「SCRAPPER/スクラッパー」(2023)
作品解説
- 監督:シャーロット・リーガン
- 製作:テオ・バロウクラフ
- 製作総指揮:エバ・イェーツ、ファルハナ・ブーラ、マイケル・ファスベンダー、コナー・マッコーン、ダニエル・エマーソン、ジム・リーブ
- 脚本:シャーロット・リーガン
- 撮影:モリー・マニング・ウォーカー
- 美術:エレナ・モントーニ
- 衣装:オリバー・クロンク
- 編集:ビリー・スネドン、マッテオ・ビーニ
- 音楽:パトリック・ジョンソン
- 出演:ローラ・キャンベル、ハリス・ディキンソン 他
母を亡くした少女と音信不通だった父のぎこちなくも愛おしい共同生活を描いた、イギリス発の感動的なヒューマンドラマ。
今作でスクリーンデビューを果たしたローラ・キャンベルが主人公ジョージーを熱演し、「逆転のトライアングル」や「ザリガニの鳴くところ」のハリス・ディキンソンが不器用な父ジェイソン役で共演。
10代からミュージックビデオの監督として活躍してきた新鋭シャーロット・リーガンが、長編初監督・脚本を手がけた作品。
注目度合いとしてはそこまでではなかったのですが、「フロリダ・プロジェクト」や「aftrerson/アフターサン」のようだなんて評判も聞いたので少し気になった作品。公開週末に都内で鑑賞してきました。朝一の回で早かったのですが、ある程度の人が入っていました。
~あらすじ~
母を亡くし、ロンドン郊外のアパートでひとり暮らしをしている12歳のジョージー。
親友アリと一緒に自転車を盗んでは転売して日銭を稼ぎ、母が遺したホームビデオを見ながら孤独と悲しみに耐えていた。
そんなある日、12年間行方不明だった父ジェイソンが突然訪ねてくる。
父に対して複雑な感情を抱くジョージーだが、父娘は過ごしてきた年月を埋めるように、ぎこちなくも共に時間を過ごしていく。
感想レビュー/考察
父と娘の再生を、ポップな明るさに包んで
ほったらかしの無責任な父親と、母を失って悲しみを背負う少女と。
そんな父と娘の夏休みの間の再会とぶつかり合いと。テーマが夏って感じですし、別に特別ユニークではないけれど、監督のテイストと描き方がすっごく素敵な作品でした。
よくある疎遠親子の再生話です。でもそのスタイルはよくあるものではない。
イギリスのアパート群の中で、貧しい地区をそのままに切り取っているこの作品は、しかし不必要にシリアスにはなりすぎない明るさを持っています。
それはショーン・ベイカー監督の「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法」を思い出すようなポッポさです。登場人物たちが暮らしているアパートの壁面は、ピンクやイエロー、ライトブルー。お家の中の家具やクッションも結構カラフルですね。
また衣服に関しても彩度高めでカラーもいろいろ。自転車も(盗んだやつだけど)明るい色に塗り替えています。
決して荒んでいて汚らしく落書きだらけ・・・なんてステレオタイプなものじゃない。これは心の反映とも思えます。彼らだって彼らなりに楽しく暮らしているのですから。
この社会的には結構追い詰められた状況の中で、しかしその彼らの目線から見た楽しさのある世界で描いてくのは、「Never Goin’ Back/ネバー・ゴーイン・バック」とかも好きな私にはかなりハマります。
母がいたときと同じ状態を作り、喪失を埋めたいジョージー
ただ一方で、もちろんシリアスな喪失と悲しみの処理についてのドラマはしっかりと作りこまれています。そういった面やシーンにおいては決してふざけていないのが良いところです。
”子どもを育てるには村が必要”という言葉を消し、”私は自立してるから大丈夫”という言葉に書き換えられる、そして青空と雲が描かれた壁紙のショットから始まるOP。
母は空へ行ったというジョージーは保護者不在の中で一人でアパートに住んでいる。
掃除機をかけて洗濯をして。彼女自身のこの自立に対して、シャーロット・リーガン監督は哀れみの目を持ってはいません。かわいそうな子どもというのはここにはない。
監督が共感と寄り添いを向けるのは、母を恋しく思うジョージーに対してです。
ソファの掃除をしていると思えば、クッションの位置を妙にこだわって直すジョージー。これは母と過ごした空間をそのままにしたいから。
母の形見ともいえるスマホで撮ったビデオを何度も見返し、その間ほんの少しですが母の再会するジョージー。
物言わずこういうことしてるジョージーに、ハグしてあげたくなります。
大人にならなくてはいけなかった子どもと、大人らしく振舞えなかった大人
子どもだけど大人にならざるをえなかった子ども。主演のローラ・キャンベルが凄く良いです。
彼女の皮肉や返しのうまさは子どもなのにそれ以上の責任を持って世界をみてるから出てくるものです。
でも一方で自転車泥棒の言い訳とか盗品売るときのタジタジな感じは子どもっぽい。
嘘くさくないこの環境によって成長しなくてはいけなかった子どもの造形が素晴らしいです。
そんな彼女に父ジェイソンが帰ってきて、なんとかこてまでの時間の溝を埋めようとする。
ジェイソンがそもそも無責任な男だったので、歩み寄り方も下手くそで。大人びているジョージーに押され気味。
自分自身が覚悟ができず、つまり大人になれなかった大人。
お互いがそれぞれに抱えていた喪失と悲しみ
ただジェイソンの良いところは努力をやめないことや決してジョージーを責めるとかしない点ですね。
子どもに対してという気遣いや義務感ではない感じで、友達に接する軽さで、「何か買ってくる?」「手伝うか?」といえるキャラなのが、重くなりそうなドラマに軽快さをくれます。
そして彼も、ジョージーから見れば誰が友達にでも電話してるんだろうと思える、夜にスマホを耳に当てている行為の意味がわかるとき、大きな悲しみを抱えていると判明します。
ずっとお母さんのボイスメッセージを、何度も聞いていたのです。
きっと奮い立たせるためであり、また自分の不在を悔い続けるためにでしょう。このボイスメッセージを消さず、自分から何度も聞いてるのです。
友達くらいのノリで少しづつ近づいては離れて。ジョージーが閉ざしていた心の象徴が、お母さんの部屋の鍵。それをこじ開けてでも彼女を知ろうとするジェイソン。
ジョージーがなくしてしまった母の声。そこでジェイソンがボイスメッセージを共有して、ここで二人はそれぞれ一人で悲しみに向き合うのではなく、一緒に向き合うということ。
最後はジェイソンではなく、ジョージーの方から彼を探しに行くという構図の逆転も素敵でした。
社会の片隅の中での輝きを切り取る
苦しい社会状況なのに、そこにはフォーカスしないで、怠け者でもなく荒んでもない。
ポップなスタイルやビジュアルセンスから、湿っぽすぎないメロドラマを展開することで、ありきたりさにはハマらない面白さがある作品だったと思います。
主演のローラ・キャンベルの好演に、ハリス・ディキンソンのいい塩梅の軽い父親像もケミストリーが働いていて見ごたえがありました。
今回の感想はここまで。ではまた。
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