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「マッドマックス 怒りのデス・ロード」”Mad Max: Fury Road”(2015)

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映画レビュー
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「マッドマックス 怒りのデス・ロード」(2015)

  • 監督:ジョージ・ミラー
  • 脚本:ジョージ・ミラー、ブレンダン・マッカーシー、ニコ・ラサウリス
  • 製作:ジョージ・ミラー、ダグ・ミッチェル、P・J・ウォーデン
  • 製作総指揮:イアイン・スミス、グレアム・パーク、ブルース・バーマン
  • 音楽:ジャンキーXL
  • 撮影:ジョン・シール
  • 編集:マーガレット・シクセル
  • 衣装デザイン:ジェニー・ビーヴァン
  • プロダクションデザイン:コリン・ギブソン
  • 美術:シーラ・ハックマン、ジャシンタ・レオン
  • 出演:トム・ハーディ、シャーリーズ・セロン、ニコラス・ホルト、ヒュー・キース・バーン 他

ジョージ・ミラー監督が生んだ世紀末暴走シリーズ「マッドマックス」。初代は1979年。衝撃的な世界観は多くの作品に影響を与え、「マッドマックス2」(81)は最高傑作と名高いです。

3作目「マッド・マックス/サンダードーム」(85)はイマイチな評価で、その後は「ハッピー・フィート」などアニメ映画で忙しかったミラー監督。

3作目からは27年という期間をあけ、ついにマックスが帰ってきました。まぁメル・ギブソンからトム・ハーディに交代しましたが。

さらに今作には重要な役回りにシャーリーズ・セロンが出演。そして「マッドマックス2」ではトーカッターとして出ていた、ヒュー・キース・バーンが、荒廃した世界に君臨する暴君イモータン・ジョーを演じています。

それだけ待たせてどうなの?というファンも多いでしょう。しかし確実に待った甲斐はあります!

核戦争による放射能汚染で荒廃した地表。砂漠がひろがる大地に、マックスという男がいた。

武装集団「ウォー・ボーイズ」に襲われ囚われたマックスは、彼らの本拠地であり、ボスのイモータン・ジョーが治める砦へ連れて行かれる。

一方、ジョーの配下の女戦士フュリオサが、彼の5人の妻を乗せたウォータンクで逃亡を図った。女たちを取り戻すため、ジョーはウォー・ボーイズを総動員し追走を始める。

ジョーを崇拝する若き戦士ニュークスは、マックスを自分の”血液袋”として車のフロントに縛り付けて出動。かくしてマックスはこの追走劇に巻き込まれていく。

狂ってる!いや狂っているのは私なのか?

そう思えるほどに、この核戦争後の荒廃した砂漠の地は壊れていますね。

始まってすぐの2つ頭のトカゲにそれをムシャムシャ食らうマックス。

イモータン・ジョーもその恐ろしい容姿の真実が初めから、放射能汚染によるものだと明かされますし、水を求める民衆、作物をよくわかっていない妻たちや、木を知らないニュークス。

すごいスピードで走る車で、普通にながら作業をする人物たち。

私たちの世界と異なる世界がしっかり確立されていますね。

全てはガソリン、水、植物や武器などの資源。それを管理するジョーはここではまさに救世主に見えます。

水を与え、植物を栽培。見た目は残酷に見えますが、母乳の確保や子孫繁栄のシステムも作っています。

着実に世界観を作ってある上に、この大暴走改造車たちはかなりリアルに思えます。

トゲトゲ、棒高跳び、爆弾槍やらフックガンなど大量の武装。

中でも私お気に入りのエレキギターかき鳴らし爆音車。すべては車を走らせての戦いがメインの世界だからこそ、生きているわけですね。

独自性もそれを体現するデザインも素晴らしいです。

印象がキャラとその車にしっかりつけられているので、このほとんど茶色で砂だらけの世界において、色違いでなくてもしっかり認識できるようになっています。

うーん、こんな発想よく出たなぁ・・・本当にこうしたディストピアで作られたように思えますよ。

実際、あるものを再利用した造形がとても多くて、その本来の目的が使われ方を変えている様から、世界がどれだけ廃れているのか、残酷になっているのかもわかります。

そして、何しろ造形物が美しいんですよね。このような中でも美学とかは残っているんだなと。

すさまじい雰囲気で、何を錯覚したのか一瞬オイルの匂いを感じてしまった私です笑

そういった設定とデザインも、やはり動いて見せてこそです。

CGに頼らずスタントをこなし、実際に爆走しながらの撮影。激しい音に煙や爆炎、それでいてスッキリ見やすいので良いですね。

その爆走戦闘にはそれぞれ派閥の戦い方が見え、何度もというかほとんど全編チェイスでも次々に斬新な映像が繰り出されて飽きません。

爆弾槍戦法もバイクジャンプからの爆弾投げつけもカッコいいですが、やはり長い棒の振り子攻撃がすごく面白かったです。あのちょっと高いところからの視点も最高。

クローズアップから奥へ引いていく対象をとらえるカメラでは、やはり前後移動は自分がそこにいる感覚を増してくれると実感しました。

一応3Dで鑑賞しましたが、そうですね。特別3Dが絶対おすすめでもないのかな?

とにかくアクションは素晴らしいです。

ひとつの行動が次の行動に繋がり、このアクションが次のロジック形成に不可欠。だから一挙一動に意味があり必須なんです。

そういった激しいチェイスの中で、ほとんど停車しませんが、人間ドラマもとても丁寧です。

この逃亡の道のりではマックスやフュリオサ、そしてニュークスと5人の妻たちなど、連れが増えていくのです。

初めは銃を奪い、運転すらさせなかったマックスが、フュリオサにライフルを渡して肩を貸す。赤髪の妻がふと怖さでニュークスにしがみつく。

おばさんの大切な作物の種を忘れずに持っていく。この不可抗力の共闘の中、台詞での馴れ合いなしで人物の距離の縮み具合が見えています。

今作は同じ演出や行動が繰り返されています。そこで眼差し一つとっても、はじめと2回目で大きく意味を変えているんですよ。

現実離れしてとにかく加速していくアクションと狂気の中で、確実に共感できる部分があります。

まぁジョーの方でも親族の死や仲間の絆なんてものも示されていますし。ジョーの方は洗脳と奴隷制や卑劣な男性優位の体現の役割が大きいと思いますが。

すべては燃料。

走るためのオイル、生きるための水と食べ物、ニュークスには健康な血、ジョーには女たち。戦いにはあのギター音、そして不死の魂の教え。

原動力となるものが誰しも必要です。荒れ果てた世界においての原動力。

自由を求めて、人らしく生きたいと願って。とても難しいことですが、妻たちは自らの性器を所有されているようなあの拘束具を切り落とします。

フュリオサは生きる地を自分で決めたい。一度は原動力を失ったニュークスも、愛のために動き出す。

マックスはどうでしょう。生者だけでなく死者にも憑りつかれ追われている彼は、希望を否定するほどにこの世界に絶望しています。

序盤からまるで獣のように扱われ、獣のような挙動のマックス。

そんな彼が見る過去の記憶。敵のボウガンのあの一瞬、つきまとう悪夢が彼を救いました。

旅の中で取り戻した人間らしさ。

そして出た答えが、自分がどう生きるかはいい、ただ目の前の人間を生かす。それがマックスの原動力のような気がします。

それが希望を他者に与える。車の中で、今度は無理強いでなく自ら血液を与えるんですね。

フュリオサたちはそんなマックスを見て、自分が生きることと同じく、他者を生かすことを知ったと思うのです。

資源は餌付けするのでなく、共有するもの。

その生きるためのあらゆる燃料はみんなで分け合う。人を所有したり生産したりすることは間違っていて、共生するメッセージが込められていると感じます。

スリットにとられ、マックスはニュークスからブーツを奪いますが、最後には別の持ってくる。

輸血袋扱いで血を奪われていたマックスは、最後は自ら輸血を。

奪い合う世界で、他者と触れ合っていくことで与えることを、人であることを取り戻す。

とにかくこの2時間に詰まった砂埃と爆発、たぎるエンジン。

このマッドマックス 怒りのデス・ロードという映画を自分の燃料にしてもらいたい。

そんな狂ったアクション一直線と無くしちゃいけないものを乗せた最新作。ただいま爆走中ですので、是非鑑賞してほしいですね。

それではおしまい。また~

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