「ヨーロッパ新世紀」(2022)
作品概要
- 監督:クリスティアン・ムンジウ
- 脚本:クリスティアン・ムンジウ
- 出演:マリン・グリゴーレ、ユディット・スターテ、マクリーナ・バルラデアヌ 他
「エリザのために」のクリスティアン・ムンジウ監督が、2020年に実際に起きた事件を着想として、ルーマニアの村で起こる人種や国際問題に回るドラマを描いた作品。
東京国際映画祭のワールドフォーカス部門でプレミア公開されました。
「エリザのために」がかなり好きだった私としては映画祭の中では注目の一本。
今作はカンヌに出品されていて、脚本や男優、女優賞などにノミネートされていました。
私が観た回は特にQAなどはありませんでした。
〜あらすじ〜
ドイツで出稼ぎをしていたマティアスは問題を起こして、故郷ルーマニアのトランシルバニアへ帰ってきた。
妻との間には子どもがいるが、学校へ行く森の中で何かを見たことから口がきけなくなってしまっている。
一方マティアスの浮気相手である女性が努めているパン工場では人手不足が続いていた。
求人広告を出すも、最低賃金では村の人間は誰も応募してこない。
困った経営側は移民から労働者を確保することになり、スリランカから男性たちが働きに来ることになった。
しかしこれが思わぬ波紋を呼ぶ。
移民の労働者に対する差別的な投稿や脅迫がネットに流れ始めたのだ。
感想/レビュー
「エリザのために」では汚職のはびこった過去から抜け出ることができない世代と、それでもなお輝く未来へ希望を託す、若い世代への眼差しとが混じっていたように思うムンジウ監督。
今回は汚職や不正という意味ではテーマから外れてはいるものの、国際化と歴史のなかにあるルーマニアや、経済と感情など相反している要素を巧くぶつけ合いながら、意思疎通ができるのかという点でまとめていると感じます。
様々な人物模様から見える複雑な主義主張
登場人物が結構多いんですよね。
主人公と思えるマティアス。彼はドイツで出稼ぎをしていて、正直かなりヤバいタイプの男性主権的、マッチョ思考の男です。
そして浮気相手というか元カノやら神父、街の住民たちにスリランカから来た移民の3人。パン工場の経営者の女性。
様々な主義志向が渦巻いています。
論理と感情
そこに根底として横たえられているのが、今回は経済でしょうか。
パン工場での移民就業。これを一応の論点にしている。
つまり、最低賃金で安い労働力を確保するという圧倒的に正しい経営判断(論理)と、よそから来たものに自分たちの場所を侵される、もしくはとって代られてしまうことへの恐怖(感情)がぶつかり合うわけです。
トランシルバニアという混乱の土地
舞台となっているトランシルバニアというのは、ハンガリー王国に併合されたり、ドイツの植民地になったり、またオーストリア領なども経て第二次世界大戦の時に返還されたという場所。
地理的にもハンガリー、ウクライナ、セルビアに接しているという、なんとも混沌渦巻く土地なのです。
言葉と意思疎通の可能性
土地柄というか歴史というか、ルーマニアには主にルーマニア語を話す人たちがいるのですが、しかしハンガリー語を使う人も少なくない数います。
この舞台となっている村でもそうですね。しかもパン工場では英語でスリランカの人たちと話したり、フランスからの調査員も英語、たまにフランス語を使います。
だから飛び交う言語が多く、字幕処理としても複雑になっていた気がします。
この言葉というものがまた厄介なところです。
村の人達は互いに互いの言葉で言い合いをして、理解はできています。対話はできているということです。
しかし統一はされない。だからなんとなく、根底にはその使用言語をもとに”私たち”と”あなたたち”が出来上がってしまうように思いました。
さらにスリランカから来た3人には字幕処理が与えられていません。
言ってることがわからないというわけですが、ここで意思疎通が不可能であるという点が浮き彫りにされていたと感じます。
これはスリランカからきた彼らの問題ではなく、村側ひいては観客すら巻き込んでいます。
世代間の沈黙
意思疎通を言葉に頼るならば息子とマティアスも同じです。
マティアスは散々そのマッチョな考え方を息子に伝えます。
しかし息子は口を開かず言葉を発しません。息子はやはり若い世代を象徴するのでしょうか。
だとすると世代間の意思疎通の無さだったり、もしくは若い世代からこのカオスかつ自己感情を優先する世代への拒絶を象徴しているのかもしれませんね。
人間の歪みが露呈する集会
今作の白眉であろうクライマックスになる集会でのシーン。
17分くらいの圧倒的なロングカット。
それ自体もすごい熱量で計算され尽くしていますが、この村の縮図のようでした。
ムンジウ監督はここでも論理と感情、人間の矛盾を露呈させていると思います。
あの集会を仕切っているのがそもそも教会の神父ですが、平等な立場と言えるのでしょうか。
ある特定の宗教に属している時点で私には到底ニュートラルな視点だとは思えません。
そして次々に発言する民衆の敵殆どがロジックに見せかけたただの感情論。
「差別意識はないが…」「別人〇〇人を悪く言う気はないが…」
こうした前置きをする人間は皆偽善者の差別主義者です。
医師までも出てきて、医学の話ともっともらしいことを並べて差別しています。
この集会で一番問題なのは、民主主義的に集まってと言いつつ、肝心のスリランカから来た3人を含めていないことです。
要するに”あいつらはこの村の人じゃない。意見を聞く必要はない”ということです。
笑える幼稚な民主主義を集会に詰め込み行き着く際は、銃を言葉にするマッチョ思考と彼が行き着く真に意思疎通ができない存在たち。
RMNとは
RMNとはルーマニアの略にも思えるので、縮図という解釈でもいいかと思いますし、何か医療用語で脳神経関連の言葉があるようですね。
マティアスが父のMRIスキャンの画像を見ていたので、それとも絡んでいるかもしれません。
地政学や国際労働、ずさんな民主主義に感情で暴れる人間模様などを詰め込んだ見ごたえある作品でした。
「エリザのために」が劇場公開したのでこれもそのうち一般公開されるでしょうか。
というところで感想は以上。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
ではまた。
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