「恋人はアンバー」(2020)
作品概要
- 監督:デヴィッド・フレイン
- 脚本:デヴィッド・フレイン
- 製作:ジョン・ケヴィル
- 音楽:ヒュー・ドラム、スティーヴン・レニックス
- 撮影:ルアイリ・オブライエン
- 編集:ジョー・ソーヤー
- 出演:フィオン・オシェイ、ローラ・ペティクルー、シャロン・ホーガン、バリー・ワード、シモーヌ・カービー 他
同性愛が合法化して間もないアイルランドの田舎町を舞台に、ゲイとレズビアンの二人の学生が、周囲の目をごまかすために偽装カップルとして付き合い始めるという ロマンス・コメディ。
監督は「CURED キュアード」などのデヴィッド・フレイン。
主演はフィオン・オシェイ、そしてローラ・ペティクルー。また母親役には「シング・ア・ソング 笑顔を咲かせる歌声」などのシャロン・ホーガンも出演しています。
今作は2020年に本国アイルランドで上映開始、批評面でも高い評価を受けて、アイルランドの映画賞やニューヨークのLGBT映画、日本でもレインボー・リール東京などで受賞や高評価を得ている映画です。
最初はあまり気にしていなかった作品でしたが、映画館で予告を見て興味がわいたことと、見た人の評判がいいこともあって鑑賞してきました。
公開から少し経っていたのであまり時間がなく、レイトショーへ。それでもまだ割と人は入っていました。
~あらすじ~
1995年のアイルランド。
田舎町に暮らすエディはゲイであることを隠しながら、軍人の父からの期待に応えようと陸軍入隊試験に向けてトレーニングに励んでいた。
しかし学校では男子生徒が女子生徒とのキスや経験について競い合っており、エディも男になれと他の女子生徒とキスをさせられる。
嫌々キスをした事から、エディをゲイとバカにする生徒も出始めた。
なんとか女子とデートしないと、噂が大きくなってしまうと思い詰めるエディに、学校の変わり者アンバーが声をかける。
彼女もまたレズビアンだと笑われており、偽装カップルを見せつけることでお互いに身を守ろうというのだ。
かくしてエディとアンバーはカップルとなり、周囲には順調なそぶりを見せて安全圏を作った。
そして友情が深まる中で、お互いはお互いにとっての本当の恋愛を求めていく。
感想/レビュー
ある社会の中で浮いてしまう者を注視する
アイルランドの田舎町、90sのノスタルジーを入れつつも、その当時にはなかったであろう、描かれてこなかった者たちの青春を見せてくれる。
映画作品としてはやや歪な部分があるとは思うのですが、それでもものすごく心がこもっていて、善き想いが込められていることが感じ取れる作品。
監督はデヴィッド・フレイン。
この人は初監督作品としてエリオット・ペイジ出演の「CURED キュアード」を撮った人ですね。
そちらはどちらかといえばホラーっぽいのかなと思いますが(未鑑賞なのですみません)、ある社会においてそこに異物として存在している人を中心に描くと言えば、根底にあるものは共通しているのかもしれません。
いい塩梅の幼さが可愛い
全体のトーンでまず好きなのは、この作品の可愛らしい幼さです。
この手のティーン映画って、多くの場合には(主にアメリカ映画)非現実的すぎる高校生ばかりが登場します。
正直成人にしか見えないこととかもありますけど、その今作のキャスティングはとても良かったと思います。いい意味で絶妙にダサくて不格好な高校生たち。
ちゃんと門限とかあって、だからこそ等身大って感じもするし、共感できました。
主人公エディを演じたフィオン・オシェイ。
ともすればナヨナヨしていて、ありきたりなゲイの子描写になりかねない気もします。
しかし、挙動不審さが彼なりの”恐れ”というものに基づいていて、全体にはいつも怖がっているからこそ、すべての行動に自信がないのだとうかがえます。
アンバーを演じているローラ・ペティクルーも私は好きでした。フェミニンさなんて押し付けられるものをはねのけて。
ただ自由に自分らしくある人を見るのは良いものです。
ありのままにいるシーンの美しさ
そんな二人も互いにカップルを演じて周囲の目をごまかす。
一方でストーリーは、それぞれの本当にありたい自分の姿と、そのままでいられる場所/相手探しを追っていきます。
2人で抜け出し、ダブリンの街へ。そこには田舎町とは違って可能性がある。
エディがゲイバー?で歌手の人のところへ行って胸に頭を垂れるシーンがあります。アンバーからすると「何やってんだあいつ」なシーンですが、心打つものがありました。
エディが安息を得ている。
きっと学校でも、そして家庭ですら自分自身でいることができ、安心できることはなかった。
そんな彼がまるで幼い子どものように身を預けていくのは切なくも暖かいシーンでした。
クラブでの初めてのキス。サラと海辺でのキス。
本当に美しかった。
ただ、すべて順調にはいかない。隠しているということはその関係を進めなくしてしまい、そして傷つけること。
隠れずに済むようにすべき
アンバーがサラと前に進みたい気持ちもわかりますが、エディの想いもものすごく胸を打ちます。
カミングアウトして前に進むよりも、隠し通して安全に人生を送りたいって気持ちは、批判できるものではない。
きっと多くの人が、自分らしさよりも周囲から傷つけられないようにすることを優先し、人生を犠牲にしてきたのだと思います。
エディの恐れをはっきりと示すのは、そういう人たちを批判したくないからだと思います。そこが素晴らしい。
それによって、エディが自分を殺して生きなければと思い詰めているのは、社会が変わらないせいであるということが強調されます。
別れることが必要な切ない出会い
諦めてしまうエディに対し、彼の背中を押すことをあきらめないアンバー。
人生において大切なのは、自らを鼓舞し先へ進めと後押ししてくれる存在。
たとえその人と一緒の道には進まずとも、その出会いと過ごした日々が自分を強くしてくれる。
アンバーとデートして(Dating Amber)、自分を貫くことを知る。
この関係性は最高だけど、別れなければ先へ進めない。
エンディング、もうそれぞれは違う乗り物に乗っていて、別の人生を歩み始めますね。
さよならとありがとうが混ざり合って、寂しいし悲しいけど、勇気と力をもらって生きていける。そんなラストがとにかく清々しく素敵でした。
正直、離婚しそうな両親の件が微妙に要らない感じとか、弟君がかなり置いてきぼりとか、緩い点はあります。
でもここまで心を込めて作った作品だと感じ取れるその温かさですべてOKに思える映画でした。
おそらく、離婚が合法になったり同性愛が合法になった年を舞台に、エディとアンバーの人生が始まることを重ねたのは、アイルランドにとって本当の意味で現代化が始まったことも象徴しているのかと思います。
というところで、感想はここまで。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
ではまた。
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