倒されました。
全体における歌やパペットの声もライブでハンクス自身がこなしていて、ロジャース氏が真摯に向き合っていた姿勢を、彼を演じる上でも俳優としてできる限り行う点には尊敬の念を覚えます。
現実の中にフィクションがありその逆も
さて、実はこの時点で妙なストーリー展開がされています。
正直言ってマリエル・ヘラー監督のこの作品、奇妙です。フィクションの中に現実がありそこにまたフィクションがある。
実在の人物へのインタビュー記事を映画というフィクションに入れて、その中でTV番組を再現しながら、番組に映画の中での現実の人物が組み込まれて・・・
OP時点でロイドが番組に埋め込まれ、移動シーンなど含めてミニチュアが使用され映画自体がすべて番組の中のよう。
さらにロイドがパペットたちと会話していたり。なかなか不可思議な映画ですよ。
脚色のドラマチックさが気にならない調和
でも私がすごいなと感じるのは、この作品がもつフィクションとしての力でしょう。
正直脚本や人物設定ではロイドはだいぶ分かりやすく葛藤を抱えていて、そこにロジャース氏をあてることは陳腐な結果を生み出しかねないと思うのです。
ちょうど抱えている育児、父としての役割の重さ。
自分の父との確執、背景にある病気の母、死別、さらに父の死期の近さ。なんて都合がいいのか。
ロジャース氏の番組が”すごく怒っているんだ。どうすればいいかわからない”とか、親と子どもとの関係性について語るものだったりとか。
テーマ設定を下手すれば陳腐な方向に向けているのに、先の奇妙な演出やトム・ハンクスの好演、そしてロジャース氏の哲学に対する監督の深い理解のおかげで決して鼻につくこともなく自然なドラマに仕上がっていると思います。
観客一人一人を見つめ、対話させる
演出はロジャース氏の子どもへの者とシンクロします。
マリエル・ヘラー監督はロジャース氏の番組の核になる部分をこの映画にも機能として持たせています。
それは、映画が語り掛けるだけではなく、観ている側つまり観客が対話すること。
目の前に本当に一人の子どもがいるように、しっかりと目を見て話しかけ、そして子どもが理解し自分で答えるまでの時間を用意する。
自分よりも相手のことを想い会話をすること。
決して教えることでもモノを売ることでもないこのロジャース氏の姿勢が、ハンクスを通して観客にも向けられています。
映画は始まりも終わりも番組のものと構成が同じです。これか私たち映画を見ているひとりひとりとこの作品との会話でもあるのです。
フラッシュモブのような電車でのシーン。現実とフィクションが交差する素晴らしいシーンでした。
さらに極めつけが沈黙の使い方。
映画において全くの無音で展開するという大胆さですが、本当に完全なる沈黙をして、その間に観客にも愛を考えさせます。
観ていた私も、大切な人というのを思い浮かべていました。
怒りと悲しみの受容
ロジャース氏が目指したのは一方的ではない観客との関係性。
ヘラー監督はその魂をしっかりと観察しこの映画にも精神的なつながりを持たせています。
見ている人がいることを意識し、その人たちに敬意を払い大切にする映画を、好きにならずにいられるわけがない。
誰しもに怒りや負の感情がある。今作それを変えようとか幸せになろうなんて言いません。
ロジャース氏のように受けれることを語ります。悲しくなっても良いと。
最後の最後の印象的なシーン。そこまで含めて見事。
それまでのロイドの道のりから哲学を学び、受容した瞬間に、しっかりとロジャース氏を描く。
撮影の終わったスタジオに一人残り、ピアノを弾く彼が一番低い音をいっせいに叩く瞬間に、これ以上ない理解が見えました。
素晴らしい俳優を迎え、題材に対する理解と演出が炸裂している作品。
怒りと悲しみを受け入れていく物語として素敵。映画館で観なかったのが本当に悔しいですが、配信で観ることはできてよかったです。
お時間ある方はこちらぜひご鑑賞を。
ということで今回の感想はこのくらいです。
最後まで読んでいただきどうもありがとうございました。
ではまた。
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